ChapterⅠ:紅兵士タリスカー①
【VolumeⅢ―ChapterⅠ:紅兵士タリスカー】
テラロッサの上にそびえ立つ、空に届きそうな程の高い壁。壁は中にある建物をぐるりと囲んでいて、その上には有刺鉄線と武装した中央政府の軍人が銃を手に、睨みを利かせている。
「行くぞ」
コクリ。
俺とローゼズはアンダルシアン東海岸に存在する凶悪犯専用収容所(通称スティーブ収容所)へ足を踏み入れていった。
刑務官の後ろに続いて、幾つもの鉄扉や鉄柵をくぐり抜け、収容所の地下深くまで向かってゆく。地下深くに設けられた【最凶悪犯隔離施設】
そこの空気は妙にが湿っぽく、照明は裸電球が寒々しい廊下に点在しているだけ薄暗かった。外の光は一切差し込まない、外から完全に隔絶された寂しい空間。
こんなところで一生過ごすなんて考えられないし、数日で気が狂ってしまうと思えて仕方がない。
「もし何かあればすぐに呼んでください。くれぐれもお気を付けを」
そう言って刑務官は最後の鉄格子を開けた。
俺とローゼズは靴音を響かせながら左手に見える鉄格子へ向かってゆく。
「久しぶりだな、元気にしてたか?」
俺は鉄格子の向こうにいる女へ声をかけた。彼女は椅子に座り、夢中でキャンパスに向かっている。
白い囚人服を着た、ローゼズと同じ赤く長い髪と血のように真っ赤な色をした瞳の彼女。服の隙間からは幾つもも古傷が見えて、彼女が紅兵士に改造されるまで、どれだけ酷い境遇に置かれていたかが痛々しいほど伝わってくる。そんな元ゴールデンプロミスの首領マッカランは緑豊かな風景画を描く指を止め、ゆっくりと俺たちへ振り返ってきた。
「ああ、元気さ少年」
振り返ってきたマッカランは妙に穏やかだった。対峙した時の張り詰めた雰囲気はどこにもなく、ただ静かで穏やかな印象が今の彼女からにじみ出ているように思える。
だがマッカランの瞳がローゼズを捉えたとき、その穏やかさに少しり陰りが生じた。
「君も来ていたのかローゼズ。どうだい調子は?」
「……問題ない。マッカランは?」
「幸福さ。ここには誰も来ないし、誰もいない。ここにいる限り私はおびえる必要はないからな……」
「そう、ならよかった」
ローゼズは表情を少し和らげた。マッカランもまた顔の緊張を解く。
例え紅兵士に改造され、暗殺を強要され続けていたとしてもローゼズにとってマッカランが特別な存在であることは変わりない様子だった。生死の境を彷徨っていたローゼズの命を助けたのは例えどんな目的だったとしてもマッカランに変わりは無い。やっぱりこの二人には言葉では言い表せない、でも確かな繋がりがあるのだと俺は思った。
「で、少年よ私の様子をただ見に来たわけではないのだろ?」
マッカランの瞳が俺へ向けられる。
「聞きたいことがある」
「手短に頼むぞ。早く、絵の続きが描きたいのでな」
「……タリスカーはいったい誰なんだ?」
「何かあったのだな?」
マッカランの目が僅かに鋭さを帯びる。
「ああ。この間俺達は奴にまた会った。その時奴はローゼズへの憎しみを口にしていたんだ。スチルポットのことを叫びながら……どうしてなんだ?」
マッカランはすぐには答えてくれなかった。
沈黙の後、マッカランはようやく口を開いた。
「少年よ。私が口を開くのは容易だ。私はただ記憶の中にあることを声に乗せれば良いだけ。しかしお前たちは違う。知ってしまったならば、知る前には決して戻ることはできない。その覚悟はあるのだろうな?」
マッカランは鋭い視線で静かに問いかけてくる。そう言われ、俺の中に動揺が生まれた。動揺は未だ俺の中にあった迷いに揺さぶりをかける。
マッカランの言う通り、ここで俺たちが何も知らなければ、今まで通りタリスカーと正面から戦うことができる。マッカランの制御を離れた奴は危険極まりなく、次はどこで、何をしでかすか分かったもんじゃない。
きっと俺たちはこれからも、タリスカーが捕まるその日まで奴と戦い続けなければならないだろう。だったら余計な情報は要らないんじゃないか?
