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わたくしの住む村

 おやおや、わたくしに何の用でございますか?わたくしのようなただの農民なんかに声をおかけになるとは、あなた様もおひまな方ですねえ。


 そういうお前は何をしてるのかですって?まあ読書ですよ、読書。


「黒辞書」――これがこの本の題名でございます。そこのあなた様、黒って聞いて何を連想なさいます?まあいい言葉は出て来ないでしょうねえ、それが黒って色に対する一般的な連想かも知れません。




「この辞書に載っている単語を使っていると、あなたは出世できなくなり、結婚できなくなり、子孫を残せなくなり、そして稼げなくなります。と言う訳で、この辞書に載っている単語を使う人を見たら使わないように説得するか、それでもかなわないのであれば距離を置く事をおすすめします。」




 まあ、辞書の一枚目からこれですからねえ、何ともおそろしい本ですよ。まあねえ、わたくしなどが何を言おうが、辞書を作ったお方にとってはどうでもいい事なんでしょうけどねえ。

 にしてもまあ、黒辞書っていう名前なのに2枚目から真っ黄色、途中からは真っ赤で、しまいの方になってようやく真っ黒になるんですよ。




「危険度一 これから先のページの単語を使う事は極力避けましょう。使いたい場合は、矢印の先にある単語に置き換えて使って下さい。うっかり使うと品位を疑われますよ。」


「危険度二 ここに書かれている単語は決して使わないで下さい。どうしても必要だと言うのならば印の先に書かれている単語を使う事です。まあそれでも使いたいのであればどうか人の目に触れない所で使って下さい。」


「危険度九九 これから先に書かれている言葉は何があろうと使ってはいけません。使った瞬間、あなたは人生の敗者となります。皆さんがすべき事はひとつ、これらの言葉を絶対使ってはならない禁句として覚え、使うまいとする事だけでございます。」




 一・二と来て九九ですよ。まあどこまできらわれている言葉なのか、わたくしも興味がいっぱいですよ。こんな辞書を作った人は一体どういう生活を送っているのでしょうかね。まあ、正直関わりたくありませんですね。


「ちょっと佐藤さん、田中さんとこの奥さんが」

「えっと鈴木さん、何のご用でございましょう」

「ああ佐藤さん。田中さんとこの嫁さんがねえ、またはらんだらしいんだよ」

「おやまあ……確か六年ぶりでしたよね、それであとどれだけで生まれそうなんです?」

「本人が言うには、田中さんの亭主とやったのが秋の始まりだそうでね。梅雨の走りの頃には生まれるんじゃないかって言ってるよ」


 いやはや、新たなる命の誕生とはじつにめでたいことで。私もその時は本当にうれしくて、今でも忘れられませんよ。


「父さん父さん、田中さんのとこのお母さんにまた子どもができたって?」

「田中さんとこって男の子3人だったよね、こんどこそ女の子だといいなー、わたしとおねえちゃんみたいに」


 そうですか、まあお元気でよろしい事ですよね。今度こそ可愛い女の子であると大変よろしい物ですがねえ……ああそうそう、今度お祝いに布でもお送りせねばなりませんかねえ。やれやれ、またたくわえを減らさねばならないんですかねえ……。まあ、わたくしだってこの2人の娘が生まれた時には鈴木さんや田中さんからたんまりお礼をもらったもんでですからね、まあ世の巡り合わせって奴ですよ。


「っかし佐藤さんもお好きですね、そんなもんなんか読んじゃって」

「好きじゃありませんよ、ひと月で三十ページしか読んでないんですから、この雪の中」

「もう雪解け始まってるんですよ、そろそろ本腰入れないと」

「まあ、そうですよねえ、気合い入れましょうかね、明日から」


 ………いやねえ、最近ようやく春の声がなんとなーく聞こえて来たって思いきや、今日は急に寒の戻りってやつが来ちゃいましてねえ、七日ぶりに白い物が降ってるのを見ちゃったんですよ。わたくしらの家の周辺ではすっかり消え失せたその白い物がねえ、山の方ではまだずいぶんとたくさん残ってるみたいですけど。


「では、私は失礼………」


 ほら見なさい、鈴木さんだってずいぶんとふるえているじゃありませんか。こんな雪の日に外に出て田んぼをどうにかしようなんて、それ自体が問題ですよ。まあ、すきやくわをみがいておくぐらいの事はしておかねばなりませんね。


「だんな様、もういいでしょう」


 おやおや、それもだめですか…まあ長い冬の間、毎日屋根の雪を落としてはねるって生活続きで、たまに雪がない時には春に備えてくわやすき、そしてかまをみがくっていう生活をしてましたんでねえ、もう十分にきれいですからねえ。


「で、今度の春はどうするんですの?おかげさまで昨年も大分たくさん米がとれましてかなり余裕がある状態で、村尾さんはやる気満々だそうですけど」

「たぶん声はかからないと思いますよ、わたくしには」

「のんきなお方ですわね。まあ私もそう思いますけど」


 わたくし、二十六にして二児の父でございます。しかして母は二十年前にあの世の人となり、父もわたくしが嫁をとるのを見届けるかのように母の元へ旅立ってしまわれました。それで母の様にわたくしを支えて下さったただ一人のきょうだいである四つ上の姉も、お嫁に行くすぐ前に寒さにあたってあの世の住人になってしまいまして、まあそんな訳でわたくしの身内はもはや女房と娘二人だけなのです。

 まあ父の弟の娘、すなわちいとこがいる事はいるんですが、その彼女は北の山の向こうの村に嫁いでから年に一度の手紙だけの仲になってしまいましてねえ、その手紙を運んで来るのも一日がかりって言う遠い遠い所でして、まあわたくしの家庭ってのはそんな次第なんですよ。


「村尾さんは次男・三男をかき集めてやる気らしいですけどねえ、西の方へと」

「西の方はけっこういい地だってうわさなんだけどねえ、そんな土地によそさまが手を付けてないとは限らないと思いますけどねえ」

「まあ正直な話、ここもきつくなりつつありますからねえ、ここ数年はいいけれどそろそろ行かないと危ないって村尾さんも言ってましたよ」


 わたくしは二児の父で田中さんは三児…いや四児の父、さっき田中さんが四児の父になった事を知らせに来た鈴木さんも三児の父。その子たちが大人になった時、ごはんを食べるための場所があるのかどうかそれが不安だ。それが村尾さんの言い分です。

 まあ、わたくしもお説ごもっともだと思いますし、ここ数年は豊作続きで少し余裕があるとは言え、今年もそうだとは限りませんからね。全くすばらしい判断ですよ。

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