Ⅴ 討伐
貸本屋の店番をしていたアイシェは、あわてて入ってきたパン屋のおじさんに「いらっしゃいませー」と声をかけた。こんな朝早くから人が来るとは思わなかったのだ。
「ああ、新しい弟子のお嬢ちゃん。ロクサーヌはいるかい?」
焦った様子でまくし立てたそのおじさんに、アイシェは目をしばたたかせると「お待ちください」と言って店の奥に声をかけた。
「エムレ! ロクサーヌさんいるー!?」
薬を作っていたらいないかもしれない、と思い、エムレに声をかける。しばらくして、二人は一緒に出てきた。
「どうかしたの? あら、おはよう」
出てきたロクサーヌはパン屋のおじさんに驚いたようだが、すぐに笑みを浮かべてあいさつをした。おじさんはやはりあわてた様子でロクサーヌの腕をつかんだ。
「ロクサーヌさん! 来てくれ!」
「え、ええっ?」
ロクサーヌが引っ張られていく。
「ちょっと待て!」
エムレがロクサーヌを追おうとして、店の出口でぽかんとしているアイシェを振り返った。
「店閉めて、お前も来い!」
「あ、うん!」
あわてて店を閉めると、アイシェはロクサーヌたちを追って市場のあたりに向かった。先に到着していたエムレがアイシェを振り返る。
「呼んでおいてなんだが、お前、死体を見ても平気か?」
「え? うん」
と言うわけで、アイシェが対面したのは大きく損傷したご遺体だった。この町の人らしい。ロクサーヌが検死のようなことをしているが、どうやら鋭い爪で引き裂かれ、牙に食いちぎられたようだ。
「……ライカンスロープ……」
アイシェが小さくつぶやいた。ここは王都の外れだ。王都にはいくつか商店街や貴族街、住宅街があるが、その住宅街の端にあたる場所だった。と言っても、森があるような場所ではなく、ライカンスロープが出るにはやはり疑問しかない。
「誰か、姿を見たものはいないの?」
ロクサーヌが問うが、野次馬たちは首を左右に振った。この中には目撃者はいないらしい。
「……この時間まで見つからなかったんだ。目撃者がいなくても不思議じゃない」
エムレがロクサーヌに言った。彼女は、「そうね」とうなずきながらも言う。
「確かに、これだけの傷なら悲鳴をあげたでしょうに、誰も気づかなかったのなら周囲に誰もいなかったのでしょうね。それか、一緒にいたものも殺されるなりして連れて行かれたか、家の中に隠れて震えているか……」
「……単純に即死だったとか」
アイシェも意見してみたが、ロクサーヌは肩をすくめる。
「傷の具合からして、即死はないわね。かなりもがき苦しんで死んだはずだわ」
「……」
その美しい顔であっさりと恐ろしいことを言われ、アイシェはちょっと引いた。
「間もなく、王宮から魔獣討伐隊が来るでしょう。今夜は警備してくれるはずよ。まあ、できるだけみんな、外に出ない方がいいわね」
そのロクサーヌの言葉通り、昼過ぎには討伐隊が到着した。その様子を貸本屋の窓から眺めながら、アイシェは同じく店番をしているエムレに尋ねた。
「今朝、なんで師匠が呼ばれたの?」
別に警察でもないのに、とアイシェが不思議がると、エムレは彼女の隣から窓の外を眺めながら言った。
「師匠は魔物にも詳しいからな。魔女をやめたっていっても、あの人はやっぱり魔女なんだよ」
「うん……何となくわかる」
かつて、人と魔法がもっと共存していた時、魔術師や魔法使いは人の近くで暮らしていた。人々は、聡明な彼らに知恵を借りに訪れたという。おそらく、そんな状態なのだ。
「……ライカンスロープ、見つかるといいね」
「お前はせいぜい食われないように気を付けるんだな」
ふん、と憎まれ口をたたき、エムレは窓の側を離れた。振り返ったアイシェは、そんな彼に向かって思いっきり舌を突き出した。
それから二日間、何の事件もなかった。もちろん、人々はいつ襲われるかとピリピリしているが、それはそれ。表面的には何事もなかった。
最初の事件から三日目の夕暮れ時である。ロクサーヌの家である貸本屋の存外近くから悲鳴が上がり、アイシェは店を飛び出した。と言っても、玄関から外に出ただけである。もう店を閉める準備をしていたくらいの時間。赤い夕陽に染まる中、明らかに人間ではないシルエットが見えた。
