8話 虹蛇
虹蛇は再び眠りにつこうとウトウトしていると突然体に痛みが走る。
驚いて跳ね起きて痛みを感じたところを見ると十数本のナイフが深々と刺さっていた。
慌ててあたりを見渡すがその飛来源は疎か動くモノすら捉えることが出来ずただただ慌てるだけで、また警戒していた方向と違う場所から飛んできたナイフが深々とその体に突き刺さる。
まるで虹蛇はナイフによって踊らされているようにも見え、また、次々と刺さるナイフに体を貫かれその飛来物を一つとして避けることの出来ない様子はまるで俎上の鯉もかくやというようなものである。
虹蛇は大したダメージでもないのに一方的に攻撃されるという状況にハマって一方的に攻撃されるだけであっる。
虹蛇という魔物は分類上特級危険指定種にされているがその強さはまちまちである。
かつて国を呑み込んだ個体もいれば幼少期に人知れず生存競争に負けて死んでいる個体もいる。
これを説明するには虹蛇の成長方法について語るしかあるまい。
虹蛇は確かに成長すると強い個体ではあるが、その幼少期の性質は他の魔物と比べれば少し強いと言ったくらいで自分より強い個体には負けるし、弱い魔物に群れて攻めてこられればいつかは力尽きるというその程度の魔物である。
ただ虹蛇は学習能力が高く、勝利する度に自らの体をより戦闘に適した形態になれるように最適化してゆくという厄介極まりない性質をもつ。
そのため、国を呑み込んだと言われるような化け物として描かれることもあれば、英雄譚の中盤あたりに洞窟の最奥で相見え死闘の末、英雄に殺されることもある。
後者については英雄ということで他の人よりも強いというのもあるが、その他に洞窟という閉鎖的な環境の中で絶対者として君臨することによって己の最適化を一定レベルでやめてしまうということも挙げられる。
虹蛇はれっきとした蛇の魔物ではあるが、まさに井の中の蛙という傲慢な性質があり、ある意味で人にも近い性質を持っている。
そしていまここにいる虹蛇は英雄に殺される側の種類のものだ。
せいぜい一つ前の部屋にいる第二級危険指定種に勝てる程度の力しか持っておらず、その実力そのものは第一級危険指定種程度の力しか持たない見掛け倒しもいいところである魔物だ。
そして、その程度であるならば英雄とは程遠い彼にも討伐の目は小さいとはいえ微かに存在する。
そもそも死んではいなかった彼にとって今の虹蛇は格好の的ということだ。
少なくとも虹蛇に対して恐怖心を植え付けているという状況下においては彼の優位は崩れない。
彼が元々立っていたところに散らばった破片は咄嗟に作った『土人形』を身代わりにして彼本体は『陰身』を使って素早く離脱して息を潜めて隙を窺っていた。
そして、彼を倒したと勘違いした虹蛇がうつらうつらとしてきた所に『磁力の手』で操作したナイフを投擲して、残りのナイフに『陰身』を付与し不可視化して時間差で攻撃することによって様々な方向から襲ってくる攻撃に対して恐怖心を植え付けることが目的で、それは概ね成功している。
しかし、彼は上手く言っていることに対して一定の評価はしている一方で今の内に仕留めなければ不味いことになると焦りつつも、『影箱』を次々と開放、その魔力を一つに練り上げ槍に流す。
焦っている理由は大きくわけて二つ、まず恐怖心に負けてその巨体をやたらめったらに動かされて轢かれたりすると確実に死ねる。
それは先程の『土人形』が木っ端微塵になった事からよく分かっている。
そして、本命の攻撃を当てるまでに素面に戻られると魔法を発動するため無防備な彼の体に一撃加えられてしまうともう一度仕留められる程の魔力は『影箱』にも残っていない。
それらの理由から彼は非常に焦ってはいて、ナイフが通ったことでそもそも鱗に弾かれるということは無さそうであってそれだけを安心材料に槍に次々と魔力を込めてゆく。
槍に込められた膨大な魔力が結晶によって増幅され、槍全体がバチバチと音を立てて茶色の光が弾ける。
虹蛇は時折飛んできて突き刺さる見えないナイフを避けようとするようにその巨体を捩り地面を大きく揺らす。
その揺れに体勢を大きく崩されながらも槍に魔力を込め続け、槍を持つ手を大きく後ろに構えて体全体を弓なりに逸らして狙いを定める。
