Ⅱ 魔眼
本日二話目です。
弟子にとることは断ったとはいえ、行き場のないアイシェを放り出すことはできなかったロクサーヌである。エムレに「お人よし」と言われながらも、ロクサーヌはアイシェが泊まることを許可してくれた。エムレもまさか放り出すわけにもいかないから、ぶつぶつ言いながらも受け入れてくれる。
そんな彼の紹介はこうだった。
「彼はエムレ。十年ちょっと前に、バンシーが連れてきたのよ。以来、一緒に暮らしているわ」
ざっくりした紹介だったが、突っ込みたい。バンシーが連れて来たってどういうこと? 仮にも魔術師見習いであるアイシェはそれなりに摩訶不思議な現象にも慣れているが、これは初めてのパターンである。
ひとまず、深く突っ込むことはやめて「よろしくね」と言ったのだが、エムレは鼻を鳴らしただけで台所へ引っ込んで行った。それを見たロクサーヌが苦笑する。
「あらあら。夕食を作りに行ったのよ。アイシェ、食べられないものはある?」
首を左右に振る。孤児院育ちのアイシェだ。よほどのものでない限り、食べられないことはない。
「良かった。エムレの料理はおいしいわよ」
と、ロクサーヌも台所へ向かった。アイシェも立ち上がる。
「あ、あたしも手伝います」
「座っていなさい。お客様なんだから」
そう言われてアイシェはへなへなと座り込んだ。その膝に白い猫が飛び乗ってくる。その長い毛を無意識になでる。猫が膝の上で丸くなる。
「まあ、ラシード。あなた、何してるの」
〈猫の特権だ〉
膝元の猫から低い男性の声が聞こえて、アイシェはピクリとなでる手を止めた。運んできた鍋からスープをよそいながらロクサーヌが言った。
「あのね。若い女の人ばかり狙って撫でられに行くの、やめなさい」
〈若い女性と言うのは、存在するだけで癒しだ〉
可愛い姿でおっさんのようなことをいう猫を、ロクサーヌはアイシェの膝から降ろした。
「ラシードよ。私の使い魔なの」
簡潔な説明に、アイシェは納得してうなずいた。どおりでしゃべるわけだ。ロクサーヌの魔力を与えられてこの猫、ラシードは存在しているのだ。
「……使い魔なんて初めて見ました」
「あら、校長は?」
「校長先生にも使い魔がいるんですか?」
アイシェを追いだした人だ。思い出すと今でも怒りが込み上げてくる。
ラシードにもごはんを上げながら、ロクサーヌはあいまいに笑った。知らないのなら、答える気はないようだ。
「お前、ただの客のくせに生意気だぞ」
台所からチキンの煮込みを持ってやってきたエムレが言い放った。そう言いながらも、アイシェの分も盛り付けてくれるあたり、悪く成り切れていない気がする……。
いただいた食事は文句なしにおいしかった。目を丸くしておいしい、というアイシェにロクサーヌが微笑む。
「エムレは私よりも料理が上手なのよ」
「……そんなことないけど」
つんとしながらも照れているようだ。しかし、本当においしい。孤児院では食べられればいい、と言う感じだったし、学校では一定の量はでるが、こんなこった料理は出ない。
さらにデザートまでいただき、アイシェは感動しきりだ。
「おいしかったです!」
「これだけおいしそうに食べてもらえれば、作ったかいがあるわね」
ロクサーヌがからかうように言ったが、やはりエムレは視線をそらすだけだ。すねているようにも見える。
「客間を用意してあるわ。今日はそこに泊まっていきなさい」
後片付けを終え、ロクサーヌはそう言った。案内してくれたのはエムレだ。体よくはぐらかされたような気がする……。
「お前、明日には出ていけよ。師匠は魔術師の弟子は取らないんだからな!」
勘違いするなよ、とアイシェを客室まで連れて来たエムレは不愛想に言った。ならば、彼女を師匠と呼んでいる彼は一体何なのだろう。
「……なんでエムレさんはロクサーヌさんを師匠って呼ぶんですか?」
「はあ? そんなのどうでもいいだろ」
エムレが眉根を寄せて言った。彼はアイシェの問いに答えず、簡単にバスとトイレの場所を教えて何か困ったら自分に聞くようにと言った。
「師匠はともかく、間違ってもラシードを呼ぶなよ。仮にも女だからな」
