ChapterⅡ:奴が静かにやってくる ②
鉄分を含んだ土はギラつく陽の光で風化し、
周囲を鮮やかな赤で彩っていた。
俺の住む、【アンダルシアン大陸】は、
そんなテラロッサばかりの不毛の大地。
テラロッサってのは石灰に含まれる炭酸カルシウムが溶け出して、
残った鉄分が酸化して色づいた赤土のことだ。
肥沃じゃないから果樹栽培以外あんまり適してない。
おまけに気温も年中うだってしまうほど高い過酷な環境だから、
作物の育つところは少ないし、
酪農もごく限られた場所でしかできない。
だからこそ俺や、
このアンダルシアンに住む皆は別の方法で稼ぎを手にしている。
俺は丁度良さそうな石ころを拾い上げた。
腰にぶら下げた道具袋から杭を取り出し、
拾った石ころへ当てる。
たぶん、この辺りなら大丈夫な筈。
小さい頃からお袋や、
もう死んじまった親父の手伝いでやってきたコレの勘は、
この場所に杭を当てても問題ないと俺へ教える。
俺は道具袋から金槌を取り出し、
そして杭へ向け勢いよく振り落とした。
甲高い音が響き、石ころが真っ二つに割れる。
石ころの中には長い年月を経て封じ込められた、
黄色の粒が点在していた。
「んー?」
気が付くと荷台に適当な石ころを積んできたローゼズが、
不思議そうな顔をして俺の手元をみていた。
「どうした?」
試しにコーンの点在する石の欠片を手に持って、
適当に動かしてみる。
ローゼズは首を大きく振りつつ、俺の手元を追った。
「もしかしてコーン初めて見たのか?」
コクリコクリ。
「コーンは知ってるよな?」
「んー……」
知らないということらしい。
なんだか段々ローゼズのわかりづらい意思表示が、
理解でき始めていることにほんの少し嬉しさを感じる俺だった。
「これはコーンって言って火薬の一種なんだ。見てな」
俺は欠片の中から一番小さなコーンを取り出し、
地面へ置く。
そのコーンを思い切り金槌で叩くと、
甲高い炸裂音と共にコーンが赤い火花出しながら燃焼した。
「おー!」
「こうやって強い衝撃を与えるとコーンは爆発するんだ。この性質を利用して、コーンは銃の雷管や弾丸の発射薬に……って!?」
気が付くとローゼズは俺を真似て、
さっき金槌で戦いコーンよりも少し大ぶりのものを叩いた。
さっきよりも大きな火花が起こり、金槌が焼け焦げる。
「危ないからそういうことしない!」
「んー!!」
俺が金槌を取り上げるとローゼズは頬を膨らませ、
奪い返そうと手を伸ばしてきた。
「こ、こら!」
「んー!」
ローゼズは長身だが俺の方が、少し身長が高い。
だからこうして腕を思い切り伸ばして、
高く掲げれば奪い返すことはできない。
しかし、なんだ、その……
「んー! んー!」
ローゼズは俺に密着し、
なんとしても金槌を奪い返そうとしていた。
彼女が金槌を奪おうと跳ねる度に大きくて柔らかい胸が、
遠慮なしに俺の体に押し当てられる。
炎天下の作業で汗をかいたためか、
ローゼズからはムンとした女の子独特のいい匂いが香っていた。
きっとアーリィが同じことをしても、
ここまで俺の身体が反応することはなかっただろと、
俺は必死になって理性を保とうとするが、
ローゼズの動きは止まらない。
「わ、わかった! わかったから! じゃあ、あともう一台分荷台に一杯石を集めてきたら貸してあげるから!」
