ChapterⅤ:バラと家族と親友と ⑤
何のこともない日々が続いた。
だけど、わたしの中で確実に何かが変わり始めていた。
相変わらずスチルポットでの生活には変化がない。
ハミルトンに話をして、食事をして、
街のみんなと話して、また食事をして寝る。
最初はジョン牧師を殺す機会を伺うための、
準備期間だと割り切っていた。
孤独だったわたしを拾ってくれた、
マッカランには感謝している。
マッカランのお願いの言葉は未だ頭の中に残っている。
だけど……
スチルポットに来てから、
わたしの中で何かが変わったような気がした。
何の変哲もない日常の中で、わ
たしの中で何かがゆっくりと変わっていった。
強く刻みつけられたマッカランの言葉。
それがだんだん遠くなってゆくような感覚。
最初は戸惑った。
不思議な感覚だった。
だからわたしは何回かマッカランのお願いを、
一人繰り返してみた。
――ジョン牧師を殺……
だけどうまく言葉が出せなかった。
代りに胸がすごく痛くなって、苦しくてたまらなくなった。
何度してもそうなった。
苦しいのは嫌。
痛いのはもっと嫌。
だからわたしは自然とマッカランの、
お願いを繰り返さなくなった。
そうすると今度はマッカランが遠くなり始めた。
マッカランには感謝はしている。
わたしを拾ってくれたことにはすごく感謝している。
前はマッカランを思い出すだけで、
胸が熱くなった。
マッカランのことしか考えられなかった。
だけど、そんなマッカランがわたしの頭の中で遠くなった。
白い仮面が怖くなった。
マッカランのお願いが怖くなった。
夜一人で寝ているとき、
わたしの頭の中にいるマッカランがわたしを震えさせた。
怖かった。
寒かった。
苦しかった。
でもそんな時、決まって頭の中に別の人達が現れて、
わたしは怖くなくなった。
それは……
●●●
「ローゼズ!朝だよぉー!起きてぇー!」
元気な声が聞こえて、
わたしは白い仮面の悪夢から目覚める。
目を開けたら、そこにはハミルトンがいて、
わたしの中にあった怖さが一瞬でなくなった。
「んー……」
「あは?寝ぼけてる?」
「んーん。おはよう、ハミルトン」
「おはようローゼズ♪ご飯の時間だよ」
「行く」
わたしは寝巻きのままハミルトンと一緒に部屋を出る。
するととってもいい匂いが廊下に漂っていて、
嬉しくなったわたしは足早に食堂へ向かってゆく。
「おはようローゼズ」
「おはようございます、ジョンさん」
ジョンさんはハミルトンのような笑顔を浮かべて、
わたしに挨拶をしてくれた。
気持ちよかった。
それに加えて、今日の朝ごはんは、
わたしの大好きなスパイシービーンズと牛乳。
わたしは一番早く席についた。
「あは!ローゼズ、大好物には目がないね?」
ハミルトンは笑いながらわたしの隣に座った。
ジョン牧師はわたしたちの目の前の席に着く。
ジョンさんのスパイシービーンズは、
いつ食べても嬉しい気持ちになった。
マリーさんが毎朝届けてくれる牛乳も嬉しくなった。
今日の朝食は嬉しいばっかりだった。
だけど、こういう時どう言えば良いか、忘れたわたしは、
「んー……ねぇ、ハミルトンごはんを食べて嬉しい気持ちになったときはどう言えば良かったんだっけ?」
「あは!『んまぁーい』だよ?」
「……んまぁーい!」
「そうそう!」
「こら!ハミルトン、間違った言葉を教えるんじゃない!」
ジョンさんは真面目な顔でそう言ったけど、
ハミルトンは全然耳を貸さない様子だった。
その後、ジョンさんはわたしに、
「おいしいです」が正しいと教えてくれた。
だけどわたしはジョンさんの言葉よりも、
ハミルトンの方がわたしの気持ちに、
すごく合っているような気がした。
だからわたしの中で食べ物を食べて嬉しいと思ったら、
