ChapterⅡ:南から来た彼女③
アンダルシアン大陸西海岸を源流に流れるエプロ川。
大陸を縦断するそれからは幾つもの支流が網の目のようにアンダルシアン全体に広がっている。
近年、コーンを用いた内炎機関が発達し始め、一部の支流は汚染されて、飲用には適さなくなっていると聞く。
しかし今俺たちがいる東海岸の北東地域はアインザックウォルフのおかげで自然が良い状態で管理されているという。
さすがと言うかなんというか、やはりアインザックウォルフの財力恐るべし。
荒れたテラロッサばかりの海岸沿いの道を行き、分岐を右に曲がると俺たちの馬車は緑豊かな山間部へと進んでゆく。
僅かに感じる空気の湿り気と、森の木々の香りは荒れ果てたアンダルシアンでは滅多に感じられない心地よさを感じさせる。
馬車を引く馬たちも心なしか、足取りが軽やかに見えた。
森の中をハーパーの指示に従って進んで行くと、やがて耳に川のせせらぎが聞こえ始める。
木々の向こうに見える穏やかな清流。その辺に人が倒れていた。
「ハーパー、ちょっと頼む」
「ワイルド様!?」
俺は轡をハーパーへ託し、馬車を飛び降りて走った。森を一気に駆け抜け、川へ急ぐ。
「コイツは……!?」
俺は一瞬自分の目を疑った。
俺の目の前にいる彼女は上半身のみを辺に倒し、うつ伏せに倒れていた。おそらく力を振り絞って川から這い上がったが、途中で意識を失ったのだろう。わずかばかり肩の上下が見えるので、死んではいなさそう。
本来ならばすぐにでも助け出したいところだった。
しかし目の前にいる彼女は短く切り揃えられた赤髪を持っていた。
水着のような軽装に、全身にマウントされているシースナイフ。
幾度となくぶつかってきたナイフ使いのタリスカーだった。
「う、ううっ……」
タリスカーが呻きを上げ動き出した。俺は咄嗟にホルスターからビーンズメーカーを抜き、銃口を奴の頭へ突きつける。
タリスカーはゆっくりと川から這い上がり、顔を上げた。
しかし妙なことに気が付く。
確かに目の前にいるには赤目赤髪の殺人鬼タリスカーに違いない。
しかしどこかいつもと様子が違うように思えた。いつも瞳に湛えている狂気が感じられない。雰囲気からもどことなくいつもの殺伐としたものが感じられなかった。
―――相手はタリスカーだ。油断はできない。
俺はそう思い、銃口を奴へ突きつけ続ける。
相変わらずタリスカーは呆然としたまま、辺りをゆっくりと見渡していた。
そんな俺の横を小走りのローゼズが過ぎってゆく。
「おい、待て!」
しかしローゼズは俺の言葉を無視して、タリスカーの下へかがみ込んだ。
「君は誰?」
ローゼズがそう聞くと、タリスカーは緩やかにローゼズをみた。
「……ハミルトン=バカルディ……」
「ッ!?」
タリスカーから聞こえた言葉に俺は驚きを隠せなかった。
ローゼズも同じだったようで、タリスカーの肩を掴んだ。
「わたしが誰だかわかる!?」
ローゼズは声を荒らげてそう聞くが、タリスカーはゆっくりと首を横へ振るだけだった。
「……」
「ハミルトン!」
タリスカーはゆっくりと目を閉じ、ローゼズの胸へ倒れこむ。
肩で息をしているので、意識を失っただけのようだった。
するとローゼズは意識を失いうなだれるタリスカーを抱き抱えた。
「ローゼズ何を?」
「助ける」
ローゼズは強い意思がこもった瞳で俺を見据えてきた。
「ロゼたん正気ですか!?相手はあのタリスカーなのですよ!?」
ジムさんは声を荒らげた。
「私も同意しかねます。コイツはアードベックと組んでロングネックを襲った罪人です」
ハーパーの意見もまた最もだった。
しかしローゼズは抱えたタリスカーを下ろさない。
「ダメ!助ける!」
ローゼズは強く主張する。
そんなローゼズを見て、俺の心は揺らいでいた。
タリスカーの正体はローゼズの親友ハミルトン=バカルディであるということはわかっている。
そしてさっきのタリスカーの様子から、彼女がもしかするとハミルトンに戻っているかもしれないという可能性を俺は感じる。
しかし相手は何度も対峙してきたタリスカーであるということを思い出すと、どうしても心にブレーキが掛かってしまう。
―――どうすれば良いんだ?どうしたら……
「あのさ、みんなちょっと良いかな?」
そんな時、アーリィが声を上げた。皆の視線が一気にアーリィへ集まる。
「さっきのタリスカーいつもと違う雰囲気だった気がするんだよね。なんとなくなんだけどあたし今のタリスカーだったら大丈夫な気がするんだけど」
「でもそれはアリたんがそう思っただけで、今のタリスカーが安全っていう証拠にはならないですよね?」
ジムさんの意見は最もだった。
しかしアーリィの表情は揺らがない。
「まぁ、そうなんですけど……ならもし万が一タリスカーがいつものタリスカーだったとしたここにこのまま放置するのはマズイんじゃないですか?コイツの危なさはあたしたちが一番良くわかってると思いますし」
「だったらさ、とりあえず俺たちがコイツを拘束するのはどうだ?」
俺はアーリィの意見を聞き、思いついた考えを言ってみた。
相変わらずハーパーは硬い表情を崩していないが、ジムさんは顔に少しの和らぎが見て取れる。
「もうそろそろ日が暮れるし、タリスカーを連れて夜道をあるいて中央政府軍に引き渡すのは危ないと思うんだ。だったらここは一時的に俺たちがコイツを捕まえて、明日の朝に引渡しに行くのはどうだろ?それにもしかするとタリスカーから【遺跡】に関するなにかしらのヒントが聞き出せるかもしれないしな」
「ふぅむ……確かにワイルドの意見は良いかもしれませんですねぇ」
ジムさんは納得した様子を見せ、
「危険性を加味すれば、今夜は私たちが拘束するのが良いかもしれませんね……」
ハーパーはやや同意し兼ねる様子だったが、それでも一晩俺たちがタリスカーを拘束すること自体は賛成な様子だった。
「ならこの近くにアインザックウォルフの別荘があります。まずはそこへ向かいましょう」
「なら……」
ジムさんは縄を取り出し、タリスカーを抱えるローゼズへ向かう。しかしローゼズはジムさんの横を素通りし馬車へ向かっていった。
「ロゼたん!」
「大丈夫。そんなことしなくても」
ローゼズはそういいながらそそくさと馬車へ乗り込んでいた。ジムさんとハーパーは納得し兼ねる様子で馬車へ向かってゆく。
「ありがとう」
俺はアーリィへそういった。するとアーリィはフッとため息を付き、
「まぁ、なんとなくワッドのしたいことをわかったからね」
「いつも悪い」
「良いの良いの、幼馴染なんだから!まっ、あたしもなんとなく今のタリスカーは平気な気がしたんだけどね」
そう言ってアーリィは少し笑顔を見せた。
―――いざって時はやっぱり頼りになるな。
アーリィの存在に改めてありがたみを感じる俺だった。