「んー…………わかった!」
ようやくローゼズは動きを止め、
俺から離れた。
ホント、ギリギリセーフ。
ローゼズは素早く踵を返すと、
荷台を押し、足早に石拾いを始める。
見た目は大人、中身は子供というのも、
困ったものだと、俺は苦笑を浮かべずには居られなかった。
それにしても今日は採集率が悪かった。
このままじゃ夕暮れまでに、
お袋に頼まれた量を持ち帰ることができそうもない。
「ローゼズ!俺、あっちで石集めてくるから! あんまり一人で遠くに行くなよー?」
そう声を張り上げるも、ローゼズは石拾いに夢中だった。
たぶん、少しくらい目を離しても大丈夫だろう。
なにせ、十数人の無法者を一人で、
しかも瞬く間に倒したのだ。
めったなことでもなければ彼女の身に危険が及ぶことはないだろう。
俺はローゼズへ背を向けると、近くの洞穴へ入っていった。
洞穴の中へ入った途端、
独特の冷たい空気が俺の肌を撫で、
背筋に寒気が走った。
しかしここはコーンを採掘するには絶好な場所だし、
ここの存在を知っているのはたぶん俺だけだから、
誰にも邪魔されず予定量のコーンが採掘出きる筈。
俺はコーンを採掘するために、
小型ランタンへ火を灯し、
洞窟の奥へと進んでゆく。
すると、普段では感じない違和感を覚えた。
「……?」
僅かだけど、
洞窟の先に明かりのような揺らぎが見え隠れしている。
薄らと聞こえる人のような声。
今までここで人に出会ったことは無い。
――こんな辺鄙なところで何を?
不安よりも好奇心が勝ってしまった俺は、
足音を殺しながら、先へ進む。
そして岩肌に体をぴったり添わせて気配を殺し、
通路の先を覗き込み……言葉を失った。
通路の先に居たのは、
昨日ローゼズがモルトタウンから追い出した、
ゴールデンプロミスの髭面だった。
奴は手にしていた鞄を奥へ差し出す。
奴の奥にどんな人物がいるかは分からない。
しかし、その人物は髭面から鞄を受け取った。
暫くして髭面は鞄の代わりに重そうな金音を鳴らす、
袋を受け取る。
「ほほう、こりゃまた大量で。良いんですかい?」
髭面は下品な笑い声を上げた。
「構いませんよ。君の今回の功績は素晴らしいものですからね」
奥から凛然とした声が聞こえた。
同じゴールデンプロミスなんだろうか?
しかし昨日モルトタウンにやってきた中には、
こんな声の奴は居なかったように思う。
「それにしてもよボス、あの地図は一体何なんですかい?まさかスチルポットで墓荒しなんてちまいことしようてんじゃねぇでしょうね?」
髭面はふざけた様子でそう言った。
突然、俺の全身が冷や水を浴びせられたような寒気を感じた。
洞窟の寒さではない。
本当に水を浴びせされた訳でもない。
それは空気。
この空間に漂う空気が、
まるで鋭利な刃物のように尖ったような錯覚を覚えた。
しかしそんな空気の中でも髭面は、
「もしかしてボス、この純度の高いコーン……なんだっけか……ああ、そうそう【バーボン】!これ手に入れて一山当てようって魂胆ですかい? いやぁ、金に興味が無さそうに見えてボスもスミにおけやせんねぇ!」
「……」
「いや、まさかバーボンでアンダルシアンを全部焼いちまうとか!? あはは、そんなんされたら俺らは商売あがったりですわ! がははは!」
「中を……見たのですね?」
「えっ?」
髭面は間抜けな声を上げた。
