Ⅶ 森の家
その日、アイシェは広大な森にいた。王都からほど近い、ナヴァの森に来ていた。昼食を詰めたバスケットを持って、気分はピクニックであるが。
「遊びに行くんじゃねーぞ」
「わかってるわよっ」
いつも通りの憎まれ口をたたくエムレに言い返したりもした。そう。本題は薬草摘みである。いつも通りの二人のやり取りに、同じく籠を持ったロクサーヌが笑う。
「仲がいいわね。いいことだわ」
アイシェはロクサーヌについて薬草を摘む。エムレは少し離れたところで自分で収穫していた。アイシェも、あれくらいになりたいところだ。
一つ一つ名前と効能を聞きながら、アイシェはその薬草を摘んでいく。籠がいっぱいになったところで、ロクサーヌはエムレを振り返った。
「エムレ、そろそろお昼にしましょう」
少し離れたところにいたエムレが「はい」と返事をして戻ってくる。アイシェも敷物を広げ、バスケットの中身を出す。パンに野菜や肉をはさんだものや、水筒に入れたスープ、紅茶などを取り出す。三人で敷物に座って開放感あふれる外で食べる食事は、おいしかった。
「こういうの、久しぶりですけど、楽しいですね」
「そうねぇ。私たちは薬草集めにたまにするわね」
ロクサーヌは薬を切らすわけにはいかないため、こうして薬草を集めにたびたび出かけるのだろう。その場所でしか育たない薬草なども多い。
「魔法学校では遠足なんてないだろ。いつピクニックなんかしたんだよ」
大きくサンドイッチをほおばりながら、エムレがアイシェに尋ねた。
「孤児院にいる時。小さい子の面倒見てたなぁ」
魔法学校に行く前は神殿の孤児院にいたアイシェである。そのころからアイシェの魔眼は強く、周囲の子たちとはあまり関わらないようにしていた。それでも、ある程度大きくなれば下の子の面倒を見るわけで。
「孤児院ではよくあるわね。私も、自分より年下の師匠の弟子たちの面倒を見たものだわ」
ロクサーヌも懐かしそうに言った。だから彼女は何気に面倒見が良いのか。
それに最初に気付いたのはエムレだった。お弁当を片づけていると、不意にエムレがあらぬ方向を見た。アイシェが気づき、「どうしたの」と尋ねる。
「……何かいる?」
何故疑問形なのか。アイシェとロクサーヌもエムレが見ている方を見る。アイシェもはっとした。
「……女の人?」
「霊体のようね」
落ち着いてロクサーヌが言った。彼女にも見えているのだ。魔力と霊感は別物だと言うので、魔術師であっても見えない、と言う人は意外といる。
アイシェははっきり見えないが、どうやらドレスのような裾の広がった服を着ているらしく、髪も長い。なので、女の人だろうと思ったのだ。
「……女性のようだな。一昔前の衣装のような気がする」
「やっぱりエムレが一番見えているわね」
ロクサーヌが苦笑して言った。エムレがアイシェを見る。
「お前、魔眼は?」
「魔眼と霊感は別物よ」
答えたのはロクサーヌだった。エムレは「なるほど」とロクサーヌの言葉を信じたらしい。彼はロクサーヌには素直だ……。
「手招きしてるぞ」
「ついて来いってこと?」
エムレの言葉にアイシェが首をかしげる。ロクサーヌは少し眉を顰め、言った。
「行ってみましょうか」
え、行くの? と思ったが、アイシェも気になると言えば気になる。ロクサーヌが行くというのであれば、魔法が関わらない範囲で何とかできるのかもしれない。
バスケットを片づけ、三人はその女性の霊体についていく。木の根に躓くこともあったが、そのあたりは悪態をつきながらエムレがフォローしてくれる。
「もっと注意して歩け!」
「これでも十分注意してるわよ!」
「二人とも、元気ねぇ。若さね」
しみじみと言うのはロクサーヌだ。彼女はスカート姿で危なげなく悪路を行く。悪路を歩きなれているのがわかる足取りだった。
ロクサーヌのことは尊敬しているが、たまに正体が気になる。見かけより年を取っているのはわかるし、魔法学校の校長ともかかわりがあるのだろう。シナンも半世紀近く魔法を使っていないのだと言っていたから、六十年前の戦争に参加していた可能性だってある。
結局、ロクサーヌはいくつなの? という疑問に行きつくわけであるが。
霊体の女性を追ってたどり着いたのは、崩れかけた屋敷だった。そこで霊体はすっと姿を消す。
「……お屋敷に見えるんですけど」
「俺にも」
アイシェとエムレがロクサーヌを見た。彼女も「そうね」とうなずく。
