ⅩⅧ 魔法
物音がして、アイシェは目を覚ました。アイシェが寝ていたベッドサイドで、ロクサーヌが女子生徒の腕をひねり上げていた。
「ああ、ごめん。起こしたわね」
「……何してるんですか」
「ちょっとね」
「邪魔しないでよ。魔法から逃げたくせに。あんたに魔眼は必要ないでしょ!」
ロクサーヌに腕をひねられている女子生徒が訴えるが、いや、そういう問題じゃない。しかも、アイシェのほうが狙いなのか。
「校長が言ってたのって、こういうことかぁ」
もはや追い出すのはロクサーヌに丸投げである。魔法を使ってもロクサーヌに勝てる気がしないし。結局ロクサーヌはその女子生徒の首根っこを持ち上げて、部屋の外に出した。
「ありがとうございます」
「アイシェもなかなか図々しくなってきたわね」
「師匠はもっと繊細な人だと思っていました」
言い返すと、ロクサーヌは困ったように笑った。
「繊細ではないわね。優しいと言われることはあるけど、短気なほうだという自覚はあるし」
いうほど短気ではない気がするが、本人に自覚があるから単に気を付けているだけなのかもしれない。
「ていうか、どうやって入ってきたんだろう」
「それなのよねぇ。カギはかけていたんだけど」
結界でも張っておきましょうか、とロクサーヌ。床に魔力のある木の枝を配置しているあたり、できるだけ魔法を使わない方向で行きたいのかもしれない。ベッドから降りてその作業を眺めていたアイシェは、ロクサーヌが右腕しか動かしていないことに気が付いた。
「左腕、大丈夫ですか」
「ああ、セレンも言っていたけど、これくらいは問題にならないのよ。つくづく、自分は魔女なんだなって思うわよね」
「魔女でも限度があると思うんですけど……」
にこっと笑ってロクサーヌははぐらかした。本当に動かないのかもしれないし、口で言うようにそれほどひどくはないのかもしれない。
うん。寝よう。少なくともロクサーヌはアイシェよりも強いのだから、心配しすぎることはないのだ。たぶん。
△
次にアイシェが目を覚ますと、すでに朝だった。よく眠った気がする。アイシェを一人にしたくなかったのだろう。ロクサーヌは目覚めていたが、部屋にいた。
「おはようございます」
「おはよう、アイシェ」
夜中に見た時とは違い、ロクサーヌの左腕は動いていた。髪をポニーテールに結い上げている。三つ編みを見慣れているので、ちょっと違和感がある。活発的に見える。
アイシェも顔を洗って素早く着替えた。髪をすかしながら、あ、と思い出す。
「夜は、ありがとうございました」
「ん?」
「助けてくれたんですよね。お礼を言ってなかったなって思って」
そう言うと、ロクサーヌは思い出したように「ああ」とうなずいた。
「私も目が覚めてしまったもの。それに、一応あなたの師であるからね」
「……」
一応、アイシェを弟子だと思ってくれていたのだ。その事実に、アイシェの頬が緩む。
『旧き友』というのは、普通のアイシェのような人間ほどの睡眠を必要としない。しかし、魔力を回復するのに睡眠は有効だ。ロクサーヌもがっつり寝ていたようだが、もともとの容量が大きいので、それほど回復しているようには見えなかった。
「あの男、また襲ってくるんでしょうか」
アイシェの疑問に、ロクサーヌは「たぶんね」と答えた。一緒に朝食をとっていたエムレも視線をロクサーヌに向ける。
「弱っているはずだから、すぐに襲ってくるとは思えないけど。その間に、私たちは帝都に戻ってもいいけれど……離れている間に襲われたら、私たちだけで逃げ切るのは難しいわね」
ということは、今後の憂いを取り除くためにも、学校にとどまって奴を討つ必要がある。……ということを確認しただけだった。
たぶん、ロクサーヌもセレンも、単独では彼を撃破できないのだ。ロクサーヌなら相打ちくらいには持っていけるかもしれないが。魔法から離れていた期間が長すぎるし、そもそも、相打ちになってしまっては意味がない。そこまで状況が切羽詰まっているわけではない。それよりも、今取り逃がして帝都に連れて行ってしまう方が問題だと思っているわけだ。
「疑問なんだが」
そう声を上げたのはパンをちぎっていたエムレだ。
「アイシェの魔眼は効いていたのか? 作動している魔力は感じたが」
