ChapterⅡ:南から来た彼女⑥
「お、お待たせしました!」
そうして待つこと数十分。ハミルトンはおずおずと俺たちの前へ朝食を出してきた。
出てきた料理に俺は感心のあまりついつい眼を丸くしてしまう。
まな板の上にいた白身魚は、色とりどりの豆と一緒にトマトで煮込まれていた。
爽やかなトマトの香りへ香辛料の複雑さが加わり、俺の腹の虫をぐぅっと鳴らす。
しかし出されたのはそれだけじゃなかった。
葉物野菜を中心に、パプリカ、豆と和えられた生魚のマリネも俺の生唾を誘った。
オリーブオイルの芳醇な香りに混じって、ほのかにビネガーの厚みのある爽やかな香りが絶妙で、これまた見ているだけで俺の口の中は涎で一杯になった。
きっとそう思ったのは俺だけじゃないんだろう。俺の向かいに並んで座っているアーリィとジムさんもまた出された料理を目の前にして、目をまるまると見開いていた。
「ハミルトン上手」
「ありがとうござ……ありがとうローゼズ」
ローゼズに褒められ、ハミルトンは気恥ずかしそうに微笑む。
「魚なんてどこにあったのですか?」
しかし俺の隣に座るハーパーは妙に突っかかった物言いでハミルトンへ聞く。
「えっと、皆さんが寝てる間にそこから釣って……」
と、ハミルトンは窓の外に見える海へ視線を移す。そういえばそんなこと言ってたっけ。
確かに眼の前にある料理はどれも美味しそうだった。しかし俺も、そして他のみんなもなかなか手を付けようとしない。
今、眼の前にいるローゼズと同じ赤目赤髪の少女は、俺たちの知るナイフ使いのタリスカーとは中身が全然違う。
しかしふと冷静になって彼女を見てみれば、これまで散々見させられた狂気の姿が否応無しに思い出される。
そんな頭の中にあるタリスカーのイメージは自然と食欲を無くさせ、例え目の前にある料理が美味しそうだったとしても、それに手を付けることを躊躇わせる。
「あ、あれ……?もしかしてこういうのはお嫌いでしたか……?」
食卓の前に立つハミルトンは苦笑いを浮かべる。すると、ローゼズが突然席に着いた。
椅子に座るや否や、
「いただきます」
魚のトマトソース煮込みをフォークで突き刺したかと思うと、切り身の半分を思い切りほうばり、良く噛んで飲み込む。
「んまぁーい!ハミルトン凄い!!」
ローゼズは顔を綻ばせながら不安げなハミルトンへそういった。するとずっと緊張していたハミルトンの表情が解れる。
「あは!ありがとう。でも、何その”んまぁーい!”って?」
「食べ物を食べて美味しく感じたときの言葉。昔、ハミルトンが教えてくれた」
「えっ?そ、そうなんだ……」
「覚えてない?」
「ごめん、その……私、名前以外は何も……」
ハミルトンは申し訳なさそうに顔を俯かせる。本当に彼女の中からタリスカーが消失しているように感じる。
「気にしない。ハミルトンがハミルトンなんだからそれで良い」
「?」
ハミルトンはローゼズの言ったことがよくわからなかったのか首を傾げた。
この様子だと彼女がタリスカーであったと言っても意味がわからないだろう。
「ワイルド」
っと、突然ローゼズが皿を俺へ突きつけてきた。どうやら早く食べろ、ということらしい。
「早く」
「わ、わかったよ」
気圧された俺は皿を上に乗る魚のトマト煮を一口頬張った。瞬間、豊潤なトマトの香りが口いっぱいに広がった。鼻に抜けるスパイスの香りは魚の生臭さを完全に消し去っているが、うま味は舌の上で踊り狂っていた。今度は魚と豆を一緒に。
少し硬さの残る豆の食感はふわふわになるまで煮こまれた白身魚へ歯ごたえを与え、食べごたえがあった。更に付け合せのマリネがまた良い。
トマト煮込みであっても、油は使っている。その油をマリネは綺麗に洗い流してくれるのだ。こりこりとした魚の切り身の食感は凄く心地良い。
「旨いな、ホントに、マジで!」
「あ、ありがとうございます。そこまで言っていただけて……」
自然とそんな言葉が俺から漏れる。ハミルトンは恥ずかしそうに顔を俯かせる。
「ほほぅ、ならこの美食家のジム=ビームが味見をしてやるです!ほら、アリたんも!」
「うぇっ!?ちょっとジムさん!」
動揺するアーリィを放っておいてジムさんは魚のトマト煮込みを一口。
「ほほう、これは……旨いです!」
ジムさんは顔を綻ばせ、食事を進める。するとアーリィもおずおずと食べ始めた。
「あっ……ホントだ」