「セット!」
女性が襲われそうになっているのを見て、アイシェはとっさに魔法弾を打ち出した。直撃はしなかったが、興味は引けたようだ。金に光る吊り上った目がこちらを向いた。その顔は狼に似ている。人狼、もしくはライカンスロープ。
ライカンスロープが吠える。アイシェは呪文をつむぐ。
「その空は赤を抱く。形なきものよ、姿を現せ!」
地を這うように炎がライカンスロープを襲った。獣に部類されるので、炎は苦手だろうと踏んだのだ。ライカンスロープはひるんだようだが、それでもアイシェに向かって襲い掛かってきた。
アイシェが魔法を展開するより早く、追ってきたエムレが滑り込み、剣を振るった。
「アイシェ、援護!」
「うん!」
エムレがライカンスロープの攻撃をいなすように剣を振るう。アイシェはライカンスロープの逃げ道をふさぐように火魔法を放つ。
「お二人とも、どきなさい!」
男性の声が聞こえるとほぼ同時に、アイシェはエムレに抱えられて道の端に連れて行かれた。どうやら、魔獣討伐隊が到着したらしい。
「二人とも、大丈夫ね!?」
少し遅れてロクサーヌが駆け寄ってきた。二人が「うん」とうなずいたのを見ると、ロクサーヌは二人の頭を撫で、最初に襲われていた女性の元へ向かった。ライカンスロープの側を駆け抜けていったのだが、ロクサーヌはひるみもしなかった。アイシェとエムレも顔を見合わせ、師の後を追う。
ロクサーヌは女性の怪我の具合を見ていた。幸い、ライカンスロープに本格的に襲われる前にアイシェが介入したので、転んで擦りむいたくらいだった。
「あ、待て!」
顔を上げると、ライカンスロープが飛び上がって逃げていくところだった。アイシェが魔法を放つ前に、ロクサーヌが近くの討伐隊員から弓矢を奪った。
「ちょっと借りるわね」
そう言うと、ロクサーヌは弓に矢をつがえ、ライカンスロープに向かって放った。直撃はしなかったが、足には当たった。それでも、ライカンスロープは逃げることを選択したらしい。
「……動く的に当てるとは。いい腕です」
「どうも。あ、これ、ありがとう」
「いえ……」
突然、美女に弓矢の腕を披露され、討伐隊も困惑気味である。討伐隊の隊長だけは楽しそうにしているけど。
「師匠、弓うまいですね」
驚きすぎてアイシェはそんな事を言った。魔法は使っていなかったが、この腕があれば普通の狩りくらいはできそうだ。
「年だけは食ってるから」
と、また周囲を困らせるようなことを言う。彼女は、どこからどう見ても二十代半ばほどにしか見えない。
「隊長、どうしましょう? 追いますか?」
討伐隊の一人が困惑気味に指示を仰いだ。確かに、ロクサーヌが足を傷つけたので、追いつくことはできる気がする。
「しかし……夜明けを待ってからの方がいい気も……」
別の隊員も意見する。確かに、もう日が暮れている。闇の中ライカンスロープを探すのは大変だが。
「いいえ。追うべきでしょう。ライカンスロープは人狼です。昼間は、人の姿をしています。あなた方、人間を狩れますか?」
ロクサーヌの問いに、アイシェは自分を除籍処分とした魔法学校の校長を思い出した。やはり、校長とロクサーヌは知り合いなのだろう。言うことが似ている。と、思った。
ロクサーヌは、校長はその時の最適解を出す、と言った。ただし、人の思いはかんがみない、とも。
ならロクサーヌは? とも思う。おそらく、彼女の発言は、この場での最適解なのだと思う。いや、違うのか? 最適解は日が昇ってから、動きの鈍い人間の状態の時に狩ることなのか? よくわからなくなってきた。
いや、やはり、今仕留めてしまうことが正しいのだと思う。朝まで待っていたら、いらぬ犠牲が出るかもしれない。
ロクサーヌ曰く、魔法学校校長は合理的な判断のできる人だが、ロクサーヌ自身もそうだ。自分で気づいているのかいないのかわからないが。
「私も同意見だ。全員、準備しろ。数人は残って住民を守れ」
「はい!」
討伐隊があわただしく準備を始める。アイシェははい、と手をあげた。
「私も連れて行ってください!」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エムレはそこそこ強い。