可能性は可能性のまま秘めておき、これまで通りタリスカーの暴挙に対して、遠慮することなく真正面からぶつかり続けていけば良いんじゃないか?
そう頭では理解している。
―――無暗にタリスカーのことを知るべきじゃない。
だけど反面、やはりタリスカーの正体を確認したい俺もいた。
単なる好奇心じゃない。そんなために俺とローゼズはわざわざここへ足を運んだんじゃない。
ここに来るまで、真実を確認するかどうか散々話し合った。
結果、俺たちはここを訪れ、マッカランから真実を聞き出すと決めた。
それは俺よりもローゼズ自身が望んでいることでもあったし、俺は彼女の考えを尊重してここまで着いてきた。
「マッカラン」
ローゼズが鉄格子の向こうにいる彼女の名前を呼んだ。
「わたしは知りたい。タリスカーが何者なのかを」
「良いのだな、本当に?」
コクリ。
マッカランは再び黙り込んだ。ローゼズはじっとマッカランを見据えたまま。俺はそんなローゼズの態度から、彼女の強い意思を感じ、俺もまた口を固く閉ざす。
「……タリスカーはスチルポットの人間だ」
俺の予想とマッカランの言葉が重なり、心臓が大きく鼓動を始める。マッカランは言葉を続ける。
「スチルポットが壊滅した日、私は街の中で瀕死の重傷を負った一人の少女を発見した。彼女は腹を銃で撃ち抜かれ到底生きているとは思えなかった。でも、彼女はそれでも生きていた。彼女はずっとスチルポットを滅ぼしたローゼズの名前を恨めしそうに呟きながらな……そんな強さが私の目を引いたんだ」
「目を引いた?」
思わず俺はオウム返しをしていた。
「紅兵士は誰でもなれるものではないのだ。紅兵士の作成は素材となる強い肉体と精神が必要だ。瀕死の重傷を負っても尚、憎しみを呟き、生き続けていた彼女は紅兵士の素体にに最適だと思ったんだよ」
マッカランの話を聞く中で、俺は喉の渇きを感じていた。心臓は激しく脈を打っている。
いよいよ迫った真実の言及のために俺は口を開く。
「その子の名前は……?」
「ハミルトン=バカルディ」
「ッ!!」
心構えはできていたつもりだった。真実はある程度予想をしていた。
でも心のどこかではそうであって欲しくは無いと思う俺も居た。
それはきっと隣にいるローゼズも同じだったんだろう。彼女もまた鋭い視線をマッカランへ送っていた。
「ならわたしのように元に戻せる?タリスカーをハミルトンに」
ローゼズは鋭い視線のままマッカランへそういう。しかしマッカランは首を横へ振った。
「無理だな」
「どうして!?」
「紅兵士にはいくつかのバージョンがあるのだ。ローゼズ、君は元々の人格へ私への服従性を強く刻み込んだ最も初期の紅兵士の作成法だ。しかしタリスカーは最終形。ハミルトンという人格を破壊して、タリスカーという新しい人格を植え付けた存在。もはやハミルトン=バカルディはこの世に存在していない」
「……ッ」
ローゼズは唇を強く噛みしめていた。
「どうして……どうしてそんなことをしたのマッカラン……」
ローゼズは呟くようにそういう。するとマッカランの表情が少し暗くなった。
「それは君が私の傍から居なくなったからだよ……」
「えっ……?」
「私達はこの大地で数少ない同族。でもローゼズは私の傍から居なくなった。私は孤独になった。だから作ったんだ。決して私から離れず、裏切らず、ずっと傍に居てくれるタリスカーを……」
マッカランは瞳に悲しみを写し黙った。しばらくすると俺たちから視線を外した。
まるで俺たちに存在を感じないかのようにマッカランはキャンパスへ向かい続ける。
「帰ろう」
俺は隣で呆然と佇むローゼズの手を引きマッカランの前から去ろうとする。
「ワイルド=ターキー」
突然、キャンパスに向かい続けていたマッカランが声を上げた。俺ははたりと足を止める。奴は相変わらずキャンパスに向かったままだったが、
「その手を離すんじゃないぞ」
「当たり前だ」
「言えた義理ではないが……ローゼズのことをくれぐれも宜しく頼む……」
マッカランはそれっきり言葉を発することはなかった。
俺はローゼズの手を強く握りしめ、永久隔離施設を出てゆく。
ローゼズもまた強く握り返してきてくれた。
―――離すものか、決して。
俺は再び強い誓いを立てるのだった。




