ChapterⅤ:命、燃やす刻(とき)①
【VolumeⅤー再臨の黒ChapterⅤ:命、燃やす刻】
夜明けが近かった。
しかし私、ハーパー=アインザックウォルフは一睡もできなかった。
―――眠れば少しでもこの胸の痛みを感じなくて済むのに。
しかし高ぶった神経は私を眠らせてはくれない。
だからせめて何も考えないで居たいと思い、私はひたすらレイピアの手入れに向かっていた。
でも、レイピアの刃は既に鏡のように煌き、これ以上手入れをすることはできない。
そうして手を休めると、やはり胸が痛み出し、苦しみが沸き起こってくる。
『ハーパー』
優しかった頃の彼の声が蘇る。
私の髪を綺麗だと言ってくれた彼。
いつも笑いかけてくれた昔の彼。
そんな彼は今は居ない。
だけどもう一度、そんな彼に会いたい。
昨日の激しい戦いの中、私は一瞬だけど昔の彼を感じていた。
優しく抱き止めてくれた彼の温もり。
あの瞬間だけ、昔の彼を感じて嬉しくなった。
―――まだ彼の中には昔の彼が残っている。
もう一度昔の彼に会いたい。
そうでもなくてやっぱり最後に彼と言葉を交わしたい。
でもそうすれば辛くなるのは分かっていたから、ローヤルの天幕で別れたっきりあえて彼を見ずに、言葉を交わさずに自分の天幕へ転がり込んだ。
会わなければ、顔を合わせずに居れば、きっとこの彼に会いたい気持ちは静まる。
だから私は今、ここに一人で居る。
そうするのが最善だと何度も、何度も自分自身に言い聞かせる……が、気持ちは一向に収まらなかった。
収まるどころか彼に対する想いが膨らみ続け、理性を押しのけて、欲が胸の中の大部分を占める。
もはや限界だった。
自分を押さえ込むことができなくなった。
そして、もし、この思いを更に強い理性で押さえつけてしまえば、きっと私は後悔すると思った。
―――このままでは後悔が残ってしまう。
理性を捨てた私はレイピアをそっと鞘へしまい、置く。
そして意を決してテントを出て行った。
空は僅かな紫色で染まっていて夜明けの到来を告げていた。
私は出立の準備で沸くサント・リーのキャンプ地で彼の背中を探した。
やがて、キャンプ地の廃墟の外れにある小高い丘の上に彼の背中を見つけた。
彼は銃痕が無数に刻まれている倒木の上へ座り、一人静かにカップでコーヒーを飲んでいた。
私は急いで丘を駆け上がった。
一睡もしていないせいか足がもつれた。何度も転びそうになった。
だけど早く彼のところへ行きたくて走り続けた。
「はぁ……はぁ……こ、ここにおいででしたか……」
「ハーパーか」
彼が、ワイルド様がゆっくりと右頬に一文字の傷が浮かぶ顔を私へ向けてきた。
「ご、ご一緒……しても宜しいですか?」
息を整えながら私がそういうと、
「ああ」
「失礼します」
私はワイルド様の隣へ座った。
ほのかに感じる彼の匂い。
彼が近くにいるという証拠。
私の心臓は自然と高鳴る。
「コーヒー、私も宜しいでしょうか?」
「ああ」
ワイルド様は静かに地面へ置いてあったポットを手に取り、何故か用意されていたもう一つの空のカップへコーヒーを注ぐ。
暖かそうな湯気と香ばしい香りが立つカップを私へ手渡してくれた。
「ありがとうございます!では!……ううっ……」
勢いに任せてブラックコーヒーを口へ運んだは良いものの、反射的に口からカップを外してしまう。
舌の上でじんわりと苦味が広がって、全身がぞくぞくする。
「ほら」
するとワイルド様は腰袋から角砂糖を二つ取り出して、私のカップへ入れてくれた。
「申し訳ございません、お子様で……」
「気にするな。誰にだって苦手なものはある」
「それにしてもどうして角砂糖を? それにこのカップは……?」
「なんとなくハーパーが来そうだと思ってな」
「そうでしたか……」
ワイルド様は何もかもお見通しのようだった。
私は再びコーヒーを口へ運ぶ。
少し苦さはあるけど、ワイルド様が入れてくれた角砂糖の優しい甘味があるからもう大丈夫だった。
私とワイルド様は並んでコーヒーを飲み始めた。
幸せだった。
彼の隣でコーヒーを頂けることに、彼の気配を隣で感じながら、
同じ時間をこうして共有できることを。