そして槍を虹蛇に向かって投擲する前に不可視のナイフを目に向かって飛ばし、その目を潰す。
「GYAAAAAAAAA!!」という轟音に近い鳴き声を上げる虹蛇は大きく仰け反り、その体勢を大きく崩したところに彼が全力の魔力を込めたオリジナルの魔法を放つ。
「『円環から逃れるもの』」
『円環から逃れるもの』は槍を発射体とし強力な磁場を形成することによって最終的にそれを発射し貫くといういたってシンプルな魔法だ。
そのため魔法の構成自体はたいしたものではないが、充分な威力を出すために必要とされる魔力量がそこらの魔法使いには到底用意できない。
彼のよって充分な初速が与えられた槍はその形状を円錐型に変形させると、まるで彼を中心に円を描くようにグルグルと周り、磁場を強くしていくと徐々に速度を上げていき、彼の目では捉えきれないほどのスピードになって槍に込めた魔力が残り少なくなっていることを感じ取る。
虹蛇は相変わらず潰された目が痛むのかバタバタというよりもドシンドシンと音を響かせのた打ち回っている。
彼はその様子に今が絶好のチャンスだと考えすぐさま当たる角度になると磁場を消失するように設定し終えた瞬間、槍が貫通した痕なのか虹蛇は胴体に大きく穴をあけて動かなくなっていた。
今にも分離してしまいそうな虹蛇の胴体をみて彼はなんとか討伐することができたのだとすっかりと安心して気を抜いていた。
仮にも相手は実力はともかく特級危険指定種に分類されている正真正銘の化け物だというのに。
そして、蛇は往々にして生命力の象徴だというのに。
彼は虹蛇を討伐できたのだという達成感からその場を動かず勝利の余韻に浸っていると、その体はその場から一瞬して消え、壁に激突していた。
そして、その彼を吹っ飛ばしたものは虹蛇の長く太い尻尾で、彼を吹っ飛ばすために力を込めたことによってかすかな上半身との繋がりを断ち切り、振り切ったそれはその場にズシンと重々しい音を立てておちた。
虹蛇にとって尻尾部分を失うのは大きな損失であるがその原因を作り出した彼を殺すことのほうが優先され、あえてその尻尾部分で吹き飛ばすことによって少しでも溜飲を下げようとしたのだ。
そうして尻尾で吹き飛ばした先の壁に埋まっている彼の体がまだ五体満足で残っていることに喜びを覚え、潰れた目と口を歪な三日月に変えるとゆっくりとその巨体を動かして彼の方へと迷い無く進んでいく。
虹蛇が目が潰れているのにも関わらず迷い無く進めているのは偏に新たに獲得した視覚の代わりとなる器官のお陰である。
その器官は地球の蛇の持っているような赤外線を用いることによってサーモグラフィーを通したような視界で世界を捉えるピット器官のようなもので、虹蛇が獲得した器官はピット器官に機能に加えて魔力を知覚できるような機能を併せ持った識別器官とでもいうような器官である。
虹蛇は彼によって目を潰されたことで視覚の一切が閉ざされ、暗闇の世界へと落とされた。
そうしてその恐怖に震えて暴れること数分、虹蛇は冷静になると同時にナイフが刺さっても実はたいしたことが無いことに気がついた。
そしてそのことに気がつくと虹蛇は己が己以外の生物に遅れをとりこのような世界を覗くことになったのだと考え、強く進化を望んだ。
そして虹蛇の体はその願いに答え、ナイフなどというチンケなものに貫かれない強靭な鱗、奪われた視界に変わる新たな器官の形成しその他もろもろの最適化を行った。
その進化の結果、虹蛇は本来『円環から逃れるもの』で体を四散される運命にあったが、その強靭な鱗と上昇した反応速度によって槍の衝撃を削ぎ重要な器官への直撃を免れた。
それでもなお胴体を貫かれたことに対して驚きも覚えたが、識別器官によって彼の姿を確認し千切れそうな尻尾を彼に対して振りぬいたというのが、虹蛇が彼の体を吹き飛ばすまでの流れである。
ゆっくりと近づいた虹蛇はその壁に埋まった彼を見ていつもより多く赤い舌をチロチロとさせ、その顔を近づけていった。
虹蛇の識別器官によれば大量の血を流したことによって彼の体温は低下し、体内魔力もほとんど残っていないことが分かって今にも死にそうということがより正確にわかったことによってよりその三日月を大きくした。