ChapterⅢ:彼女はアインザックウォルフ③
「ううっ……」
ぼんやりと意識が覚醒を始める。しかしそれでも俺は暗闇の中にいた。
尻が衝撃で痛かった。しかしそれだけ。落ちた先には何故か藁が敷き詰められていて、落下の衝撃を和らげていた。妙に湿っぽい空気に嫌な感じを受ける。
周囲は真っ暗で手の届く範囲しか視認することができない。
俺はポケットからオイルライターを取り出し火を灯した。
周囲は切りそろえられた石が積み上がり、壁を築き上げていた。明らかに人工的に作られた石壁の通路が目の前に伸びている。しかしその先は黒々とした闇に沈んでいるだけ。どうしてこんなところに落とされなきゃいけないのか見当もつかない。
「ううっ、うううっ……ううっ……」
「ッ!?な、なんだよ……?」
奥の通路からまるですすり泣くような声が響き渡ってきた。
「うっ、ううっ……」
まるで地の底から湧き出ているような、女のすすり泣いているような音が延々と闇の奥から聞こえてきている。心臓は激しく鼓動し、喉がからからに乾く。
足は震え、身体がこの先に進むのを拒否している。
でもこのままここにいても仕方がない。
俺は息を飲み立ちあがると、奥に闇を湛える通路へ一歩を踏み出した。
「うっ、ううっ、うううっ……」
すすり泣くような声は止まない。俺はたった一つのライターの明かりを頼りに先へ進んでゆく。
声がより一層強まる。目前の壁は綺麗に切り抜かれていて、その先に部屋か何かがあるようにみえる。
「ううっ、うっ、うっ……」
ここに飛び込むべきか、否か迷う。が、迷っていても仕方がない。今できることをするだけ。
俺はいつでも拳を繰り出されるよう左の拳を握りしめる。
「うっ、ううっ、ひっく……どうしてこんな……」
「そこにいるのは誰だッ!」
俺はライターを手に思い切り叫んで飛び込む。ライターの明かりでぼんやり浮かぶ人影。長い金髪の女がそこにいる。
「うっ、あっ……うわぁぁぁ~~~ん!」
「ッ!?」
突然、女が飛び出してきた。俺は拳を突き出す間もなく押し倒される。
「あっ、えっ?」
だがすぐさま、俺に飛びついて来たのがちゃんと体温のある人間だと分かる。
「どなたか存じませんがありがとうございます!ありがとうございます!!」
女はそう泣きじゃくりながら俺の胸へ顔をすりつけている。ついでに立派な胸も。さっきまで感じていた鼓動とは、また別の鼓動が起こる。
「怖かったです。本当に怖かったのです。私、暗闇が大嫌いなのです。だからありがとうございます、私を見つけてくださってありがとうございますぅ……」
女の肩は異常な程に震えていた。相当怯えているらしい。何に怯えているのは分からないけど、怯えている彼女を不憫に思った俺は、
「大丈夫だから。もう大丈夫……」
そっと彼女を抱きしめ、後ろ髪を撫でてやる。絹のように柔らかい髪質は撫でているだけ心地良い。それに彼女は花のような華やかな香りがして、こんな暗闇の中でも心地よさを俺に感じさせた。
「……温かいです」
泣きやんだ彼女は少し落ち着いたのか、俺の胸の中でそう言った。
「そっか、なら良かった」
「はい……本当にありがとうございます」
彼女が俺の胸の中で顔を上げた。
「君は……?」
何故か、どうしてか俺の胸の中にはハーパー=アインザックウォルフが居た。
「あ、貴方はもしかしてさっきの?」
ようやくハーパーも俺のことに気がついた様子だった。
「あ、ああ、さっき会った……」
「どうして貴方もここに?」
「そ、その前にさ、そろそろなんつぅーか……」
「……ッ!?」
ハーパーはようやく俺を押し倒し、しがみついてる体勢に気づいたらしい。恥ずかしいのか一気に顔を真っ赤に染めて、飛び退くように俺からは離れる。柔らかい胸の感触が感じられなくなったのは少し残念だけど、あのままの体勢だといろいろ拙いことになりそうだったので、とりあえずここはこれで良しと納得。
「も、申し訳ございませんでした。わ、私、その……!」
「いや、良いよ。暗闇苦手なんだろ?」
「情けない姿をお見せして申し訳ありませんでした……」
昼間見た凛然とするハーパーとはまるで正反対の、小さく恥ずかしそうに丸まっている彼女が不思議と可愛く思える俺がいた。