「何かあるんでしょうか」
「どうかしら。入るのは危なそうだけれど」
そう言いながらも、ロクサーヌは真剣な表情だ。明らかに『何かある』のだろう。魔法を使わない、と言いながら彼女の本質は限りなく魔法に近しいのだと思う。
ロクサーヌはしばしためらったようだ。中を改めたいが、彼女は子供たちを連れている。
「……戻りましょうか」
彼女にそう言われれば、アイシェとエムレに反論する気はなかった。
△
その夜のことである。エムレの寝室から声が響いた。
「なんだお前は!」
はっきり聞こえたその声に、アイシェは飛び起きた。ガウンを羽織って廊下に出る。すると、ロクサーヌも部屋から飛び出してきた。二人は顔を見合わせ、エムレの部屋のドアを開けた。鍵は閉まっていたが、ロクサーヌがマスターキーを持っていたのである。
「エムレ!」
扉を開くと、エムレはベッドの上で剣を構えていた。その切っ先には女性……正確には、女性の霊体に向けられている。昼間、森で見た女性だ。
「……エムレ。剣を下ろしなさい」
おそらく、突然のことでエムレも混乱していたのだろう。ロクサーヌの落ち着いた声に、自分も落ち着いてきたらしい。ゆっくりと剣を下ろした。
「何かご用かしら」
話しかけたのは、女性の霊体に対してだった。家まで追ってきたのは、何か意味があるのだろうと問いかけたのだ。
「‐‐‐‐」
口を開いたが、話せないようだ。確かに、それほど強い霊体ではない気がする。アイシェにもぎりぎり見えるレベルしか力がない。エムレの元に現れたのは、彼がこの三人の中で一番よく『視える』からだろう。
「エムレ、聞き取れる?」
エムレは首を左右に振った。さすがに、聞き取れないらしかった。力が弱すぎて、声が届かないようだ。ロクサーヌは何を考えたか、一度階下に降りると、すぐに戻ってきた。持っているのは通称『魔女の軟膏』。ポプラを材料とした軟膏である。彼女はそれをエムレに塗った。ついでにアイシェにも塗る。
ポプラは神の声を聞く木だ。霊体たる相手にも効果があると踏んだのだろう。魔法は使わないと言いながら、こういうことはするらしい。矛盾を感じるのはアイシェだけだろうか。
女性の霊体の姿がはっきり見えるようになった。かすかだが、声も聞こえる。
〈助けていただきたいのです〉
そう聞こえた。ロクサーヌも同じように聞こえたらしく、「どういうことかしら」と聞き返している。
〈わが一族が守り続けた秘宝が、心無いものに盗まれてしまったのです〉
エムレがロクサーヌを見た。アイシェも彼女を見上げる。ロクサーヌは難しい顔をしていた。
〈お願いです。あれが使用されては、大変なことになる――!〉
もともと、そんなに強い霊体ではないのか、言葉尻が消え、そして、しばらくしてその姿も見えなくなった。一番見る力が強いであろうエムレにも見えていないらしいので、本当に消えてしまったのだろう。戸惑ったようにエムレがロクサーヌを見た。
「秘宝って、なんのことだろう?」
考え込むように、ロクサーヌは眉を顰める。
「残念だけど、私にも心当たりはないわ。……調べてみることはできるけれど」
「え、でも」
アイシェは言おうとして、慌てて口を閉ざした。しかし、ロクサーヌは苦笑を浮かべる。
「ええ、そうね。調べていては間に合わないでしょう。……けれど、私たちが何かするいわれもないわね」
「……」
思わずジト目で師を見る弟子二人である。屋敷の中を見るくらいはかまわないと思うのだが。
「……あのお屋敷、放棄されてからずいぶん経つようね。私も存在を知らなかったわ。ということは、あの場所は放棄されてから百年近くは経っているということよ」
いろいろ突っ込みたいが、ひとまず話を聞くことにした。
「そういう建物って危ないのよ。いつ崩れてくるかわからないわ。……まあ、私も気になるのは否定しない。今日の昼間、近くまで行ったとき何かある、とは思ったしね」
彼女の足をとどめさせているのは、彼女が魔法を使わない、としているからだ。それでも。
「『旧き友』というのは面倒なものね。世界の安定を図る。……見逃すな、ということなのかしら」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
一番霊感が強いのはエムレ。アイシェも魔眼の影響で多少見える。ロクサーヌは実は三人の中で一番見えていないけど、長年の経験から『感じて』いる。