ⅩⅣ 学校
「じゃ、ラシード。留守番よろしく」
「何故私だけ留守番なんだ……」
最近留守番の多い猫の使い魔は不服そうだ。ラシードはロクサーヌの代わりに、この家の魔法的守りを担っている。ラシードはロクサーヌの使い魔だから、魔法を使わないという彼女の意に反している気がするが、魔法的守りを置かないわけにはいかないので仕方がない、と割り切っているらしい。
あの日通った道を、今度は逆に通る。一日かけて、学校にたどり着く。アイシェが一人で来た時よりも早いのは、同行者のロクサーヌとセレンが金に糸目をかけなかったからだ。だから、かなり快適に迅速に到着した。
本当に学校なのか、と疑いたくなる大きな門の前。さすがに、中に入るのには緊張を強いられた。
「エムレ、アイシェと一緒にいてあげるのよ」
「言われなくてもそうする。俺だって、こんなところで一人になりたくない」
そう言ってしまう程度には、エムレも緊張しているらしく、アイシェはむしろほっとした。いざ、尋常に突入である。
見た目美少女と見た目美女と、退学になった少女と謎の青年。注目を浴びる。校長であるセレンがいるので、当然なのだが。たぶん、ロクサーヌも目立っている。魔女らしからぬ格好をしているのに、気配は魔女なのだ。混乱しそう。
「……本当に連れてきたのか」
そんな驚いた声を上げたのは、シナンだ。ロクサーヌがばつの悪そうな表情になる。うむ、とうなずいたのはセレンだ。
「これの扱いは、わたくしもよく心得て居るつもりじゃ」
「……」
さすがのロクサーヌも何も言えないようだった。
話しかけてくるのは先生だけで、生徒たちは遠巻きに眺めているだけだった。だが、アイシェをいぶかしむように彼らは眺めていた。こそこそと話しているのに、声がはっきりと聞こえる。
「あいつ、退学になったんじゃなかったのか? どうやって取り入ったんだ」
「行く場所がなくて、てっきりのたれ死んだと思ってた」
「やだぁ。さすがに可哀そうよ。気持ちはわかるけど」
アイシェはぎゅっと唇を引き結んだ。あんな奴らが学校に残っていて、自分が退学になったのはやはり理不尽なような気もする。だが、ロクサーヌのもとでゆるりと学ぶのも悪くない、と思う自分がいる。少なくとも、ロクサーヌは知識が豊富だ。セレンが自分の後釜として教育したのだから、当然かもしれないが。
突然、後頭部を軽くはたかれた。エムレである。
「痛っ。なにすんのよ」
「気にするな、というのは無理だろ。だから、俺はお前がちゃんとすごい魔術師だって知ってるってことを理解しておけ」
これはエムレなりの慰めなのだろうか。目をしばたたかせ、アイシェは微笑んだ。
「もうちょっと語彙どうにかならないの?」
「はあ!? 調子に乗るなよ!!」
うん。これでこそエムレだ。アイシェは小さく言った。
「ありがと」
「ん」
少なくとも一日は学校に泊まることになる。在学中は寮に住んでいたアイシェだが、今はお客さんだ。客間に入り、アイシェはちょっと複雑な気分だ。
部屋はロクサーヌと同室だった。さすがにエムレは別室だ。アイシェとロクサーヌも別でもよかったのだ、アイシェの魔眼のことがあるので同室にしたのだ。セレンとシナンから、魔法を使わなくても撃退できる、とお墨付きをもらった。
「私はこのままウィローの様子を見てくるけど、あなたたちはどうする?」
尋ねられ、アイシェとエムレは異口同音に「行く」と答えた。見ないはずがないだろう。ロクサーヌは肩をすくめて、二人を連れてウィローの植えられた川辺に向かった。
「……本当に全部枯れてる」
「ここまでくると壮観ね」
少しあきれたようにロクサーヌが言った。アイシェは呆然と周囲を見渡した。あんなに青々と不気味だったウィローがすべて枯れていた。魔力が枯渇しているのが分かる。
「……ここ、魔界との境界なんだ」
