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3 予感



「……うん。だからね、しのりん。いろいろ気をつけて欲しいんだ」


 電車から降りて、構内の通路の隅へ走りこんでから、僕はすぐにしのりんに電話した。電話の向こうでは、ちょっと戸惑ったような声でしのりんが「うん、わかった」と言ってくれた。


『知らせてくれてありがと、ゆのぽん。気をつけるって言ってもどうしたらいいか……なんだけど、できるだけ気をつけてみる。でも、えっと……高杉さんだっけ。同じクラスになったことはないけど、よくボクのこと分かってたなあ……』

 スマホから聞こえてくるしのりんの声は、戸惑いながらも不安を隠せない様子だった。

『ボクにも、男子の友達は何人かいるし。ボクのこと、ほんとに分かってくれてるってわけじゃないけど、いい奴だから。心配しないで、ゆのぽん』

「いざとなったら、僕を隠れみのにすればいい。僕らがつきあってることにすれば、それ以上の問題にもなんないだろうし」

『えっ……』

「だから、その子が誤解したのはそのことだし。からかうったって、それじゃ限度があるはずだから。もう高校生なんだし、あっちにもこっちにも付き合ってる奴なんているんだし。『それが事実です、だから何?』って開き直っちゃったら、それ以上ほかからあれこれ突っ込まれずに済むかなって――」

『あ、……うん。そう、だね……』


 なんだかそこで、急にしのりんが言いよどんで沈黙したことに、僕はふと言い知れない不安を覚えた。


「どうしたの、しのりん。何か、それだと問題ありそう……?」

『えっ。……あ、いや、そうじゃないんだ。ごめん、ありがとう。ほんと気をつけるから――』


 そうして、しのりんは何度もお礼を言ってくれて電話を切った。

 なんとなくそそくさと切られたような気がして、僕はしばらく、そこでスマホの画面を見てぼんやりしていた。


 なんだろう。

 なんだかひどく、胸騒ぎがした。





「ねえ、ゆの。他校の男子とつきあってるってほんとなの?」

 

 案の定というべきなのか、クラスの女子からそんなことを訊かれるまでに、そんなに時間はかからなかった。

 やっと懸案の期末考査も終了して、校舎内全体に「やれやれ」という空気が広がっているときのことだった。僕もしのりんも、もうひとつの懸案である早期の入稿を無事に済ませ、二重の意味での開放感を味わっているところだった。

 それなのに、これだ。現実はなかなか、僕らをそっとしておいてはくれない。

 僕はそういうこともすでに想定はしていたので、ごくあっさりとこう答えた。


「ああ、やっぱり噂になっちゃってるんだ。違うよ。彼とは単なるお友達」

「ほんとに? けっこう噂になってるよ。ゆのの熱狂的なファンが騒いでるみたい。『ファン』とかちょっと、私には意味わかんないけどね」


 僕の「ファン」としてでなく、単なる友人としての立ち位置を確保している彼女は、教室の外でこちらをうかがうようにしていた女子たちのグループをちらっと見やってから、眼鏡のブリッジを中指で押し上げるようにしてため息をついた。


「まったく。何が楽しいんだか――」


 彼女の名は、橘ののか。

 可愛らしい名前とは裏腹に、なんて言ったらてきめん怒られることだろうが、なかなかさばさばした頭の回転も速い子で、僕にとっては気楽につきあえる稀有けうな友達のひとりである。

 ストレートの黒髪を首もとでまっすぐに切りそろえ、シャープで軽い印象のメタリックシルバーの眼鏡をかけている。それがまた、聡明な彼女には良く似合った。


「大変だね、ゆの。あれこれ聞く気はないけど、まあ気をつけなよ。どうせバカな他校の女子にでも目をつけられたんでしょ」

「うわ、さすがののちん。鋭いね」

「ちょっと。その呼び方、やめてって言ってるじゃない」

「ふふ。ごめんなさい、『ののか様』」

「まったくもう――」


 あきれた様子ですっと目を細めた彼女に向かって、僕はちょっと笑ってしまう。

 入学以来、学年トップの座を明け渡したことのない才女の「ののか様」だが、話してみれば意外なほど気安く付き合える人だった。

 女の子ではあるものの、女子に特有のあのべたべたしたところがなく、物事を客観的に見られる上に、わりあいこうしてチャーミングなところもある。これで見た目とは裏腹に、実質はちゃんとした可愛い女の子なのだ。

 あ、こんなこと本当に言ったら激怒されるから、もちろん言ったりしないけど。


「彼氏じゃないって言うなら、付きあいかたには気をつけたほうがいいよ。外で二人きりで会ってるなんて論外だわ。しかも制服のままだなんて。そんな無鉄砲なことするから余計な災厄を身に招くんじゃないの。もっと気をつけなきゃ。相手だって迷惑でしょうに」

「ごもっともです。面目ない」


 僕は素直に、でもちょっと芝居がかったやりかたでののちんに頭を下げて見せた。

 とは言いながら、心中はとても心穏やかというわけには行かない。こちらはそんな程度で済んでいるけれども、しのりんの方がどうなっているのかは、やっぱり心配だったからだ。

 もちろんしのりんはあっちの学校で男の子としての生活をしている。

 他校の女子とお付き合いをしているのではという噂が立ったところで、普通の男子だったら変な話、ある種の「武勇伝」みたいなものに過ぎないはずだ。

 でも、しのりんは普通の男の子というわけではない。


 僕は、心配になって電話をしたあの夜、しのりんが困ったように言いよどんだ、あの声を思い出した。

 僕はべつに、僕らが付き合っているということにしてしまえば大した問題にはならないと思ったのだったが、しのりんはどうも、そうすることには抵抗があったようだった。

 そして、その理由がなんなのか、僕にはなんとなく想像がつくような気がしていた。


 しのりんは、もしかしたら誰か好きな人がいるのかもしれない。

 それも、多分、相手は女の子じゃないだろう。

 だってしのりんの心は、ちゃんとした女の子なんだから。


 でもきっと、それは口に出すことのできない気持ちで。

 相手が誰だかはわからないけれど、恐らくは友達としての立場でそっと、心の中だけで想っているんじゃないかな、って。

 その相手とどうこうなろうとはきっと思ってないんだろうけど、だからって、しのりんが他校の女子と付き合っているなんて、その相手には知られたくないはずなんだ。

 と、まあここまでは今の僕の勝手な想像にすぎないけれど、僕はなんとなく、自分のこの第六感が事実だろうという確信を持っていた。

 そしてできれば、事態がこれ以上しのりんを苦しめるようなことにならないようにと願ってもいた。


 でも、残念ながら、ことはそう簡単にはいかなかったのだ。




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