Ⅰ 除籍
新連載です。よろしくお願いします。
ペルシス帝国最高峰の魔法学校に所属するアイシェは憤慨していた。たった今、退学を申し渡されたのである。
退学である! この学校に入るのに、どれだけ苦労したと思っているのだ。まあ、教師陣はそんな事を考えていないだろうけど。
別にアイシェは成績不振だったわけではない。理由を聞いても、はぐらかされるだけで明瞭な答えを得られなかった。
それでも、言われたからには退学しなければならない理不尽さよ! 国に訴えてもみたのだが、後ろ盾もないアイシェではどうにもならなかった。五日以内に荷物をまとめて出ていけと言われている。
一応、三年間この魔法学校で学んだ。そのため、ある程度の魔法技術はある。とはいえ、退学になったというのは汚点だ……どこかで仕事を得られるといいのだが。せめて紹介状でも書いてほしいところである。
五日以内に出ていけと言われたアイシェは、早急に退去の準備をしなければならない。足早に寮に向かっていたアイシェは声をかけられた。
「アイシェ」
「シナン先生」
魔法構築学の教師がちょいちょいと手招きしていた。二十代後半に見える彼は、女子学生の中でも人気が高い。アッシュブラウンの髪に青い瞳が印象的な端正な顔立ちをしている。
アイシェがシナンに近寄ると、彼は彼女に二つ折りにした小さな紙を差し出した。
「……なんですか、これ」
「帝都のこの住所に俺の師が住んでいる。困っている人を放っておけない人だから、助けてもらえ」
「……ありがとうございます」
シナンの師ということは、魔術師なのだろう。師に対してなかなかの言いざまであるが、この際気にしないことにした。どちらにしろ、行くところはない。
「大丈夫だ。師匠は優しい。魔法の腕も当代随一と言われるほどだ。まあ、半世紀くらい使ってないらしいがな」
「は?」
それは魔術師と言わないのでは? 半世紀と言うことは、シナンはどうやって魔術を学んだのだ。つっこみどころが多すぎるが、シナンが太鼓判を押すということは、悪い人ではないはず……たぶん。
同級生たちのあざけりを受けながら学校を出ざるを得なかったアイシェは、シナンの紹介通り、帝都を目指した。幸い、魔法学校から帝都まで一本の電車でいける。距離はあるし、料金もそれなりだが。
十五の小娘が一人旅をしているということで声をかけられたりもしたが、そういうものに引っかかるアイシェではなく、住所を見ながらその場所にたどり着いた。
「……どう見ても貸本屋なのだけど」
看板も貸本屋だ。試しに通りかかった人に聞いてみても貸本屋だった。しかし、住所は合っている。
「……」
意を決して貸本屋の扉を開いた。
「いらっしゃい」
聞こえてきたのは若い男性の声だった。声のした方へ向かって、本の間を進む。なかなか充実した貸本屋だ。
店の一番奥に、若い男性……と言うか少年がいた。カウンターにいるので、店員だろう。栗毛に緑の瞳をしたなかなかのハンサムさんである。少年と言ったが、アイシェよりは年上だろう。
「何かお探しですか」
愛想なく少年が言った。アイシェは尋ねた。
「すみません。ここにロクサーヌと言う人がいると聞いて訪ねて来たんですけど」
ロクサーヌは女性の名だ。この少年ではないだろうたぶん。
その名を聞いた途端、少年は顔をしかめて強い口調で言った。
「そんな人はいない。用がないなら帰れ!」
その言いように気の強いアイシェはむっとした。
「そうはいきません。どうしてもあわなければならないんです!」
何のために帝都まで来たと思っているのだ! シナンに紹介された、彼の師であるという魔女ロクサーヌに会うためである。例え撤収することになろうと、会わずに回れ右することなどできない。
そして、この少年の反応、ここにいなくても少なくともロクサーヌを知っていると見た! 引き下がるわけにはいかない。
その言い争いが聞こえたのだろう。店の奥から人が出てきた。
「エムレ、どうしたの?」
「あっ」
顔を見せたのは美しい女性だった。流れるようなプラチナブロンドを三つ編みにし、肩から前に流している。その菫色の瞳がアイシェを捕らえ、細められた。
「まあ……強い魔眼ね」
おっとりとつぶやかれた言葉に、アイシェはどきりとして眼鏡の奥の紫の瞳を見開いた。少年、どうやらエムレと言うらしい彼が「何言ってんだ?」といぶかしげな表情になる。女性は彼に微笑み、言った。
「エムレ。彼女を家にあげて。店は閉めて、あなたもいらっしゃい」
「ええっ? まじかよ」
ずいぶん口の悪い少年だ。それでも、女性に言われたとおり中に入れてくれる。エムレはそのま店じまいを始めた。
「あの」
居住空間に入ったアイシェは女性に呼びかけた。彼女は優しげに微笑む。
「なに?」
「私、ロクサーヌさんと言う方を訪ねてきたのですが」
「どのロクサーヌさんをお探しかわからないけれど、確かに私もロクサーヌと言うわね」
「……」
そんな気はした。そんな気はしたのだが!
