ホワイダニット
まず総論として、このエッセイのホワイダニット。
つまり、書いた動機について述べる。
非常にシンプルな動機である。
このエッセイがタイトルとして『少女妖精論』と銘打っているように、少女は妖精であるという考えが浮かんだからだ。正確には、思い浮かんだというよりは考えが煮詰まってきたという感じなのだが。
ひらめきとしては、凡庸だろうか。
妖精というと、小さく、奇妙で、妖艶で、かわいらしく、そして、フワフワとしているとらえどころのない幻想的存在である。
特に美少女のことを『妖精のようである』と形容することは、ライトノベルで美少女描写に触れたことのある方であれば、すぐに納得がいくところだと思う。
ただ、筆者のいう『妖精』は少し概念的に相違がある。
もしかすると妖怪のほうが近い概念かもしれない。
筆者は前に東方という同人シューティングゲームの二次創作小説を書いていたことがあるのだが、東方では、すべての妖怪は少女だった。特に、少女属性を多く持っていた妖怪といえば、まちがいなく『古明地こいし』であるが、うなずいてくれる人はいるかな?
さて─。
なぜ、少女なのか。
その疑問がこのエッセイを書いたきっかけである。
実のところ少女とは妖怪である。というほうがしっくりくるのだが、ここでは愛くるしさを重視して、『妖精』というタイトルをつけた。この愛くるしさのバランスが不気味の谷に落ち込めば『妖怪』というタイトルこそふさわしいものになるだろう。
ともかく、少女は『男』でもなく『女』でもない。
性別的には当然、女であるが、しかしここでいう少女は幻想種なのである。
つまり、筆者が少女という言葉を使う場合、その言葉は、得体の知れない、小さく、奇妙で、妖艶で、かわいらしく、そしてフワフワとしているとらえどころのない幻想的な存在を『少女』という檻にとじこめているのである。
『少女』という言葉に、フワフワを押しこんでいるのである。
筆者の動機。
それは、得体の知れない存在を、解剖して、詳細に描写したいことにある。
そして、そういった動機は、ここ『小説家になろう』で日々美少女を描くことに腐心している作者の方々の役に立つものだと信じている。
これが、このエッセイの狙いだ。
少女という概念の深淵にたどり着くには、一枚一枚ヴェールを剥いでいくような作業が必要になる。
『少女』という生物を描きたいと思う場合、その造形の根本に立ち返ったほうが良い。
これは、デッサンにおいて『骨』から素描することに似ている。
少女の骨。妖精の骨とは、その精神構造にある。