ChapterⅡ:プラチナローゼズ②
別荘を出て、背後にある森へと向かってゆく。
森もまた暖かい日差しを浴びて、深緑の葉を青々と輝かせている。
森の中を少し進むと、俺の目の前に一際大きな木が深く根を下ろしていた。
その下には流木で編まれた十字架がある。
十字架の周りは色とりどりの花で覆われていて、華やかに飾り付けをされていた。
そして今日もやはり、その前には俺へ背を向け、膝を抱えて座り込んでいるローゼズの姿があった。
ローゼズの横には昨日、俺が置いていったバスケットが蓋を開けられた状態であった。
―――少しでも食べてくれたのかな?
「おはようローゼズ!今日もアーリィがパン焼いてくれたぜ!しかも今日は特別にミックスナッツと牛乳もあるんだぞ!」
俺は努めて元気よくそう言い、バスケットを交換するためにローゼズへ近寄ってゆく。
そして落胆した。
昨日、アーリィが持たせてくれたクロワッサンは十字架の下に置かれていたのだった。
「少しは食べたほうが良いぜ?」
俺はバスケットを交換する。
ローゼズの背中がびくりと震えた。
きっと今まで俺は近づいていたことに気がついて居なかったんだろう。
ローゼズは俺へ振り向きもせず、バスケットに手をかけた。
蓋を開き、香ばしいバターの香りを漂わせるパンを手に取る。
「ハミルトン、今日もアーリィがパン焼いてくれた。たくさん食べて早く元気になる……」
ローゼズはかすれた声で十字架へそう声をかけながら、新しいパンをそこへ添える。
しかしそうするだけでローゼズ自身はパンはおろか、大好物のミックスナッツや牛乳に手をつけない。
そんなローゼズの姿をみて、俺の胸は痛んだ。
タリスカー……いや、ハミルトン=バカルディが自分から命を絶ってから今日で丸一週間。
その日からローゼズはずっと、ハミルトンの墓の前へ一日中座り込む生活を繰り返していた。
毎朝、俺たちが起きるよりも早く墓の前へ来て、俺たちが寝静まった頃に戻り、そして再び墓の前へ座り込む毎日。
動いたとしてもそれはハミルトンの墓へ添える花を摘む時だけ。
「ハミルトン、パン美味しい?今日は豆と牛乳もある。たくさん食べて早く起きる」
ローゼズはバスケットから牛乳の入った瓶を墓へ添え、豆を撒く。
「ローゼズ……」
「だから早く……早く、ハミルトン……ううっ……」
ローゼズは膝を抱えたまま、涙を流し始めた。
すすり泣く声が静かな森に響き渡り、俺の胸を強く締め付ける。
なんとかしたい。でも何もできない。唯一の方法も今の状態じゃ逆効果になるとしか思えない。
俺のジャケットの内ポケットには生前、ハミルトンから託された手紙が入っている。
ハミルトンはローゼズに万が一のことがあった時にコレを渡して欲しいと言っていた。
でも今、ハミルトンを失った悲しみに打ち拉がれているローゼズにコレを、今のタイミングで渡すのはどうか?