なんだかちょっと失礼なことを言われた気がするが。
「わかりました」
うなずくと、エムレはお休み、と言って自分の部屋に向かった。ぶっきらぼうだが、優しいとは思う。少なくとも、学校を追放されたと言ってもそれを理由にアイシェをさげすんだりしなかった。
ベッドに横になると、すぐに眠くなった。明日からどうするか考えなければならないのに。
しかし、体感時間としてはすぐに、アイシェは目を覚ました。いや、目を覚まさざるを得なかった。すぐ近くに気配を感じた。
「ひっ……!」
喉の奥で引きつった悲鳴が上がった。すぐそばに男が立っていた。この感じは、魔術師だ。落ち窪んだ目をしており、顔には狂気がにじんで見えるようだ。
「お、おお……! これほど強力な魔眼が手に入れば……!」
体が動かない。アイシェの目に向かってその手が伸びる。
「そこまでだ」
少年の声が待ったをかけた。アイシェはその声にはじかれたように身を起こし、ベッドの足元の方へのがれた。エムレが侵入者に剣を向けていた。
「ここが誰の家かわかってのことか? だとしたら、相応の覚悟はできているんだろうな?」
ぐっと剣がのど元に押し込まれ、男は「ひぃ」と悲鳴をあげた。エムレが鋭く言い放った。
「早く立ち去れ!」
這う這うの体で男は逃げ出した。どうやら窓から侵入してきたらしい……。エムレが窓から外をのぞく。アイシェも恐る恐る覗き込んだ。
庭に面した窓だった。庭では、ロクサーヌが男を見送ったようで、アイシェはほっと肩を落とした。
「あ、ありがとうございました」
「お前! 魔眼もちならもっと危機感持てよ!」
いきなり怒鳴られ、先ほどのことも合ってアイシェはびくっとした。
「ご、ごめんなさい」
「俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだ、ったく……!」
口は悪いが、これは心配してくれている……ようだ。なので、アイシェも礼を言った。
「……ありがとうございました」
「ん」
一つうなずかれたので、本当は割と素直な性格をしているのかもしれないと思った。
「大丈夫か?」
重低音が響いた。するりと入ってきたのは白い毛並みの猫だ。ラシードである。
「おい、師匠に入るなって言われただろ」
「だが、私が一緒にいれば避けられただろう事態だ」
「そうかもしれんが、そういう問題じゃねぇだろ」
そう言ってエムレがラシードを抱え上げた。そこにロクサーヌが戻ってくる。
「アイシェ、ごめんなさい。大丈夫だった?」
「あ、はい。エムレさんが助けてくれました」
「そう。エムレにも世話をかけたわ」
アイシェは思ったより自分が落ち着いていることに気付いた。
「私がいればあんな奴が侵入してくることはなかった」
「はいはい。でも、そういう問題ではないわ」
ロクサーヌはエムレと同じことを言った。ラシード、信用がなさすぎである。
とりあえず一度客室を出て、居間に出た。ミルクにはちみつを溶かしたものを出される。ありがたくいただいた。
「なんだったんだ、あれ」
「魔術師でしょうね。魔眼と言うのは、使い道が多いから。いろいろとね」
足りない魔力を補助してくれたりもするらしい。
「師匠の結界を越えてきたのは?」
「もともと、それほど強い結界ではないからね。そこに強い魔眼もちが現れてゆがみが生じたのでしょう。うかつだったわ」
「ご、ごめんなさい」
アイシェが思わず謝ると、ロクサーヌは首を左右に振った。
「いいえ。私が気づくべきことよ。危ない目に合わせてしまったわ。ごめんなさい」
「いっ、いえ!」
今度はアイシェが首を左右に振る。エムレは気に食わなさそうに眉をひそめている。
「とりあえず、明日また話し合いましょう。もう日付越えてるけど……」
到底寝入ることなどできないと思ったが、飲んだミルクに何か入れていたのか、横になるとすとんと眠りに落ちたアイシェだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
また、今回も隔日投降で行こうと思います。