「効いていたわよ。思っていたよりかなり強力ね、あなたの魔眼は」
「……それ、私は大丈夫なんですかね」
ロクサーヌに言われるほど強力な魔眼だということで、ちょっと怖くなるアイシェ。
「それで適合しているのだから大丈夫よ。ただ、一つだけ覚えておいて」
ロクサーヌは真剣な表情でアイシェに言った。
「あなたは魔眼に支配されているのではない。あなたが魔眼を支配しているの。魔眼に振り回されてはならない。いつだって、主導権はあなたが握っているのよ」
初めてロクサーヌがくれた魔術に対する助言は、なんだか魔術の核心をついているような気がした。
「……はい」
しっかりとアイシェがうなずいたのを見て、ロクサーヌもほほ笑んだ。たぶん、ロクサーヌはこれを遵守できなかったのではないだろうか。魔法に、振り回された。自分が魔法を支配するのではなく、支配されてしまったのではないだろうか。
まあ、アイシェの考察はともかくだ。
「アイシェの魔眼は恐怖と混沌を司るわね。感づいているかもしれないけど、あの男は呪術に関して秀でているわね。基本的に、呪術はアイシェの魔眼と似たような作用を持つから、アイシェの魔眼の効力にからめとられてしまうのよ。アイシェの魔眼がにらんでいる間は、あの男の呪術も威力を削がれるということね」
あれ、呪術ってそういうもんだっけ、と思ったが、そういう、混沌系の呪術を使うのだろう、と納得する。それはもはや魔法使いではなく呪術師なのではないかと思うが、セレンが言うのなら彼も『旧き友』なのだろう。
「じゃあ、私も一緒にいた方がいいんですか」
「どちらかというと、私はアイシェの炎の魔力のほうが魅力的ね」
「私の火炎魔法、浄化能力はないんですけど……」
通常、炎系の魔法には浄化能力が付与されていることが多い。しかし、アイシェは魔眼の影響か、魔法に浄化能力がほとんどない。
「ああ、それはいいのよ。単純に強い火力が欲しいだけだから」
「それは師匠の魔法に攻撃能力がないからか?」
エムレが何気なく尋ねた。ロクサーヌは「まあ、そうね」と少し顔をしかめた。『花の魔女』の魔法は文字通り花の魔法、生命の息吹だ。攻撃能力はほぼ皆無。だからロクサーヌは『武闘派魔女』なのだ。
「私の魔法はよく燃えるでしょう」
「……」
相性的に、確かにそうかもしれない。花は火でよく燃えるだろうが、本来ロクサーヌの魔法をアイシェの魔術で燃やすことはできないだろう。魔法対決をして、相性で勝っていても、アイシェはロクサーヌに勝てない。それくらいの実力差がある。
「……何かあったのか?」
そう声をかけてきたのはシナンだ。……平然と声をかけてきた。今は授業中の時間である。というか、昨日あれだけの騒ぎがあったのに普通に授業をしているこの学校、やっぱりいろいろおかしい。
「あら。傷は大丈夫なの?」
ロクサーヌも気軽に声をかける。アイシェはどこから突っ込んでいいやら、エムレと顔を見合わせた。
「問題ない。師範に刺されたところが一番痛い」
「嘘をつかない。痛くないように刺したはずよ」
「それもそれで怖いが」
確かに。気づいたら失血死、なんてこともありそうだ……と現実逃避してみる。アイシェはエムレの隣に座ったシナンを見て声をかけた。
「シナン先生、授業は? ていうか、昨日めちゃくちゃ斬られてましたよね?」
え? 気のせい? となるくらいには平然としている。
「あれくらいで死にはしない」
「そのセリフ、昨日から耳が痛くなるくらい聞いてます」
言ってしまえば、ロクサーヌだって呪いが解除できていない状態で平然と歩きまわっているわけだし。
かなりはぐらかされて説明されたところによると、シナンは簡易不老不死の特異体質なのだそうだ。キメラ? キメラなの? と思ったが、突っ込まないで置いた。ちなみに、簡易なので死ぬことはあるらしい。ロクサーヌが昨日使った毒は、そのままにしていれば普通に死ぬらしい。そんな情報はいらない。
わかっていたが、魔術師というのは変わった人間ばかりだった……。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
シナンは特異体質。『旧き友』ではありません。