「んまぁーい!」
が正解になった。
他にもハミルトンは、
わたしが知らなかった色んな言葉を教えてくれた。
朝の挨拶はおはようございます。
夜寝るときはおやすみなさい。
嬉しいことをしてもらったら、
ありがとうございます。
食べ物を食べて嬉しくなったら、
んまぁーい。
色んな言葉は、それを言うと、
ハミルトンやスチルポットの街のみんなが喜んでくれた。
みんなが喜んでくれると、胸が暖かくなって、嬉しくなった。
すごく気持ちかった。
そして覚えたらその言葉を使いたくなった。
「おはようございます、マリーさん」
「おはようローゼズちゃん、ハミルトン!」
綺麗なマリーさんの笑顔が見れて嬉しかった。
「こんにちはギムさん」
「こんちは!どうだい、この新作!綺麗だろ?」
ギムさんの子供のような笑顔がわたしを嬉しくさせた。
「あは? ローゼズ、すっかりみんなと仲良しになったね!」
隣ではいつもハミルトンが笑ってくれた。
でもやっぱりあの人だけは、
どんなに時間が経っても気持ちくなれなかった。
「この悪魔め!早くこの街から出てゆけ!」
ハミルトンとわたしがジョン牧師の用事で町外れへ行った時、
スミスおじいさんがわたしへ石を投げてきた。
「赤い悪魔め! わしは知っとるぞ! お前は悪魔! 死神! お前は不幸を呼び込む!」
「スミスさん止めて! ローゼズはそんな子じゃないから!」
しかしハミルトンがそういっても、
スミスさんは叫ぶのをやめず、わたしへ石を投げ続ける。
でもわたしが視線を合わせると、
スミスおじいさんは杖を突きながら逃げてゆく、
「ローゼズ、気にしないでね。私は……ううん、ここのみんなはローゼズのこと悪魔だなんて思ってないから」
スミスさんに石を投げられるのは悲しかったけど、
でもハミルトンが側に居てくれれば平気だった。
全部ハミルトンのおかげだった。
最初、教会で出会った時は変な子だと思ってたけど、
でもハミルトンがわたしにたくさん嬉しいをくれた。
ハミルトンはずっと側にいてくれたから、
わたしはこんなにもたくさんの嬉しいに出会うことができた。
だんだんとわたしの中に不思議な気持ちが生まれ始めていた。
隣にハミルトンがいると安心する。
ハミルトンとジョン牧師と囲む食卓が楽しかった。
ハミルトンが傍にいてくれると嬉しかった。
胸の奥が熱くなった。
ずっとハミルトンの傍に居たいと私は思うようになっていた。
●●●
「二人共あんまり遅くなるんじゃないよ」
ジョン牧師は穏やかにそう云った。
「分かってるって!行くよローゼズ!」
「うん!行ってきます」
ある日わたしはジョン牧師へそう言うと、
ハミルトンと一緒に夜のスチルポットの街へ繰り出した。
街はいつも以上に賑やかった。
いろんなところから音楽が聞こえて、
みんなが美味しそうなもの食べながら歩いたり、
飲み物を飲みながら笑ったり、
笑顔を浮かべながら歩いたりしている。
「今日はね、スチルポットがここに開拓されてから丁度百年になるんだ!」
ハミルトンは得意げにそういうが、
「知ってる。こないだボイドさんに聞いた。そのお祝いのお祭りなんでしょ?」
「なぁんだ知ってたんだ」
「よぉ、ローゼズ!ハミルトン!こっちきな!」
あっちで樽を机や椅子にして、
顔を真っ赤に染めているボイドさんや街のみんなが呼んでいた。
「行く!」
自然とわたしの足はボイドさんたちのところへ向く。
「ま、待ってよローゼズぅ!」
「早くハミルトン!」
「焦らなくても大丈夫だってぇ~!」
すごく胸の中が気持ちかった。
目の前に美味しそうな食べ物があるのもあるけど、
なによりもわたしの周りにいるみんなの笑顔が見られて、
その中にわたしがいるのことが嬉しかった。
わたしは生まれた時から一人だった。
