プロローグ
一月半ば、深夜2時過ぎ。外は大雪。
大量の酒と愛用の睡眠薬が入った紙袋を持って家の裏口から抜け出した。
小さな庭の古びたベンチに積もった雪を払い落とし、腰掛ける。
震える手で紙袋からウィスキーを取り出して、一気に半分ほどまで飲み干す。
あまり飲める方ではなかったのが幸いし、すぐに酔いが回ってくる。
なにか腹の底からこみ上げるものがあったが、もう忘れよう。
睡眠薬の錠剤を何錠か、ウィスキーで胃へ流し込んだ―――
―――
「もしもーし?」
聴きなれない女性の声で目が覚めた。
…どうやら死に損なったみたいだ。
ここは病院のベッドかな?
今の声は看護師さんだろう。
家族や職場のみんなにどんな顔して会えばいいんだ…
恐る恐る目を開けるとそこは裁判所だった。
しかも被告人席。
わけがわからない。
酒と睡眠薬を飲んだ後から、ここに至るまでの記憶が一切ない。
後遺症が残ってしまったんだろうか?
記憶がない間に何をしでかしたんだろう?
不安で冷や汗が滲み、眩暈がしてきた。
「あっ、おはようございます。」
不意に声を掛けられ、自分でもわかるくらい派手に飛び上がる。
「今ちょうど終わったとこですよ。」
声をかけてきた少女…に見えるがビジネススーツを着た、どうやら俺の弁護士らしい彼女はしたり顔で語り始めた。
「説明がまだでしたね。わたしはあなたの弁護士、クリム・シンクライムでございます。あなたの罪状は『自殺』…でしたが審理の結果、その原因にあなた自身の責任はないこと、生前の行いなどを考慮した情状酌量の結果、無事無罪を勝ち取ることができました!」
なんか状況が全然飲み込めてないけど無罪か。
よかった。
…あれ?
「自殺『未遂』ですよね?」
「いいえ、『自殺』です。あなたは雪の降る日、自宅の庭のベンチにて酒、睡眠薬などの過剰摂取し昏睡。そのまま凍死しました。間違いはありませんね?」
「いや、その件に関しては間違いありませんけど。…冗談ですか?それともドッキリとかですか?」
法廷でいきなり『お前はもう死んでいる』的なことを通達されても一向に理解が追い付かない。
現に今だってこうして話してるわけだし。
死人に裁判なんて、
「…ああ、そうか」
やっと答えが出た。
「はい。死後の裁きです。」
―――
「よかったーあれだけやって死ねなかったらどうしようかと思った…」
「…」
「でもさ、失礼だけど、うちは死後裁かれる系の宗教とか信仰してないですよ?どっちかっていうと無宗教だし。」
「ええ、だからこそです。わたし達は今や信仰を失い、忘れ去られた神ですから。」
「で、今は人事異動で無宗教の死人の選別を?」
「意外に大変なんですよー。その方の生前の徳や死因、挙句は助けたクモの数まで調べて資料にまとめて、って愚痴になっちゃいましたね。」
やべー結構クモ潰してるかも。
「で、話を戻しますけど此度の判決なんですけどもね、無罪は無罪なんですけど、あなたに選択権があります。」
「選択権?」
「はい。あなたの自殺の理由なんですけど、その…」
ここまで来て初めてクリムが言葉に詰まった。
「俺に非がない、って?」
「…」
クリムは小さく頷き、小さく震えている。
「だってあなた…悔しくないんですか?」
今にも泣き出しそうなのを押し殺したような声だった。
「…認めてもらえただけでもうれしいです。今の今まで自分が悪いと思ってたけど、少しは救われた気がします。」
「…そうですか。」
まるで自分の事のように悔しそうだった表情が少し柔らかくなった。
「あっ、また話題が逸れちゃいましたね。それでですね、あなた自身で今後のことが選べると判決が出たんですけど。」
「死人の『今後』…」
「つまりは来世ですね。ある程度はあなたの希望に沿った来世へ転生できます。あなたがかつて生きていた世界でも、それ以外の世界でも。」
それ以外の世界…か。
もし叶うなら―
―――
「本当にそれでいいんですね?」
「ええ。」
「…かしこまりました!」
指を鳴らすと同時に、俺の背後に大きな扉が現れた。
隙間からはかすかに光が漏れている。
「その扉を開ければあなたの望んだ世界です。ではでは、お元気で!」
クリムがいたずらっぽく笑いながら見送る。
「…ありがとう。」
そしてドアを開けた瞬間、眩しいくらいの光に包まれて―――