「今日は晴れますでしょうか?」
「だろうな」
「暖かくなりますよね?」
「そうかもな」
「……」
会話はそこで途切れてしまう。
彼は遥か丘に向こうにみえるテラロッサの地平線ばかりを眺めていた。
その横顔はやはり、氷のように冷たく、黒い瞳は暗く淀んでいるように見えた。
今隣にいるのはワイルド=ターキーという名前の人。
でも名前は同じでも、今のワイルド様は別人のようにみえる。
二年前、ロッグネックで出会った時の優しい彼ではなく、復讐のために心を凍りつかせ、時間を止めた悲しい人。
―――もう一度ワイルド様には笑っていただきたい。
そう思ってこの二年間、お側にい続けた。
でも私の願いは空回りするばかり。
彼へ私の願いは届かず、時間は無情にも過ぎていった。
―――ワイルド様は必ずプラチナローゼズを殺す。
彼はこの二年間、そのためだけに生きてきた。
全てをかけてきた。
そして彼は彼自身の禁忌を、殺人という彼が忌み嫌い、最も憎んできたことを彼自身の手で行う。
その先の結末を彼は知っている。
―――殺意は殺意を呼ぶ。
一度の殺人は次の殺人を呼び、その人を永遠に続く【殺意の円環】の中へ突き落とす。
殺人は憎しみを呼び、その憎しみは新しい殺人を呼んで人を引き裂く。
かつてのローゼズとハミルトンのように。
そんな殺人を見てきた彼だからこそ、殺人の重さは分かっている。
それをわかった上で、プラチナを殺す決意を固めている。
―――だからきっとワイルド様はプラチナを殺したあとに、自らのお命を……
はっきりと言葉で聞いたわけじゃない
。だけど二年間一緒に暮らしてきて、朧げながら彼がそう考えているのがわかった。
今に感じたことじゃない。
もうだいぶ前から、彼の決意はわかっていた。
更なる殺意を呼び込まないため、更なる悲劇を生み出さないために彼はプラチナを殺した後にこの世から消えるつもりでいる。
それがきっと彼なりの答えなのだと思うし、理解している。
だけど、一方でプラチナを殺しても誰もワイルド様を憎まないのではないかと思う私が居た。
プラチナローゼズはアンダルシアンの民にとって災厄の何者でもない。
皆はプラチナローゼズの振りまく【死】と【破壊】を恐れている。
そんなプラチナを殺したワイルド様はきっと皆に英雄として迎えられる筈。
誰も彼を憎むはずもないし、感謝するに決まっている。
アンダルシアンを救ってくれてありがとうと、と。
そして……たぶん、ワイルド様はそうなることは分かっているのだと思う。
プラチナを殺しても、誰も彼を憎まない。
【殺意の円環】は生まれない。
―――だけどどうしてワイルド様はそれでもこんなにも暗く澱んだ瞳をされているのだろう?
時折寂しそうな瞳をする彼を思い出して、私はようやくワイルド様の本当の願いが分かった。
暗く底なし沼のように深い彼の心の奥底には、やはり今でもアーリィさんの存在があるのだと。
もしかすると彼の心は二年前に愛するアーリィさんと一緒に死んでしまったのではないかと思う。
心優しいワイルド=ターキーはその瞬間に死んだ。ここにいるのはワイルド=ターキーという抜け殻だけ。
そんな彼はこの二年間、最愛の人を奪ったプラチナローゼズへの復讐心のみで辛うじて、抜け殻のまま生き続けてきたのかも知れない
―――プラチナを殺すことが全てのワイルド様が事をなし終えた先の結末はなんなのか……
そのためでだけに生き続けて来た彼。
それが今の彼の生きる意味。
それがなくなった瞬間、彼はきっと生きる意味を失う。
この世に留まっている必要がなくなる。
―――結局ワイルド様はアーリィさんのいない世界に興味が無いんだ、きっと……
それがきっと彼の真意。
【殺意の円環】を止めるために自らの命を絶つんじゃない。
悲しみや憎しみを広げないために、プラチナローゼズを殺した後に、死ぬんじゃない。
興味が無くなった世界に留まる必要が無いんだ。
もしかすると居なくなった愛する人に会えるかもしれないと思っていてアーリィさんが居ない世界から旅立とうしているんだ。
でも、そんなの悲しすぎる。
なによりも私はワイルド様に居なくなって欲しくはない。
―――何故、私ではダメなのでしょうか?
