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少女は"死"を恐れない

 ジョジョの奇妙な冒険で、ジョーリンが唯一老いに対決できるというシナリオがあったように思う。


 要は女のほうがストレスに強いという話だ。


 この『女はストレスに強い』というのは精神分析的にも正しいということが言える。


 先にも書いたとおり、少女というものはファルスの機制が弱い、すなわち妖精である。


 では、逆にファルスの機制が強い、言ってみれば『男性的』であるということはどういうことか。


 つまり、我々が正常と呼んでいる精神状態はいったいどういうものかを考えると、常に深淵という穴を覗きこんでいる状態だといえる。


 失われた欠如を埋めようとして、追い求めてしまう。


『正義』を『理想』を『愛』を。


 これこそが、正常という名の精神疾患である。


 はっきり言おう。


 正常な精神、つまり去勢済み精神とはパラノイアにほかならない。


 無くなってしまったものをあると言い張る嘘つきだ。


 この世界の正常と呼ばれる人間の割合がどの程度かは不明であるが、どうあがいても多数派であることはまぎれもない事実。


 したがって、少女とは希少種である。



 筆がすべった。


 少し、論を戻す。


 少女がストレスに強いというのは、先の論理から言えば当然である。少女は妖精であり、したがって『パラノイア』的な性質をあまり多くもたない。


 つまり、これは"予期不安"に対する耐性が強いということだ。


 人間が感じる不安の根源は、予期不安である。結果に対する不安ではなく、その結果が起こるかもしれないという思考そのものが不安を招いている。


 パラノイアの精神は、まさに予期不安のパンドラボックスであるといえよう。


 いつ、その箱が開陳されるのか、いつもビクビクと不安に震えているのである。


 パラノイアというテーブルトークRPGで、コンピュータはパラノイアに罹患しており、いつも市民に同じことを聞く。


─市民は幸せですか?


 幸せであることを共用し、共感しなければ、生きていかれないのがパラノイア的な性質。


 つまり、正常な精神の性質なのである。


【少女だって、老いに対する不安はあると思うし、死に対する不安はあると思うんですけど?】


 いや、無いのだ。


 その思考は、少女ではなく、もはやただの人間だ。

 言ってみれば、おばさんになってるのだ。


 少女というのは、去勢がグラデーション的に起こる生物学的な女性が、その未成熟な段階において、ファルスの機制を免れるという、そういう状況においてのみ生存できる存在なのであり、したがって、妖精は気づいたら死んでいるということなのだろう。


 死や老いを考えた瞬間に、妖精は死ぬ。

 逆説的に言えば、妖精は死なないし、老いもしない。

 少女もまたしかりである。


 ただ、完全に生きている妖精というのもいないので、このあたりは難しいところ。

 なぜなら、去勢が段階的に起こる以上、死に沈んでいくように、ゆっくりと、しかし着実に、ある段階で、その思考は思い浮かぶのだ。

 リアル少女は、ある日、ふと思う。

 自分が老いていくことを。自分が死にゆく存在であることを。

 いわば、半分腐ったような妖精さんというのが筆者的にはとても、官能的だと思うんですがいかがでしょうかね。たぶん、リアル少女の精神はそういう感じ。





【予期不安に強いということでどうなるの?】


 外側から眺める限りは、難しいところであるが、カイジの高層ビル上の鉄骨渡りをニコニコ笑いながら渡るようなそんなふうに見えるかもしれない。


 あるいは、さっき述べたように、リアル少女感を出すというか、半分死体みたいな精神状態を書くとすると、【少女の死体】が徐々に腐っていく様を書けるかもしれない。


 つまり、劇的な予期不安というのがここでは書ける。擬似的な去勢だ。

 

 例えば、前に筆者は何かのホラー漫画で読んだことがあるのだが、脱皮する少女というものがあった。


 タイトルもなにもかも失念してしまったのだが、こういう話だ。


 高校生くらいの少女がある日、肌がかさついているのが気になる。

 そうしたら先輩か同級生か、ともかくいつもの肌ではなく、つるつるの赤ちゃんみたいな綺麗な肌で登校してくる。うらやましくて自分もそうなりたいと思って、方法を聞いたら、蛇のように脱皮する方法があるという。

 具体的な方法を忘れてしまったが、ともかくそうやってガンガン脱皮していくんだが、オチとしては脱皮する回数には限度があって、哀れ少女は最後に自分の本当の生皮をも剥いでしまう。

 という話だ。


 これはもろに予期不安的な性質がでており、実に人間的な話だ。

 主人公はもはや少女という概念から逸脱し、【女】になろうとしているのだろう。

 それはもはや筆者の考える妖精ではないが、物語としては、そういうキャラクターも書けるようになるとよいかもしれない。


 つけくわえて─

 

 三島由紀夫の行動学入門という本では、女は二度死ぬとあり、つまり女の美の死、そして生物的な死があるということだったが、筆者の考えでは、それでは足りない。


一、去勢という死(精神分析的な死)

二、少女としての死(妖精としての死)

三、美としての死(まあこれは死んでないといつまでも否認する人が多いようですから飛ばしてOK)

四、生物的な死(異世界転生へご案内)


 という四段階。少なくとも三を抜かした三段階はあると考える。


 いずれも、生物的な女は、四以外はグラデーションとして訪れるのがポイント。


 つまり、外的にその精神世界の死は見えづらい。


 妖精はとても儚い存在なのである。


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