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女は馬鹿である

少し違う。


『少女は論理的に物事を考えられない』というのが言いたいことである。


この言辞について、正しいのかどうなのかという話をしたい。


結論から先に述べるが、筆者はこの考えは妥当であると考えている。


さて、論旨を述べる前に注意書きを述べておく。


タイトルは言うまでもないが全力で釣っている。

しかし、筆者の考えは、女性という性を貶めるものではない。

もちろん、作者がどう思おうが、文章自体が不快であるという考え方はあるだろう。


『女は馬鹿』なんて、女を馬鹿にしてる。

とそう思われても仕方ないところであろう。


ここ、『小説家になろう』においては、少なくとも数十万人ほどの方が利用されており、女性やフェミニストの方も当然おられるであろうから、そういった方々を不快にさせる可能性は当然ある


しかし、あらゆる文章は本質的に誰かを心地よくする代わりに誰かを不快にさせるものだ。

例えば、「この禿ーっ!」というギャグを思いついて書いたとする。

多くの読者は、笑えるかもしれないが、いままさに禿げ散らかしている人にとっては、不快に感じるということもあるかもしれない。

そんな可能性を考えていたら、なにひとつ書けなくなってしまう。


惹句としての注意書き『この文章はあなたを不快にさせる恐れがあります』というのは、アメリカの訴訟封じのための分厚い説明書となんら変わらない。

ただの争いを防ぐための文章に過ぎない。陰気な言葉だ。


したがって、好きにすればよいというのが作者のスタンスだ。

好きに考え、好きに感想を述べればいい。

無視するのもよい。

つまり、極端に言えば、注意書き自体が不要だという考えなのだが、世の中は理想論ではたちゆかないのも事実。妥協的にあえて書かせていただいた。


さて、論旨である。


少女は論理的に物事を考えられない。


この論旨の根拠というのは、精神分析的な手法に基づくものである。


前に筆者が『TSしたのかオレ以外のやつが……』という作品を書き、その感想欄で、わりと長めのエッセイ的感想返しをおこなったのだが、『少女』という存在は、精神分析的には幼形成熟ネオテニーに相当するという趣旨のことを言った覚えがある。


どういうことかというと、人間の精神の発達においては、去勢という段階を踏むことによって、統合的な精神が定まると考えられるのだが、生物的な男は、その段階が劇的に起こるのに対して、生物的な女は、その段階が緩やかにグラデーションを描きながら起こると考えられるという話である。


ここで『少女』という概念を考えてみよう。


『少女』は生物的な女である。したがって、去勢が緩やかに訪れる。


また、『少女』は未成熟である。基本的に、『少女』というと幅が広い概念だが、主に小学校高学年くらいから高校生程度までのことを『少女』と指すことが多い。当然、性的には成熟していることが多いのだが、社会的地位は子どもであることが多い。

つまり何がいいたいかというと、時間経過による『去勢』がまだ完全におこなわれていない時期であるということである。


したがって、『少女』は去勢によって打ちたてられる統合精神機制が弱い。


一言で言えば、これこそが少女は妖精であるということのすべてである。

この言葉の意味がわかるのであれば、筆者のエッセイをこれ以上読み進める必要はない。同じ作者であれば、さっさと自分の作品で思う存分美少女を書きやがれこのやろう、という次第である。


さて、意味がわからないという方のために、もう少し説明しよう。


『少女』は去勢が"あまり"されておらず、したがって、統合精神機制が弱い。

この統合精神機制のことを、ラカンはファルスと呼んでいる。

ファルスとは、要は男性器のことなのだが、人間は去勢を得て、ファルスを得るのである。

ちなみに、このファルスについては、誰もが持っているとラカンは考えている。

したがって、ラカンによれば『女はいない』となる。

何言ってるかわからん?


では、もう少し噛み砕いていう。


少女は、去勢がまったくされていないわけではない。

したがって、ファルスはある。

しかし、女であるという生物学的特性と、生物として生きていた時間の短さから、ファルスによる機制が弱くなると考えられる。


ファルスによる機制が弱くなるということは、自我を統合する機能が弱くなるということである。これは象徴界、すなわち言葉による思考統制が弱くなるということと同義だ。


その結果、どうなるかというと、『少女は論理的に物事を考えられない』につながるのである。


ぜんぜんわからん?


そもそも、論理的ではないとはどういうことだ?


論理的というのは、筆者が考えるに、リニアな思考のことを言う。

一番カンタンな論理は、A=Bである。B=Cである。したがってA=Cである。

であろう。


しかし、少女の思考はこうだ。


A=Bかもしれないし、Cかもしれない。Dかもしれないし、Eでもある。


精神が拡散する。


しかも、その『少女』という症状は、分析主体そのものにとっては、非常に心地よいのである。


なんといえばいいか、恋人のことを考えて悦にいる様子といえば、少しは伝わるだろうか。


この、フワフワした感覚が、自分でも悪くない。


だから、他者にはまったく伝わることがない。


論理的ではないというのは、こういった症状のことを言う。


一応、『女』であっても、教授になったり、論理的な人いるじゃんという反論があるかもしれないので、述べておく。


ここで言ってるのは、当然、精神分析の結果、つまり物理的に精神を解剖するとそうなるという話であって、べつに現実世界で『女』であるから『論理的でない』という結果がいつも導き出されることを言っていない。


女性であっても、当然のことながら日本語を話すわけだし、つまりその時点でファルスは働いているのである。したがって、論理的に話せないわけではない。


少女の思考をトレースするには、ともかく、このフワフワ感を出さなければならない。


え、男主人公で、女はハーレム要因に過ぎないからそこまで内面踏みこまない?


ともかく速攻で惚れさせて、さすが主人公しとけばいい?


そっちのほうが女性蔑視なんじゃ……


と思わなくもない筆者であった。

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