ⅩⅩ 永別
「わたくしとレイリであれば、お前を無に帰すことも不可能ではないのじゃぞ」
セレンが脅すようにテルミナスに向かって言った。ロクサーヌは下に向けていた切っ先を持ち上げ、剣を構えなおしている。それにつられるようにエムレも剣を構えなおした。アイシェはいつでも魔法を発動できるように魔術を編み上げる。
セレンがちらりとアイシェを見た。魔法を使える状態かを確認しているのだ。
「そんな脅しに乗ると思うのか。やれるものならやってみろ! フロースの方はそろそろ限界ではないか? 俺の呪術が効いているだろう」
アイシェはロクサーヌを見る。確かに、先ほどからまったく口をきいていないし、今も右手だけで剣を構えている。
「……私には薬学の知識があるのだけど」
突然語りだしたロクサーヌに、は? となったのはテルミナスだけではない。「それに絡む草木の知識もあるというわけでね。私の魔力は大地の息吹。もともと、地属性のものは呪いが効きにくい」
ああ、だから魔眼が効かないのか、と今更納得した。『旧き友』だからだと思っていた。
「呪いよけの樹木に力を借りたの。ちょっと目を離している隙にアイシェは魔眼を抉り出されそうになっていたけど」
「……あれってそういうことだったんだ……」
なぜロクサーヌがいてあの女生徒が部屋にはいれたのか不思議だったのだが、ロクサーヌがいなかったから入ってこられたのか。
呪いを解くには本当は日の光が良い。しかし、昨日は月が明るかったから、ロクサーヌなら十分に解呪できただろう。しかし、それでも魔力は足りていないだろう。
「この……勝てると思うなよ、俺に!」
いうことは小物っぽかったが、魔力、というよりも禍々しい瘴気は強力だった。エムレが風の斬撃で瘴気を払う。セレンが杖を両手で握り、拘束を強くした。
「やれ!」
緑の香りがした。ロクサーヌの魔法だ。アイシェはとっさに火炎魔法を放った。セレンが全力で拘束しているので、テルミナスは動けない。その体を炎が包む。獣の咆哮のような声が聞こえた。なんだかダブって聞こえるのは、テルミナスとそれについている悪魔のものか?
静かに近づいたロクサーヌが剣を振るった。『旧き友』とはいえ、テルミナスも人だ。首を落とされたり、心臓を貫かれたりすれば死ぬ。ロクサーヌはテルミナスの首を落とした。たぶん、六十年前も十分準備を整えられれば、この二人はテルミナスを逃がすようなことはなかっただろう。
「セレン」
膝をついたセレンに、ロクサーヌが駆け寄った。アイシェとエムレもかけよる。頽れたセレンを支えたロクサーヌは、そのまま彼女を横たえた。セレンがロクサーヌの左腕をつかむ。
「腕、解呪できていないのであろう」
ロクサーヌが顔をゆがめたのを見て、セレンは気が付いたのだろう。ロクサーヌも否定せず、「耐性はあるんだけどね」と答える。
「このままでは腐り落ちるわね」
「!」
アイシェとエムレが驚いて顔を見合わせる。ロクサーヌに抱えられたセレンは目を細めた。
「よかろう。これを連れて行こう」
「校長!」
アイシェが叫ぶ。それにこたえるようにセレンがアイシェを見た。
「そのような顔をするでない。わたくしは、お前を学校から追い出したのだぞ」
「それとこれとは別です!」
「長く生き過ぎて人間の心をどこかに置き忘れてきたんじゃないの」
ロクサーヌの憎まれ口に、セレンは笑った。
「そう……そうじゃな」
セレンはロクサーヌの腕を握った小さな手に力を籠める。
「約三百八十年。わたくしが生きた記録じゃ。受け取れ」
「え、待って。セレンて三百八十歳超えてるの」
ロクサーヌがツッコミを入れかけたが、その前に上体がぶれた。倒れこみかけたのをエムレが支える。
「師匠! セレンさん!」
エムレが呼びかける。アイシェはセレンの息と脈を確認したが、すでに亡くなっていた。
「……私を拾ったときから、いつ死んでもおかしくなかったのよ。……と、わかってはいるのだけど」
ロクサーヌは自分の左腕の傷が無くなっているのを見て顔をしかめた。セレンは宣言通り、呪術を一緒に持って逝ったのだ。
先ほどまで会話していたのに。見開いたアイシェの瞳から涙がこぼれた。ロクサーヌがアイシェの頭をなでる。
「理解できるのと、受け入れられるのは別よね」
そう言って、ロクサーヌはセレンの杖を持って立ち上がった。
「いつまで見ているのかしら。臆病な悪魔のようね? だからテルミナスの中に隠れていたのかしら」
アイシェははっとロクサーヌが見つめるほうを見た。少年ほどの外見の悪魔がうずくまっていた。悪魔はその外見がまちまちであるが、人型であることも珍しくはない。と、本で読んだ。
その少年の姿をした悪魔が顔を上げた。目の形が人間ではない。叫び声をあげて悪魔がロクサーヌに襲い掛かる。ロクサーヌが右手の剣を振るった。悪魔の肘から先が切り落とされる。続いて魔法が展開された。昨日の調律魔法に似ているが、別物だ。
幻影だ。わかっている。色とりどりの花。複雑な形の木々。流れる川。人々の時代の前。神の世。エデン。
「神話の時代に苦しみも、怒りも、痛みもない。安心して行きなさい」
セレンは、ロクサーヌと二人であれば無に帰すことすらできる、と言ったが、これはそれに近い。ただし、今回の場合は悪魔が自ら進んでいかなければならない。無に帰すのではない。自ら歩ませる。
「お前は私の仲間を何人も殺したわ。許さない。けれど、存在を消すほどではないと思ってる」
魔法は浄化でも、癒しでもない。ただそこにあって、存在を肯定するだけ。
「だから、行きなさい」
幻影が消えた。悪魔も、その先へ行ったのだろう。消えていた。
「……行った?」
「ええ」
アイシェの問いかけに、ロクサーヌがうなずいた。
「あまり強くない悪魔だったんだな……」
エムレが近づいてきて言った。ロクサーヌは「そうね」とうなずく。
「私はセレンとテルミナスの遺体の処置をするわ。二人は外の様子を見てきてくれる?」
「あ、はい」
「わかった」
体よく追い出されたのはわかったが、そういえば魔獣が襲ってきているのだということも思い出した。
「行くぞ」
「うん」
エムレとともに外の様子を見に行く。相手にもよるが、魔獣相手くらいならアイシェでもなんとかなる。……たぶん。
「あ、シナン先生!」
「エムレとアイシェか。師範と校長はどうした」
駆け寄ってきたシナンは、体の半分が血に染まっていたがぴんぴんしていた。もう、個々の先生たちが分からない。
「師匠は、セレンさんの遺体の処置をしてる」
「そうか……」
鉄面皮のシナンも、流石に顔をゆがめた。それくらい、この学校でのセレンの存在は大きかったということだ。
「あの、魔獣は……?」
「すべて倒した。問題ない」
「そ、そうですか……」
やっぱりこの学校の先生たちはちょっとおかしい。アイシェ達が出る幕もなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
セレンは時を操り、限定的に遡らせることができる。ロクサーヌは、花の魔女。限定的に『楽園』を創出できるので、無に帰すことは理論上できます。
ちなみに、ロクサーヌが片腕を失うルートもありましたが、やめました。