「どうして君がこんなところに?」
「私も分からないのです。屋敷に戻って少しお昼寝をしていて気がついたらここに……貴方こそどうしてここに?」
「君が呼んでるってバーンハイムさんに言われて来たらこんなことになってるんだけど」「私が?私、そのようなことは言っておりませんよ?」
二人して首を傾げる。どうも話のつじつまが合わない。
「それにここはどこなんだ?」
「私もわかりません」
再び二人して首を傾げる。バーンハイムは何がしたいのか、そもそもここがどこなのか分からない。でも、ここにずっといても仕方がないのは確かだった。
不意に俺の耳へかすかな音が聞こえた。
部屋から顔を出してみると、俺の頬をかすかな風が撫でた。わずかばかり、風の音が闇の向こうから聞こえてきている。
「とりあえず先へ進もう。たぶん、ここは外に通じてると思う……どうした?」
ハーパーは座り込んだままだった。口を一文字に強く結んで顔を強張らせているが、目には涙が浮かんでいる。
「お、おいおい、どうしたんだよ!?」
「あ、いえ、その……ぐすん、この先へ進むのですか?」
「そりゃ、ここにずっと居ても仕方ないからな」
「わかりました……仰る通りで」
―――ああ、暗いのが怖いんだ。多分。
ハーパーは気丈に振舞おうとしているが、怖いためか立てない様子。
「ほら」
「あっ……」
俺はハーパーの手を取った。
「ずっとこうしててやるから。これなら多少大丈夫だろ?」
「あ……は、はい!その……ありがとうございます」
ハーパーは涙を拭い、立ちあがる。少し身体は震えているけど、これなら先に進めるだろう。
「自己紹介が遅れました。私はハーパー=アインザックウォルフと申します。貴方のお名前をお教え願えませんか?」
「ワイルド=ターキーっていう。よろしくなハーパーさん」
「よろしくお願い致します。ところで不躾で申し訳ございませんがお幾つでいらっしゃいますか?」
「えっ?17だけど」
「そうですか!ではワイルド様で良いのですね!」
ハーパーは満面の笑みを浮かべる。
「様って、良いよワイルドで」
「いえいえ!そうは参りません!私は今年で16になる身!年上の方に様を付けるのは当然です!それに……助けて頂いたのはこれで二回目ですし……」
ハーパーは顔を真っ赤に染めて、俯く。
「二回目?」
「はい。昼間、ワイルド様は私をバーレイの刃から救って下さいました」
「ああ、そういえば」
「ですから私の中では既にワイルド様なのですよ?」
「いやでも様付けはくすぐったいし……」
「いえ!ワイルド様です!」
そういえばハーパーってローゼズ並みの頑固さだったっけ、と思いだす。
たぶんどう言っても様付けは無くならないと思う。
とりあえずここでずっと押し問答をしていても仕方がないと思った俺はハーパーの手を握りしめたまま、通路へ踏み出したのだった。
風が俺の頬を撫で続ける。それはこの先に出口があることを意味していた。だから、このまま風を頼りにして行けば恐らく出口にたどり着く。
しかしそんな希望がある中でも、握りしめたハーパーの手からは震えが強く感じられた。
「大丈夫か?」
「は、はいぃッ……!」
全然大丈夫じゃなかった。凛としていた彼女はどこへ行ったのかと思う位ハーパーは震え、少しでも脅かせば泣き出しそうな位、目に涙を浮かべている。
「もう少しこっち来いよ」
「あっ……」
少し手を引き、ハーパーを近づける。ずっと後ろに付いていたハーパーは俺の横に並ぶ形になった。
「ありがとうございますワイルド様」
少しハーパーの震えが収まり、顔に少しだけ明るさ戻った気がした。
「この方がもっと安心できるだろ?」
「はい……何から何まですみません……」
「いいさ、人間誰にだって苦手なことの一つや二つもあるよ」
「でもこの歳にもなって暗闇が苦手だなんて情けなくて……」
「どうして暗闇が苦手なんだ?」
「うち(アインザックウォルフ家)は昔から躾が厳しかったものでして……すごく小さい頃、罰として暗い部屋に閉じ込……ぎやゃぁぁぁぁー!!」
「ッ!?」