そしてようやく、
この張りつめた空気をようやく感じたのか後ろへ下がる。
「あ、いや、一応ボスに頼まれたブツが無事かどうか確かめるために……!」
「貴方にそのような気遣いを頼んだ覚えはありません。私は貴方へただこの鞄を手に入れ、運んでくるよう頼んだだけです」
「や、そ、そうは言われましても……」
「タリスカー!」
「ッ!?」
それは一瞬の事だった。
髭面の前へ黒い影が躍り出る。
刹那、髭面の全身から血しぶきが上がったかと思うと、
悲鳴はすらなく、髭面は一瞬で死体に変わった。
「ヒっ!」
意図せず、俺の口から悲鳴が漏れてしまった。
路地の向こうからは発せられていた殺気が明らかに俺へと向いている。
髭面を一瞬で切り刻んだ奴と目が合ってしまう。
短く切りそろえられた赤髪が揺らめき、
燃えるような真紅の瞳を持つ女が俺を睨んでいた。
水着のような軽装に身を包み、
体のあらゆる箇所にシースナイフの鞘を括り付けた存在。
「見ましたね?」
ナイフ女の奥から、凛然とした声の主がぬっと姿を現す。
まるで紳士のような衣装にマントを羽織り、
シルクハットを被った怪人。
不気味な笑みを浮かべる白い仮面を付けた奴が俺のことを見ていた。
俺の第六感は、
このままここに居ては危険だと知らせてくる。
「タリスカー、あの子も殺しなさい!」
仮面の紳士の指示を受け、ナイフ女――タリスカー ――が地を蹴った。
「う、うあわぁぁぁぁー!」
俺は一目散に走り出した。
濃密な殺気が素早く俺を追う。
そのプレッシャーは、懸命に走り続ける俺の足を容赦なく震えさせた。
足がもつれ、何度も転びそうになる。
しかし、転倒は許されない、絶対にしちゃいけない。
心が強くそう訴えかけてくる。
「あはっ? 良いねぇ、良いよ! もっと逃げてッ! もっともっと!」
後ろからまるで鬼ごっこを楽しんでいるかのような、
甲高い声が聞こえた。
「あはっ! もっともっと早くぅ!」
声が近くなった。
俺は更に足へ力を込める。
だが気持ちはあれど速度は上がらない。
しかし肺は余計に酸素を求め激しく動き、
俺の胸を締め付ける。
それでも走り続けた。
走って、走って走り続けた。
――このままじゃ殺される! 確実に殺される!
一向に出口の光は見えてこない。
まるでこの世界が全て闇に閉ざされてしまったかのような、
錯覚が俺の恐怖心を余計に煽り、
足を震えさせた。
「あっ!」
視界が横転した。
何度も目の前にみえる洞窟の暗闇が視界の中で周り続ける。
次いで強い衝撃が胸を打ち、
激しい痛みと息苦しさが俺を襲う。
「あはっ? 追いかけっこはもう終わりぃ? 残念だなぁ……」
甲高い声が真近で聞こえた。
「ひっ!」
自然と首が後ろを向き、短い悲鳴が無意識に上がる。
視界の中には両手に長いナイフの柄を握り締めたタリスカーがいた。
タリスカーは赤い双眸を爛々(らんらん)と輝かせながら、
口元に嬉々(きき)とした笑みを浮かべて、
ゆっくりと俺へ迫ってきている。
「あは? 男の子だったんだぁ? 君、可愛い顔をだから女の子だと思ってたよぉ?」
「く、来るな!」
俺は近くにあった石をタリスカーへ投げつける。
石ころに閃光が走った。
石がタリスカーの斬撃で真っ二つに割れる。
「あは?そんなことしたって無駄だよぉ」
――こいつは危険だ!絶対に危険な奴だ!
