3話 肉
短めです。
ある小部屋には頭からとん○りコーンのような角を生やしたウサギが数匹いた。
そのウサギたちは、手や足を使ってピョンピョンと部屋の中を跳び回っていたり、何かをカリカリとかじっていたり、すやすやと寝息を立てて寝ていたりと非常にゆったりとした時間を送っていた。
洞窟の中などではなく、これが地上の草原であったならそれはさぞ平和な光景であろう。
そしてそんな平和な時間というものは往々にして、
圧倒的強者によって粉々に破壊される。
突然飛び跳ねまわっていた一匹のウサギの首が宙に舞った。
刎ね飛ばされたウサギの思考は訳の分からない状況に何も答えを出せず、首が地面に落ちた瞬間に永遠にその機能を失った。
跳ね回っていたウサギが突然死んだのを見ていた他のウサギたちはすぐさま警戒態勢に移行したものの、見えない敵が相手ではそれもむなしく、次々と首が刎ね飛んでゆった。
部屋には静寂が満ち、動くものは何も無い。いや、無かった。
部屋の中央に突然歪みが現れ、その歪みは段々と人の形を成してゆき、その場には彼-ルーベルトが立っていた。
彼は溜まった緊張を一緒に吐き出すかのように一つ息をついた。
「ふぅ、制圧完了かな?久しぶりにお腹いっぱい食べられそうだね」
といって、彼は片膝をついて足元の影に両手を伸ばす。
彼の手は地面に触れること無く、その影に飲み込まれていく。
それは影を弄繰り回すように前後左右に動いており、やがて動きを止め勢いよく影から引っこ抜いた。
その手にはY字状になった木の棒が二本握られており、彼はそれらを地面にある程度の間隔をあけて地面に突き刺した。
そしてもう一度影の中に手を突っ込みまっすぐな金属の棒を取り出して、Y字状になった棒と棒の間に橋を架けるように設置する。
木の棒を揺らしてみたりして安定感を確かめ微調整を加えた後、そこらに転がっているウサギたちの体を集めていき、血抜きをするためロープを何本か影から取り出すと、
「『創水』」
と唱えると宙に直径30cmほどの水の球が現れ、それの中に首を刈ったウサギを躊躇なく突っ込み、ついた土と血を洗い流す。
そしてきれいにしたウサギの足にロープの片方をくくりつけて金属の棒にもう片方を括り断面が下になるようにぶら下げた。
それを何度か繰り返しすべてのウサギを金属の棒にぶら下げると、青い血がぽたぽたと滴り始めた。
ぶら下がったウサギたちがぷらぷらと小さく揺れている中、また影から水気を完全に飛ばした木の枝と薪を取り出し燃えやすいように組み上げると、
「『創火』」
と唱えて枝に火を点け、影から取り出した筒のようなものに口をつけて吹き込み炎が燃えるのを助ける。
やがて木の枝から薪に火が燃え移ってゆき安定した炎となり、パチパチと心地のいい音を立て始め、少し肌寒い空気を暖め、辺りに優しい光を放つ。
少しの間、炎にあたって体を温め影から取り出した水筒に口をつけ、乾いた喉に水を流し込んでいく。
喉が潤ったのを感じると口から水筒を離し影にしまうと同時に木の板と長い木製の串と塩を取り出す。
木の板と木製の串を地面に静かに置くと、血が滴り落ちることも無くなった一匹のウサギのロープを解いてその上に置く。
腰から愛用のナイフを抜くと手元で器用に一回転させると、毛皮を剥ぎ取り、肉を部位ごとに切り分けると次々と串に指し塩を振ると、炎から適当な距離を取ったところに突き刺してゆく。
また解体したときに出た内臓や刎ね飛ばした首は炎の中に投げ込んでおく。
炎に炙られた肉はじんわりと肉汁が表面をコーティングしており、魅惑的な光沢を放っている。
その魅惑的な光沢は一瞬ごとに移り変わり、ポタポタと一滴二滴と溢れ出し地面にシミを作る。
その肉に火が通る様子をじっと見ている彼の目は肉に釘付けで、その視線の熱量で肉が焼けてしまいそうなほどである。
彼がここまで肉に執着を見せるのかというと、勿論、肉が好きだということもあるが、一番は久しぶりに多くの量の肉が食べられるからである。
ある程度の肉は影の中に保管されてはいるが、『無限』の意を持つとおり先がまったく見えない迷宮の性質上無闇に消費するわけにも行かないからで、いつもはなけなしの肉と野菜に、やたらと硬い黒パンを『創水』で作り出した水で流し込むようなものばっかりであったからだ。
周りに漂う肉の焼けるにおいは嗅覚をこれでもかというほどに激しく刺激し、胃が早く食わせろというようにグーと音を鳴らす。
そして訪れた最高の瞬間、彼の手はすでに串を掴みそのまま少しも冷ますことなく口内にすばやく招き入れる。
口内を蹂躙しようとする熱さをも旨みの一部といわんばかりに口いっぱいに含んだ肉が、得もいえぬ幸福感が全身を駆け巡る。
ほんのり効いた塩っ気が噛むたびに溢れる肉の旨みを引き立てる。
そして十二分に肉をかみ締めたあとごくりと呑み込み、はぁ~と幸せそうな溜息が漏れ、呑み込んだ後でさえ残る旨みにもはや快感すら覚えた。
「美味しいなぁ。ほんとに美味しいよ」
これ以上の言葉はなく、美味しい美味しいと繰り返す彼。
そう繰り返す彼の頬にはいつの間にか涙は伝い、涙の粒は次々と落ちて地面に吸い込まれていった。
「あ、あれ?涙?僕は泣いているの?あれ、止まらない。あれ?」
頭を垂れ、いくら目をこすってもこすってもなおあふれ出す涙、やがて彼は涙をぬぐうことを止め、流れるがままに任せた。
そして思い出した。
「あぁ、そうか。思い出したからか。昔のことを」
顔を上げた彼のにじむ視界に、いつかの光景が写った。
何の変哲も無いごくごく普通の家族団欒の場面。みんなの顔は明るく、記憶の中の彼も一緒になって笑っていた。
それは遠い過去の記憶。
現在ではなくなってしまった光景。
そして、もう増えることの無い未来。
あの日、彼は多くのものを失い、わずかなものを得た。
そして、そのわずかなものを手に、今、彼は『無限』の迷宮の中にいる。