ChapterⅧ:黒い柩②
夜が明け、地平線の向こうから陽が昇ってくる。
殆ど眠れなかった俺はホットコーヒーの入ったポットと空のカップを持って、テラスへ向かう。
テラスの椅子に座り、凍えるようなアンダルシアンの朝の空気を感じながらコーヒーを飲むが、俺の心と体は全く落ち着かなかった。
言い知れない不安と、そして予感があった。
きっとアーリィとの繋がりがなかったら、俺はこの不安と予感に押しつぶされていたと思う。
やっぱりアーリィの存在は俺にとって必要不可欠だと改めて認識する。
だからこそ、彼女と、そしてみんなとの本当の未来を勝ち取るためには、この胸の中に残った最後の不安と対峙しなければならない。
―――戦いは未だ終わっていない。
確かにスペサイドは崩壊し、全ての遺跡は機能を停止した。
プラチナは生きているが、もし動き出すとしてもかなりの時間がかかるだろう。
それになんとなく、プラチナはもう何もしないんじゃないかと漠然と思っていた。
だから、この胸の中に残っている、未だ消えない痼り(しこり)はプラチナに対してのものじゃないと分かる。
中央山脈の戦いで、俺は思った。
でもまだ一つ、たった一つだけ残された憂いがある。
奴こそがもっとも危険で、放置してはならない存在だと。
狂気に囚われた存在。
きっとソイツはすぐにでも俺に接触を測ってくるはず。
それがいつなのかははっきりと言い表せないが、必ず近いうちに。
気が付くと、コーヒーのカップが空になっていた。
俺はコーヒーを注ぐためにポットへ手を伸ばす。
刹那、俺のポットの間に鋭い何かが投げ込まれ、テーブルに突き刺さった。
先端に真っ黒な手紙を付けた短いシースナイフだった。
シースナイフを抜き、先端の黒い手紙を開く。
そこには見慣れない筆跡で、東海岸のとある海岸の名称と時間が記されていた。
手紙の最後には筆記体でサインが刻まれている。
【ブラックローゼズ】
やはり来た。
唯一の憂い。
プラチナ一派が崩壊しても尚、俺に安堵を許さない原因。
俺の直感がブラックローゼズの、バランタイン=ファイネストの存在に対して警鐘を鳴らしている。
―――奴を止めない限り、本当に戦いが終わったは言えない。
俺は手紙の内容を頭に焼き付け、胸のポケットへしまうと、椅子から立ち上がった。
支度を始めようと、部屋に戻るとさっきまでベッドの上で静かに眠っていたアーリィの姿がないことに気が付く。
「どこ、行くの?」
振りかえると既に服を着て、出掛けられるようにしているアーリィがいた。
アーリィはじっと俺を見つめたまま、微動だにしない。
本当は話さずに出て行こうと考えていたけど、こうされてはもう隠すのは不可能だった。
「ブラックローゼズから決闘の申し込みがあったんだ」
「そう……行くんだね?」
「ああ」
「見届けても良い?」
アーリィは蒼く透き通る瞳で、俺を見つめる。
「……ああ」
そう答えると、アーリィはゆっくりと俺に近づいた。
俺の頬をそっと掴み、俺の額に彼女の額を重ねる。
「大丈夫、ワッドなら勝てるよ。絶対に……あたしが傍で見守ってるから……」
アーリィの言葉が胸に強く響く。
正直、自信が無かった。
単純な身体能力、戦いの能力はほぼ互角とみていいい。
でも俺は既に絶対防壁であるクロコダイルスキンを失っている。
逆に奴はまだ、あの絶対防壁を持っている。
例え、俺が先手を打ったとしても、クロコダイルスキンで防がれてしまえばそれまで。
状況から考察する勝敗は明らかに俺の敗北を告げている。
でも不思議と、アーリィの傍にいると、この劣勢も覆せるんじゃないかと思えてしまう。
―――何よりも俺は死ぬわけにはいかない。
この戦いの敗北が意味するもの、それすなはち死。
生き残るにはブラックローゼズに勝つ必要がある。
アーリィのためにも俺は死ぬわけにはいかない。
俺は自然の摂理で死ぬその日までアーリィと一緒にいたい。
そう願っている。
「行こう」
「うん!」
俺とアーリィは支度を始め、そしてひっそりと静まり返るローヤルの館をこっそりと出て行くのだった。
「二人でどこ行く?」
しかし館を出たところで、俺とアーリィは呼び止められた。
振り返るとそこにはローヤル邸の外壁に寄りかかったローゼズの姿があった。
「駆け落ちでしたらもっとバレないように出て行ってくださいね」
ローゼズの隣からひょっこりとハーパーが顔を覗かせる。
そんな俺たちの前へ、内炎コーン機関を搭載した黒塗りの車が横付けされた。
「お客さん、目的地はどこまでぇすか?今なら送迎業開業サービス中に付き、例え西海岸から東海岸の横断でも一律10ペセでぇすよ?」
運転席の窓を開き、ハンドルを握るジムさんがそう言う。
「ワイルド、教えて。どこへ行くの?」
ローゼズは鋭い視線で俺へ詰問する。
ハーパーもジムさんも俺へ傾注している。
みんなの雰囲気で大体の答えは分かっている。
だから俺は口を割ることにした。
「ついさっきブラックローゼズから一体一の決闘の申し込みがあった。場所はアインザックウォルフの別荘があった海岸、時間は今日の夕刻。すまないがみんなにお願いがあるんだ。もし、みんなさえ良ければ一緒に付いて欲しい。そして俺とブラックの決闘を見守って欲しいんだ。お願いできるか?」
「お願いされなくてもついて行く気満々でしたけど?ねっ、ローゼズ?」
ハーパーがそう問うと、ローゼズは力強く頷く。
「夕刻なら結構飛ばさないとですねぇ」
ジムさんは既に全部をお見通しのようだった。
ジムさんにはほとほと頭が下がる。
「時間ないです!みんなさっさと乗るです!」
ジムさんに促され、俺たちはそれぞれ車に乗り込む。内炎コーン機関は車輪を回し始め、サント・リーの街から出てゆく。
俺は助手席に座り、呆然と窓の外の景色を眺めながら、来るべき決闘に備え、心を落ち着かせるのだった。