立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
足の震えは益々ひどくなり、膝に力がこもらない。
「あは! ねぇ、君は痛みは平気? 指が無くなっても平気? 腕も耐えられるかなぁ? 耳は? 足は? 腸は? ねぇ、ねぇ!」
「来るなぁぁぁ~!!」
足が縛り付けられたかのように動かない。
腕で必死に地面を掴み、
強引に体を引きずるが殆ど進まず、
空を切るばかり。
「ぐはっ!」
不意に背中へ強烈な圧力がかけられ、
少しずつ前へ進んでいた身体がその場で止まる。
恐る恐る視線をあげてみると、
タリスカーが俺の背中を足の底で踏みつけていた。
「は、は、離せ! 離せッ!」
「良いねぇ! その顔良いよぉ!」
「離せッ! 離せッ!」
「じゃあまずは……うん、右腕からにしてみようかぁ!」
タリスカーの口元が歪む。
悪魔。
赤い悪魔がそこにいた。
「や、やめろ! やめてくれぇぇぇッ!」
必死に逃れようと身をよじる。
だが身体が前へ進むことはなく、
タリスカーの足が俺の背中から離れることはない。
「あはっ!じゃあ始めるよぉ!」
タリスカーが鈍色に輝くナイフを、
大きく振りかざした、刹那。
コーンのものではない、
しかし明らかな炸裂音が洞窟に響き渡った。
背中へかけられていた圧力が無くなり、
俺の上を何が過ぎる。
「立つ!」
闇の中で揺らめく赤いポニーテールが見え、
いつの間にかローゼズが俺に背を向け立っていた。
彼女は闇の中で右腕を押さえながら佇んでいる、
ナイフ女のタリスカーへ銃口を向けている。
「あはっ……あれぇ? 君も赤い髪と赤い瞳?」
タリスカーはすぐさま右腕のナイフを持ち直し、
ローゼズへ向けそう言った。
ローゼズは答えることなく左の人差し指で引き金を引いた。
何発もの炸裂音が響き、
タリスカーのナイフが空に何重もの軌跡を刻む。
ローゼズの放った弾は全て砕け、
そして粉みじんになって地面へ降り注ぐ。
「あはっ! すごいすごい!」
嬉しそうにそう言うタリスカーを無視して、
ローゼズは素早くポンチョを開いた。
銃のグリップから上を指て弾いて取り外し、
ポンチョにマウントされている、
一際大きな銃身とシリンダーのパーツへ素早く付け替えた。
「耳塞ぐ!」
俺は言われた通り耳を塞いだ。
ローゼスはまるで大砲のような銃を天井へ向け放った。
衝撃が彼女の体をほんの少し後退させる。
発射された巨大な弾丸は、
盛大な炸裂音を伴いながら天井へぶつかった。
その衝撃は天井の岩を砕き、
大量の土砂を降らせる。
タリスカーはきょとんと目を見開いているが、
そんな奴の姿はすぐさま土砂に埋もれてゆく。
「逃げるッ!」
俺はローゼズに手を取られ、立ち上がった。
既に恐怖はなく、
俺はローゼズと手を取り合いながら走り続ける。
走って、走って走り続ける。
やがて、茜色の光が目の前に見えた。
俺とローゼズは思い切ってその光の中へ飛び出す。
途端、夕日が俺の視界を奪い、洞窟の冷気で冷え切った肌が、
テラロッサに蓄積された地熱で一気に温まる。
「もう、大丈夫」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息が苦しく、酷く喉が渇く。
そんな俺へローゼズは水筒を差し出してきた。
俺は遠慮なしにそれを受け取り、キャップを無造作に取ると、
中の水を一気に飲み干す。
水が体へ染みわたり、
喉の渇きが癒えると、ようやく正常な思考が蘇った。
「あ、ありがとうローゼズ、助かったよ……」
「気にしない」
「でも、どうして俺があそこにいるって分かったんだ?」
「なんとなく」
ローゼズはまるで何事もなかったかのように、
涼しげな表情を浮かべていた。
「早く帰る。あいつらが石をどける前に」
ローゼズの言う通りだった。
ナイフで石を切り、ローゼズの弾丸を全て撃ち落とした規格外の狂人なんだ。
岩ぐらいすぐにどけて、
いつあの洞窟から奴が飛び出してくるかわかったもんじゃない。
「お、おう」
俺とローゼズはその場から足早に立ち去る。
逃れても尚、俺の心臓は恐怖で生じた緊張感が残り、
嫌な拍動を放ち続けているのだった。