深い暗闇のような悲しみの中にいる今のローゼズへコレを読ませてしまえば、またハミルトンのことを強く思い出して、より深い闇の中に落ちてしまうんじゃないか。
そしてもう二度と、そこから抜け出せなくなるんじゃないか。そう思えてならない。
―――やっぱりジョニーさんの助言通り、もう少し時間を置こう。時間がローゼズの傷を癒すその時まで……
「また昼に来るな」
俺は静かにローゼズへ背を向け、来た道を戻り始めた。
―――もっとローゼズのことを考えなきゃな……
そういう思いはある。
でも、今の俺にはそれが難しかった。
気持ちのすべてをローゼズに掛けて、ハミルトンを失った悲しみから救い出したいという想いはある。
だけど、俺の気持ちは俺自身のことにも注がれていて、他の誰かを目一杯包み込む余裕がなかった。
一週間前、ブラックローゼズと対峙した後、自分の体に異変を感じた。
怒りの中に突然沸いた狂ったブラックローゼズを憐れむ心。そして奴と互角に渡り合えた異常な身体能力の向上。
思い出してみれば、こういうのは何もブラックローゼズの時が初めてじゃない。
マッカラン、マスク・ザ・G、アードベック……奴らと戦った時も同じような感覚と身体能力の向上を感じたことはあった。
でも、その時俺は、そうした能力の向上はいわゆる火事場の馬鹿力のようなものだと思っていた。
そしてきっと、【あの変化】がなければ、俺はここまで心に余裕を無くすことはなかったんだろうと思う。
俺は自分の右腕を見てみた。
すると否応無しに一週間前の変化が強烈に思い出された。
突然黒色化し、鉛玉を弾き返した俺自身の皮膚。
ブラックローゼズはその変化のことを【クロコダイルスキン】と呼んでいた。
―――あれは一体何だったんだ?
しかしその疑問に、誰かが答えてくれるはずもなく、問いは自然と溶けて消えてゆく。
あの日以来、皮膚の変化は見られない。
まるでワニのようなウロコを持ち、金属のような光沢を放つそれは、今思い出しても到底人間のモノとは言い難い。
そんな変化をする俺は一体なんなのだろうか?俺の体はどうなってしまったのか?
得体の知れない不安は俺の心を容赦なくかき乱す。
何度も考えた。しかし答えは見つからない。
心が不安で仕方なく、俺の中から余裕が無くなってゆく。
そんな自分が情けなく思った俺は、やり場のないこの感情を歯を食いしばることで発散した。
「おかえり」
気が付くと俺の前には心配そうにこっちを見るアーリィの姿があった。
アーリィは別荘の前に立っている。
どうやら考え事をしているうちにいつの間にか別荘まで戻ってきたようだった。
「血、出てるよ?」
アーリィはそう言って白いハンカチを取り出し、そっと俺の右の頬を拭ってくれる。
どうやらこの間の戦いで右の頬に刻まれた一文字の傷跡が歯を食いしばったことで開いてしまったらしい。
アーリィの真っ白なハンカチが俺の血で薄らと赤に染まってしまい、申し訳なく思う。
「大丈夫?」
アーリィは恐る恐る聞いてくる。
「ローゼズは相変わらずだったよ」
「違う。ワッドのことだよ……」
アーリィは心配そうな視線を俺へ送ってくる。
どうやら俺は言葉のニュアンスさえ分からなくなっているようだった。
ふと、アーリィを前にして、俺はコイツなら俺自身のことで何か答えをくれるんじゃないかと思った。
異常な【身体能力の向上】と【クロコダイルスキン】のことを……
俺は一瞬、口を開きかけける。
しかしすぐに口を閉じた。
アーリィは俺のことをよく理解してくれる。
これまでも、俺の悩みを真剣に受け止め、時に励まし、時に叱咤してくれた。天涯孤独の俺にとって、この世界で唯一なにも隠さずに話ができるのがアーリィ=タイムズ。
だからこそ、俺は真実を話すのが怖くなった。
―――異常な身体能力に、黒色化して銃弾を弾き返すほど硬い皮膚。まるでそれじゃ化物みたいじゃないか……
人間では考えられない変化をする俺をアーリィは怖がるんじゃないか。
化物のような俺から離れてしまうんじゃないか。
真実を口にしてアーリィが俺から離れてゆくのが怖かった。怖くてたまらなかった。
だから俺は、
「心配するな、ただの寝不足だから」
そう言って俺はアーリィを横切ってゆく。
―――自分自身で答えを求めるしかない。
俺は自身へそう言い聞かせる。
アーリィの視線を俺は背中に感じる。しかし俺は気づかないフリをして、別荘の中へ戻ってゆくのだった。




