美少女ロボットと妖精さん
美少女ロボットモノを書いたことがある。
例えば美少女型お弁当の話。
例えば美少女型セクサロイドの話。
例えば美少女型のお誕生日プレゼントの話。
最後はちょっと違うか。
とりあえず、そんなふうにロボットに対してのフェチズムが筆者にはある。
なぜだろう?
美少女ロボットもまた妖精だからです。
美少女ロボットは、AIであり、したがって心とは何か、自我とは何かという問題を描きやすい。上記の話は全部、主人公=美少女ロボットの自我が薄かったかな。主体性が薄いというか。
心がどこか茫洋としているのだ。
しかし、たった一文。
そこに決定的な亀裂を埋めこむ。
筆者は思うのだが、『小説とは呪い』だ。
いや、『小説とは爆弾だ』がいいかな。
それとも『小説とはペストである』が正しいかな。
少なくとも、この傷、この痛み、この激越した憎悪こそが小説の真髄です。
例えば、美少女型お弁当の話については以下のようなあらすじだった。
そこは未来の世界。
みんな美少女型のお弁当を持ってきている。
お弁当(美少女)の二の腕のぷにっとしたところは、パンの味とかそういう感じ。
アンパンマンかよと今になって思わなくもない。
読者様はすごかった。
今でも読者という存在は、はっきり言って神様だと思っている。
総体としての知識はまったく太刀打ちできない。
さっそく、この美少女を食べるという悪趣味さを、筆者の思考を看破されちゃったりもした。
エロを書きたかったのよ。
エロじゃないエロを。
で、この美少女型お弁当を主人公(男)と友人(男)とが互いに交換するわけだが、最後に美少女型お弁当ちゃんが、交換されたくなかった、主人公(男)に食べられたかったのに、と怨みごとを述べる。
こんな作品だ。
この最後の一言を述べさせるために、ともかく従順なお弁当描写を多くしましたよ。
控えめに言って、変態です。はい。
ともかく、そういうふうにロボット少女というものは、いいものだということである。
【えー、つまり、筆者はフェチズム的に、妖精とかロボット少女とか、そういう自我の薄い子が好きなだけなんじゃ。つまり、フィギュア的に自由にできる子を所有したいってだけなんじゃないの?】
んー。
どっちかというと、この殻を破る瞬間が好きかなと。
妖精が人間になるというか。
天使が堕天するというか。
そういう動的な変化に、フェチズム的なものを感じています。
だから、ロボット少女が、最後に人間的になる展開は、好きというかなんというか。
これは言ってみれば、妖精さんを『去勢』させようという試みなのかもしれない。
こんな、未去勢の主体の身勝手な態度は、もう殺されてもしかたないレベルだと気づいてはいる。
筆者は妖精に刺し殺されて『かなーしみーのー』されてもしかたない。
しかも、手のこんだことに、『去勢』の選択は、ロボット少女に自らさせている。
そうやって、未去勢済主体の選択ではなく、未去勢主体に無理やり去勢をさせようというところに、いやらしさがある。
去勢済み主体。つまり筆者は、妖精を人間にしたいのだ。
ゾンビが、人間を襲うように。
去勢済主体は、未去勢者に去勢を迫るということなんだろうな。
ほんとに度し難いな。
一度死んだほうがいい。
あ、もう死んでるのか。
去勢とは主体の死である。