少女と悪役令嬢そして婚約破棄
筆者の偏見である。
少女マンガは、貴族階級など、やたら権力志向性の高いものが多くないだろうか。
つまり、王子様やそれに類する存在にとりあげられて、ある日突然平凡な『私』がお姫様のようなポジションになる。『私』はそんなの望んでいないんだけど、王子様はやたらかっこよくて、きゅんとなっちゃうという例のあれだ。べつに王子様がよくないなら、仕事のできるイケメンでもバンドやってる超有名ボーカリストでもいい。新條まゆ先生の作品は、やっぱすげぇよ……と思う今日この頃である。
さて、そういうわけで、筆者の偏見であるが。
仮説として、少女マンガ、つまり少女の特性として『権力志向性』がやたらあがるのはなぜなのだろうか。
という話である。
おさらいの意味で書いておくと、少女とは未去勢的な主体だ。
正確には、去勢という段階は訪れているものの、男と比べて去勢がドラマチックに訪れなかった結果、いまだ想像界や現実界に片足つっこんでいるような幻想種のことを指す。
さて、そんな幻想種が『権力』なるものに食指を動かすだろうか。
答えは考えるまでもなく否である。
少女は権力を考えない。
なぜか。
権力とは、所有の亜種だからだ。
この所有という概念は、去勢済主体でなければ持てない。言葉によるゲーム。交換価値。そういった概念が未発達な妖精には、土台無理なのである。
したがって、少女漫画に登場するような、権力をもった男に言い寄られたいというのは、もはや少女ではないということになるだろう。
となると、権力志向性を持つ少女とは何かという話だが、はっきり言えば『人間』である。
少女の見た目をしているが、その精神構造はもはや『人間』である。
よって、我々は何の苦もなく、そのリアル少女の心に寄り添うことができるだろう。
うーん。
なんか微妙だな。
本当にそうなのだろうか。
そもそも書いてる作者さんはほとんどの場合は、去勢済み主体だから、その欲望が投射された結果、そういうふうな作風になっているのかね?
女という属性で考えてみよう。
女は既に妖精ではなく、去勢が完成された固体だ。
すなわち、女とは人間であり、かつ、かつては妖精だった固体である。
そして、そういった属性を持つものが、なぜ権力志向性を持つのかという観点から考えてみよう。
【女が権力志向性を持つのは、男が権力を求めるのとは性質が異なる?】
男はみなトラウマ的な性質を持つ。
すなわち、自分と母親が異なる身体を持つことを理解し、自分が全能の神ではなく、世界でもなく、暗闇の中に放り投げだされたちっぽけな存在であることを知る。
この不一致。
自己の殺害。
主体に斜めの線を引くという儀式こそが去勢である。
したがって、男という性別を持つ者にとって、去勢とは大変ショッキングな出来事であり、トラウマである。
この心理的な喪失感が、エディプスコンプレックスとかマザコンに発展していく。
さて、そういった次第で、男が求める権力とは遠い昔に死んだ母親を求めるようなものだ。
男は、おそらく本質的に権力とは幻であり、無意味なものであると知っている。
それでも求めざるを得ないのは、権力が欲しいからではなく、権力の先にあるものが欲しいからだ。
それはもはや失ったものである。
絶対に手に入らないものを手に入れようとして、その欠落を埋めようとしているのである。
これが、男の権力志向性。
女の権力志向性は、トラウマに裏づけされたものではない。
それは、男のように、想像界や現実会に遡行しようという動きではなく、あくまで象徴界での動きにすぎない。人間的……あまりに人間的な……、なんというか、女の権力志向性というのを、筆者は生臭く感じるのだ。
えー、それは筆者が男だからでしょ。(内なる反論)
筆者は既にTSしているから、それはいいとして、
ともあれ、女のトラウマの解消のためではない。
これは少女マンガをいくらでも読みこんでみればわかる。
少年マンガや青年マンガで、立身出世していく場合は、おそらくはトラウマの解消がキーになっている。銀河英雄伝説でも、ラインハルトの場合は、母親を幼いころに失い、母代わりの姉が権力者に引き立てられてしまい、権力を求めるようになる。