どう考えても若すぎる。アイシェが訪ねてきたロクサーヌはシナンの師であるので、少なくとも彼より年上でなければならない。さらに言うなら、半世紀以上魔法を使っていないというのだから、どんなに少なく見積もっても六十代半ばでないと計算が合わない気がする。アイシェもそのつもりで探していた。
だが、まあ、魔術師と言うのは外見で年齢が計れないことも多いから、こういうこともあるのかもしれない……と思い至り、彼女がアイシェの探しているロクサーヌである可能性を持ち直した。
居間に通されたアイシェは、ロクサーヌに椅子を勧められ、遠慮がちに腰かけた。彼女は台所でお茶を入れている。そこに、店を閉め終えたエムレがやってきた。一応ロクサーヌが招き入れたので、エムレはアイシェを睨むだけで何も言わなかったが。アイシェも負けじと睨み返す。
「……何をしているの、あなたたちは」
穏やかな声に呆れた調子を乗せて言われ、そちらに目を向けると、ロクサーヌがポットとカップをトレーに乗せて立っていた。はっとエムレが立ち上がる。
「俺がやる!」
「うん。ありがとう」
ロクサーヌがエムレにトレーを渡すと、彼はてきぱきとお茶を入れ始める。焼き菓子も目の前に置かれてアイシェは少し感動した。甘い菓子など、学校でもその前にいた孤児院でもめったに食べられなかった。
「それで、あなたのお名前を聞いてもいいかしら」
ロクサーヌに尋ねられ、まだ名乗っていなかったことを思い出す。
「あ、アイシェと言います。つい先日まで、魔法学校に在学していました」
「魔法学校……ペルシス中央魔法学校かしら?」
「はい」
緊張気味にアイシェはうなずいた。ロクサーヌはため息をつく。
「では、シナンがいるわね。あの子が寄こしたのでしょ」
「え、あ、はい」
二十代後半のシナンを「あの子」呼ばわりだ。少なくとも、彼よりは年上なのは間違いないらしい。ロクサーヌは「まったく」と首を左右に振った。
「相変わらずのようね、あの子は。それで、アイシェは私と会ってどうするつもりだったの?」
彼女はアイシェが魔眼の持ち主であると一瞬で気が付いた。だから、わかっているだろうにあえて尋ねてきた。アイシェは緊張しながらも自分ではっきりと言う。
「魔法を、学びたいんです。ロクサーヌさんの弟子にしてください」
「……そうよね。そうなるわよね」
はあ、とロクサーヌが息を吐きだす。そういうということは、やはりわかっていて尋ねたようだ。
「……アイシェ。私はもう、半世紀以上魔法を使っていないの。あなたの魔眼は、正直、今すぐコントロールの方法を学ばなければ危険だとは思う。けれど、私では魔法の師匠にはなれないわ」
ある程度覚悟はしていたが、やはり断られるとショックだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本日はもう一話投降します。