突然、目の前から黒い何かが一斉に飛び出し、ハーパーが奇声を上げて俺の腕へ飛びついてくる。
「ワイルド様ぁ!ワイルド様ぁー!!!」
ハーパーは涙を流しながら、俺の腕に抱きついているからして、なんつーかその……
「ハ、ハーパー?今のただのコウモリだから!大丈夫だから!」
ジムさんやローゼズの胸よりも立派ながソレが俺の腕に遠慮なく擦り付けられていた。
同じ金髪でも、よく知っている幼馴染のあいつの胸とは段違いなソレが俺の二の腕との間で潰れている。
「こぶもり……(コウモリ)?」
しかしハーパーなそんなことなど気にする余裕が無いのか、涙目を俺へ向けてきた。
本当におびえている彼女を見て、ちょっと邪なことを考えた自分に注意を一点。
「そう、コウモリ。ただのコウモリだから安心しな」
「ずびまぜん……(すみません)」
今度は落ち込んでしまった。一体どうしたら良いのか、どうやったらハーパーを元気づけられるか?考えた末、俺はハーパーの頭を撫でてみた。
「……ッ?」
ハーパーが震えながらもピクリと体を反応させる。
「い、嫌だったか?」
フルフル、とハーパーは首を横へ降る。気が付けば少し震えも収まっている。
これならば……
「大丈夫だから。大丈夫、俺がいるから」
そう囁きながらハーパーの髪を撫で続ける。相変わらず体勢は変わってないので、ハーパーの胸は当たり続けている。だから俺は必死に自分を律し、邪念を払い除け、その上で少しでもハーパーの気持ちがほぐれる様頭を撫で続ける。
なんだかさっきよりもハーパー身体を寄せているような気がするけど……邪念は退散退散。
暫くそうしているとハーパーはすっかり泣き止んだ。
「取り乱してしまい申し訳ありませんでした……」
目は真っ赤なままだったが、さっきよりは元気そうだった。
「早くこんなところ抜けちまおう」
「はい」
このままこんな状態が続いちゃ俺の身が持たない、という本音はとりあえずしまっておくことにした。
幾分か暗闇に慣れたのか、それでも俺はハーパーと手を繋いだまま先をゆく。頬を撫でる風が段々と強く感じ始める。
「ハーパー、もう少しで出口……どうかしたか?」
「あ、い、いえなんでもありません!」
ハーパーは顔を俺から背けた。暗くてよく見えないが、ほのかにハーパーの耳が赤く染まっているようにみえる。
「冷えたか?」
「い、いえ!」
「そうか?」
「は、はい!な、な、なんでもありませんからお気になさらないください!」
とりあえず元気そうだから良しとする俺だった。
やがて目前にようやく明るさが見えてきた。そこを目指して進むと、そこは鍾乳洞がある洞窟の中だった。漣の音が洞窟には響いていて、その先にみえる海は月明かりを浴びてキラキラとした輝きを浮かべていた。俺たちは洞窟から出た。
岩場に押し寄せる波は穏やかだった。向こうにはガス灯にオレンジ色の光を灯したロングネック港がみえる。俺たちが出た洞窟のある断崖の上にはアインザックウォルフの屋敷があった。
「そういえば、アインザックウォルフの家の敷地はかつての戦争時代に軍の施設で、その地下には秘密の通路があると聞いたことがあります」
暗闇から出たハーパーはすっかり元気を取り戻し、出会った時の凛々しい彼女に戻っていた。ずっと弱っていたハーパーをずっと見ていたおかげで、凛々しい彼女とのギャップが自然と俺の頬を緩ませる。
「ワイルド様?ニヤニヤされてどうしたというのですか?」
「いや、さっきまで泣きじゃくってたハーパーと随分違うなって思って」
「も、もう!それは言わないでくださいッ!は、恥ずかしいです……」
ハーパーは顔を真っ赤に染めて、頬を膨らませる。ジョニーさんのところで会った時は少し取っ付きにくい奴かなと思っていたけど、そんなのはただの思い込みだったと思い知る。
―――やっぱ人って第一位印象だけじゃわかんないもんなんだな。ローゼズと同じで。
「さ、さぁこちらです!ここからは私が屋敷まで案内しますね!」
「あいよ」
「だからもうニヤニヤしないでくださいッ!」
なんだか気丈に振舞っているハーパーが可愛く見えた。
今度はハーパーが俺の手を引いて、断崖の上へ続く道を登り始めたのだった。