それからの二人の食事のスピードと言ったらなんとやら。俺とローゼズも含め、ジムさんとアーリィは笑顔を浮かべながらどんどんハミルトンの作った朝ごはんを夢中で食べてゆく。
「良かった、お口に合って。まだおかわりありますよ?」
ハミルトンがそういうと俺たちは我先にとお代わりを頼む。そうして食べ続け、俺の胃袋は朝だというのにパンパンに膨れていた。
「本当においしかったです!ハミルトン、料理上手なのですね!」
お代わりを三杯もしたジムさんはけろっとした表情でそういう。
「よくわかりませんけどなんとなく体が自然に動いたって言いますか。記憶がないのに変ですよね」
「っとなるとハミたんは無意識でこれだけの腕が震える程料理が得意ということですね?」
「ハミたん?」
「すみません。ジムさん、すぐに人へそういうあだ名付けるんですよ」
アーリィもまた柔らかい表情でそういった。
「あは!もうあだ名付けてもらえたんですね?嬉しいです!ありがとうございます!」
「気にすることないです!あっと、自己紹介が遅れたです。私はジム=ビーム、よろしくですハミたん!」
「こちらこそジムさん!」
ハミルトンは嬉しそうに微笑んだ。
「私はアーリィ=タイムズ!」
「よろしくお願いしますアーリィさん!」
「いやぁアーリィで良いよ。代わりにあたしもハミルトンで良い?」
「あは!分かったよ!ありがとうアーリィ!」
「こちらこそハミルトン!」
「むーっ!」
すっかり意気投合したアーリィとハミルトンの間に、頬を膨らませたローゼズが割って入った。ハミルトンの肩に抱き付いたローゼズはまるで動物の威嚇のようにアーリィを睨みながら唸っている。
「あは!そんなに心配しなくてもローゼズが一番だよ?」
すっかりローゼズに慣れたのかハミルトンは優しくそう云った。
「ほんと?」
「うん!だって最初に私のことを受け入れてくれたのはローゼズだもん。ローゼズのおかげでみんなにお料理食べて貰えて、ジムさんやアーリィ、あと、えっと……」
ハミルトンの視線が俺へ向けられる。
「遅れて悪い!俺はワイルド=ターキーだ」
そういって俺が手を差し出す。ハミルトンも握手を返そうと手を伸ばすが、
「むーっ!!」
ローゼズが俺とハミルトンの間に割って入り、俺たちの握手を邪魔する。
「あは!ダメ?」
コクリコクリ。
「どうして?」
「ワイルドと手をつなぐのはわたし!」
といって、何故か俺の手を握ってくるローゼズ。ちょっと力が入ってて手が痛い。
「あは!わかったわかった」
ハミルトンはいたずらっぽく微笑む。確かに赤目赤髪は健在で姿はタリスカーそのものだ。でも中身が全然違う。今目の前にいるのは明るく、活発な人当たりのよい少女。
日記で読んだローゼズの親友:ハミルトン=バカルディが今目の前にいる。
「で、そこでずっと一人でカリカリしているのはハーパー=アインザックウォルフなのでぇす」
「カリカリなんてしてません!」
ジムさんの言葉を聞き、俺の隣に座るハーパーは眉間にシワを寄せながら叫んだ。
「まぁまぁハーパー。とりあえず食べてみないか?」
俺はハーパーへ薦める。ハーパーは目の前にある食事に一口も手をつけていない。
「あ、あの、宜しければ温め直しますよ?」
「構うな!」
ハーパーはハミルトンが差し出した手を勢いよく弾いた。
「す、すみません!」
ハミルトンは驚いた様子で手を引く。
「ハーパー!」
ローゼズが声を上げハーパーを睨む。しかしハーパーは動じず席から立つ。
「皆さん気を許しすぎですよ!こいつはタリ……」
「止めろハーパー!」
見ていられなくなった俺は口を挟んだ。
「しかしワイルド様!」
「良いから黙れッ!」
「……ッ」
ハーパーは口惜しそうに顔をしかめ、口を噤んで座り込んだ。
重苦しい空気が流れ、みんな黙り込む
「あの……きっと私、皆さんに何かとても大変なご迷惑をおかけしたんですよね……?」
おずおずとハミルトンが沈黙を破った。
「調子に乗ってすみませんでした。すぐにここを出てゆきま……」
「ダメッ!」
ローゼズは強く言葉を上げる。
「でも……」
「ダメッ!ハミルトン何も分からない!とっても心配!一人にできない!」
ローゼズの主張を聞いて、ハミルトンは困惑した顔を浮かべていた。するとローゼズは席から離れ、ハミルトンへ近寄ると彼女の手を取った。
「行く!」
「ちょ、ちょっとローゼズ!?」
ローゼズは驚くハミルトンを強引に連れてゆき、リビングを出て行った。