「そういうことよ。川がもともとの境界ね。そこにウィローを植えて、なだれ込んでこないようにしたんだけど」
「お前の魔法でぱぱっと何とかできんのか」
セレンが言った。ロクサーヌは「私は魔法は使わないわ」と言った後に付け足した。
「というか、魔法を使ったとしてももとには戻せないわね。私の魔力が枯渇するわ」
「で、あるな……それでわたくしもあきらめたのじゃ」
「魔力が絶えているわね。今は大丈夫だけど、何とかしないと早々に混じりあうわ」
「わかっておる。緊急に処置はしてあるが、原因がわからんのでな」
アイシェは川の方を見た。確かに、何らかの魔法的処理がしてある感じはする。
結局、その日は調査だけで終わった。少なくとも五日前からこの状態らしく、セレンは調べてそれなりの処置をした後、まっすぐロクサーヌを呼びに行ったのだ。
「得意分野であろう、『花の魔女』」
「どちらかというとあなたの分野よね、『時の守り人』」
「……もはや、それほどの力はない」
疲れたようにセレンは言い、その場にしゃがみこんだ。セレン、とロクサーヌが駆け寄った。
「魔界が流れ込んでくるようなことがあれば、由々しき事態じゃ。しかし、わたくしにはそれに対応しきる体力がない。シナンをはじめ、教師たちは優秀であるが、生徒たちも守らねばならん。戦力が足りないであろうな……」
生徒たちの中には、アイシェのように行き場のない子も多い。避難するのも難しいのだろう。
「とりあえず、処置はしっかりしているし、明日シナンも交えて何とかしましょう」
「魔法は使わないのではなかったのか」
面白そうにセレンが言うと、ロクサーヌはにっこり笑って言った。
「そこの川に沈めてもいいのよ」
絶対にそんなことをしないだろうな、とアイシェは思った。慌てるより前に思った。これも、彼女らの信頼関係なのだろう。と、思うことにする。
夕食は食堂でみんなととった。やはりアイシェは遠巻きに見られていたが、ロクサーヌと乱入してきたシナン、エムレが一緒だったのでさすがに声はかけられなかった。
「何かわかったのか」
「わかったから明日、あなたが魔法を組み立てるのよ。得意でしょう、方陣魔法」
「師範から習ったんだが」
「そうねぇ」
のんびりとロクサーヌがうなずいた。エムレが眉をひそめて尋ねる。
「シナンさんと師匠ってどういう関係なんだ? 師弟?」
「戦場で拾ってもらったんだ」
「戦場って、六十年前の?」
重ねてアイシェが尋ねると、シナンがうなずいた。
「そうだ。俺は当時一兵卒で、死にかけのところを師範に拾ってもらったんだ」
「お、おお……」
エムレと反応が同じだった。ロクサーヌは昔から薬学に詳しかったそうなので、戦場で医療活動をしていても不思議はない。
「一兵卒ってことは、シナンさん、最初は魔術師じゃなかったってこと?」
これを尋ねたのはエムレだ。彼はうなずく。
「普通に暮らしていたら、自分に魔術の才能があるなんてわからないからな」
「あ、そうなんですね」
エムレはバンシーに拾われたし、アイシェは昔から魔眼があったので、最初から魔術に才能があるのはわかっていた。
「結構、死にかけて魔術師の才能があることが分かる人って多いのよね。私もそうだし。セレンは覚えてないって言ってたけど」
「当然だ。三世紀以上前の話だろう」
「正確にあの人がいくつかのか私も知らないけど、四世紀近くは生きてるわね。帝国が成立する前の話を聞いたことがあるもの」
「……」
魔術師は基本的に体が丈夫であるのだ。『旧き友』はそれが抜きんでているから、ロクサーヌがどんな死にかけの目にあったのか、怖くて聞けなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
シナンはロクサーヌが戦場で拾ってきた。正確には、敗戦した戦場で生きているのを見つけて治療しました。