街で食べ物を漁るたびに、
近くから聞こえてきたみんなの笑い声が恨めしかった。
一生わたしには縁のないものだと思っていた。
願っても手に入らないものだと思っていた。
でも、違った。
縁のないものじゃなかった。
手に入らないものじゃなかった。
「ボイドさぁ~ん! 大将連れてきましたぜ!」
「ちょ、ちょっとギムさん!」
いつの間にかギムさんがジョン牧師を連れてきていた。
「がははは! 今日は祭だぜ? 教会に引きこってんじゃねぇよ!」
今度はボイドさんがジョン牧師と肩を組む。
「はいはい、先生も! まずは一献♪」
マリーさんがジョン牧師にお酒入りのカップを手渡す。
「お父さん、幾らマリーさんが好みでも浮気はダメだよ?」
「なっ、ハ、ハミルトン!」
ハミルトンの言葉にジョン牧師は顔を真っ赤に染めていた。
「ローゼズも何か言ってあげてよ!」
ハミルトンに促されたわたしは、
「ジョンさん、ダメ!」
「ロ、ローゼズまで!? わたしは神に誓って天に召された妻以外は愛しません!」
顔を真っ赤にして、大真面目にそう叫ぶジョン牧師をみて、
わたしたちはみんなで笑った。
お祭りは本当に楽しかった。
たぶんわたしは生まれてきてから一番笑ったり、
騒いだりした日だと思った。
「今日は楽しかったねぇ!」
お祭りは終わった。
でもまだ熱の冷め切らないわたしとハミルトンは、
教会の中庭に横たわりながら星を眺めていた。
とてもたくさんの星が夜の空でキラキラ輝いていて、
すごく綺麗だった。
すごく嬉しい気持ちになれた。
「ローゼズ、変わったね」
ふと、ハミルトンはそう云った。
「変わった?」
「うん。最初はあんまり喋らなかったじゃん?」
「んー……そう?」
「凄くしゃべるようになったし、なんか顔が優しくなった気がするよ」
ハミルトンにそう云われて嬉しかった。
自然と頬が緩んだ。
「いつの間にか街のみんなとも打ち解けててさ。もうすっかりローゼズは私たちの【家族】だね!」
「かぞく……?」
「あは? もしかして【家族】分からない?」
コクリ。
「そっかぁ……うむむ、どうやって説明しよう……」
ハミルトンは少し困った顔をした。
だけど、そんなハミルトンの顔が面白くて私は笑った。
するとハミルトンは真っ赤な顔をして、
「笑わないでよ!」と云った。
「【家族】ってのはねぇ……うん、一緒に暮らして、大切にしたいって思える人のこと! だからローゼズは私の家族!」
「家族……ねぇ、ハミルトン、わたし今凄く嬉しい。こういう時はどう言ったら良いの?」
「たぶんね、言葉はいらないよ」
「えっ……?」
「だって家族だもん。一緒にいるのが当たり前だし、一緒にいられて嬉しいのが当たり前だもん。ローゼズの嬉しいって気持ちが見ていてわかるから、言葉なんていらないよ」
「ハミルトンも嬉しいんだね」
「もちろん!」
ハミルトンの一番の笑顔だった。
わたしの隣でハミルトンが笑ってくれている。
嬉しかった。
凄く嬉しかった。
言葉はいらないと云われたけど、
でも、
「ありがとうハミルトン」
わたしの口から自然とその言葉が出た。
ずっとこんな毎日だったら良いなと思った。
ずっとこのままが良いと思った。
マッカランの存在が少しずつ、
わたしの中から無くなってゆくのがわかった。
マッカランのところにいるよりも、
ハミルトンやスチルポットのみんなといる方が気持ちかった。
自然とわたしは銃から遠ざかり、
ジョンさんを殺すために用意したガンベルトを、
わたしは自分の部屋の奥へしまいこんでいた。
――ずっとこのままがいい。このままここでずっとハミルトンと一緒に居たい。
そう思った
そう願った。
ずっと欲しかったものが今わたしの周りにはある。
それを手放したくはなかった。