これが典型的な男の権力を求める構造。
他方で、女の場合の権力志向は母親や姉などの影がちらつくことがないので、肉体的な享楽に身を任せたものになりがちである。
女が権力志向になるということは、もはやトラウマという原理がない以上は、単純な快・不快原則に基づいて、快を選んでいるだけというふうに思える。つまり、特別な存在になりたい。誰からもちやほやされたい。総じて言えば、『お姫様になりたい』。
それは、とても人間的な姿である。
ダメダメ。
こんなふうに書いたら、女性蔑視だって。
まあ、筆者の偏見である。
【次にこのごろ流行りの悪役令嬢ものについて】
なぜ悪役令嬢なのかということであるが、これはまず悪役令嬢モノと言われている作品を大量に読みこまなければなるまい。
それで読んでみた結果。
まず、悪役令嬢とは、去勢済主体である。
したがって、妖精ではなく人間である。
もうこの時点で、大テーマからはずれるんじゃないかと思うのだが、とりあえず進める。
悪役令嬢は人間である。
したがって、女であり、快・不快原則によって、素朴な権力志向性を持つ。
ここまでは一致しているのだが、ここから先は物語によっていろいろとわかれる。
例えば、悪役令嬢であるというのは元がゲームの世界だからであり、そのゲームのキャラクターとして悪役令嬢だったというものがある。これは転生時期がゲーム開始時より相当前だったりして、没落ヤダ。修道院ルートヤダということで頑張る。ここに物語性が生まれるという仕組み。
立場的には悪役令嬢というだけあって、そこそこの権力を最初から持っている。
この権力は磐石ではなく、場合によっては崩れ去るものだ。
しかし、ここで、主人公の知識チートというべきなのか、対応チートによって、『人から好かれる』。
これこそが筆者は悪役令嬢モノのカタルシスがあると感じた。
え、違う?
婚約破棄ものが最近の流行?
そうですか……。
【婚約破棄について】
最近の流行はこれらしい。
婚約破棄ということは、権力志向的には逆向きだから、どういうことなんだ?
これは男から婚約破棄されてしまった主人公である。
すごく悪意のある見方をすれば、かわいそうなワタクシ系なのか?
というのが最初の見方でした。はい。
極短いページ数で状況を破局に持っていくためか、王子様の頭は酸素欠乏症になってしまったかのごとく、ぱーちくりんですし、相対的に周りのIQ下げて、主人公SUGEEEEEするための方策かとも思いました。はい。フレンズはみんな得意なこと違うからねっ!
閑話休題。
おそらく、この婚約破棄モノにあるのは、ある種の"復讐モノ"に近いカタルシスだろう。
婚約破棄されたご令嬢は、他国の王子に見初められるというパターンが多く、これは振られた主人公が要はもっといい恋見つけましたということなのだろう。
つまり、権力志向性は確実に持っている。
主人公はまったく没落せず、なぜか他国の王子なり、あるいはものすごく商業的に成功して誰からも言い寄られるような立場になったりする。
さらには、婚約したほうの王子は、没落し、ざまぁできるという至れり尽くせりの構図だ。
つまり、権力とはゲームである。
このゲームに、婚約破棄パターンは、必ず勝つ。
【悪役令嬢雑感】
極当たり前の思考として、悪役令嬢が男爵令嬢あたりに弾劾されるシーンで、男爵令嬢になぜ侯爵令嬢が弾劾されなければならないんだろう。というふうに、権力ゲームに完全に組み込まれた思考をすることがある。これは作品の思考としては正しい。
しかし、権力構造に完全に組みこまれているのもどうかなと思う。
まあ、ゼロ魔のサイトのように、オレは日本人だ伯爵とか関係ねえと言い切ってしまうのもそれはそれで痛いのだが、権力とはゲームだ。ゲームのルールに沿った思考も必要。かつゲームに沿わない思考も必要。
それこそが、人間としての深みというものなのではないだろうか。
あれ、少女の話はどこいった?
それについては、最初からわかりきっていることだった。
少女は政治の話なんかしない。