二年間、私なりに頑張った。
少しでもワイルド様の寂しさが埋まれば良いと思い色々なことをしてきた。
彼がしたいことを全力で応援したいと思った。
そしてずるいけど、そうしていれば彼の考えが変わるのではと思っていた。
彼の考えが代わっていつか私の願いが叶うかも知れないと思っていた。
私がアーリィさんの代わりになれるんじゃないかと密かに期待していた。
だけど、彼の決意は微塵も揺らがず、この世界への興味も取り戻してはいない。
私がワイルド様にとっての生きる意味になりたかった。
でも私はそんな存在にはなれなかった。
その証拠に、まだ彼の中ではアーリィさんの存在が生き続けている。
二年を共に過ごしても彼の中の私の存在は微塵も変わってはいなかった。
「ハーパー」
突然、ワイルド様が呼んだ。
その声に私は胸を高鳴らせながら、
「なんでしょうか……?」
彼の澱んだ黒い瞳が私を見つめている。
それだけで私は嫌な動悸を感じた。
嫌な予感が過ぎった。
この先の言葉に大体予想がついて、私は耳を塞ぎたかった。
このまま時間が止まってしまえば良いと思った。
しかし無常にもワイルド様は口を開く。
「二年間、こんな俺に愛想を尽かさず世話をしてくれてありがとう。あと、甘えた挙句に散々酷いことをしてきて済まなかったな」
「いえ、そんな……私がしたくてしただけです……」
すると、ワイルド様は久々に笑顔を浮かべた。
まるで二年前の、抜け殻になる前の優しくて、まだこの世界に興味があった頃の彼がそこに居た。
「ありがとう、ハーパー」
ワイルド様のたくましい手が私の髪をそっと撫でる。
二年前、同じように私の髪を撫でてくれた彼。
私が愛し、そしてこれからも共に生きてゆきたいと強く願っている彼。
瞬間、私の胸の内で痛みが弾け飛んだ。
それは私の瞳から大粒の涙を溢れさせる。
「ハーパー……?」
「……私ではダメなのですか……?」
ずっと胸の奥にしまっていた想いが溢れ出る。
もう私の想いは止まらない。
「私ではダメなのですかワイルド様!?私は出会ってから今日まで貴方のことをお慕いしてきました!私は……私、ハーパー=アインザックウォルフはワイルド様、貴方のことを心から愛しています!私は貴方の生きる意味になりたい!そう強く願っております!!」
心の底から、思いの全てを声に乗せ、私は彼へぶつけた。
願いが届くように。
この想いがワイルド様の心へ響きますようにと願いながら。
今からでも構わない。
私がアーリィさんの代わりになって、彼の生きる意味になりたいと。
しかし彼は私の髪からそっと手を離し、
「ありがとうハーパー……。でもすまない……俺にはアーリィしかいないから……」
「ッ!!」
私は立ち上がりコーヒーの入ったカップを投げ捨て走り出した。
胸が張り裂けるように痛く、涙が留まることなく溢れ続ける。
さっきまではお側に居たいと思っていたワイルド様。
でも今は彼のお側から離れたかった。
離れなければ心が悲しみに押しつぶされて、もう二度と立てなくなるような気がした。
だから私は走った。
走って走って走り続けた。
ワイルド様がどういう答えをお出しになるのか分かっていた。
私がどんな言葉をかけても、どんなに強く想いをぶつけても、私の願いはワイルド様に届かない。
でもわずかだけど私のことを選んでくれるのではないか、という期待があった。
私が彼の生きる意味になれると思っていた。
彼が死んでしまったアーリィさんではなく、生きている私を生きる意味にしてくれると思った。
でもその願いは断ち切られた。
ワイルド様ははっきりとアーリィさんのことを選んだ。
生きている私ではなく、死んでしまったアーリィさんへの想いを貫いた。
だけど……そんな答えも純粋な彼らしいと思った。
―――やっぱり私に付け入る隙はなかった。私は決してアーリィさんの代わりにはなれない。
それが現実で、ワイルド様の答えだった。
胸が張り裂けそうで、悲しくて、辛くて私は無我夢中で走り続ける。
すると、誰かが私のことをそっと抱き止めた。
「そんなに泣いてどうしたですか、ハーパー?」
顔上げるとそこには優しい表情を浮かべたジムさんの顔があった。
その包み込まれるような優しい笑顔は私の涙腺を崩壊させる。
「どうして!?なんで私ではダメなのですか!?ワイルド様はどうして未だアーリィさんのことを……ううっ……」
「振られちゃったんですね……」
ジムさんはそっと私を抱きしめた。
ジムさんは優しく私の髪を撫でてくれる。
「実は私もこないだワイルドに振られちゃったです。だからハーパーの気持ちは良くわかるのです」
「ジムさん……うっ、うっ、ひっくっ……」
「よく二年間頑張ったです。よく愛する男のために尽くしたです……実は私もたぶんハーパーと同じ気持ちだったです」
「えっ……?」
「私はワイルドに殺しをさせたくなくてサント・リーに加わったです。ワイルドの手を汚させないために、私が彼の代わりにプラチナを殺そうと思ったです……でも、昨日の戦いでどんなに頑張っても私にはワイルド程の力がないのが分かったです。だから考えを変えたです」
「お考えを……?」
「そうです。私にはワイルド程の力はないです。私もアーリィの代わりにはなれなかったです。でも彼のために何かをしたいって気持ちは今でも変わらないです。だから私はワイルドに情報を教えたです。そして彼の願いを叶えるために命をかけると覚悟したです。だから……」
ジムさんは私をそっと胸から引き剥がした。じっと私を見据え、そして、
「もしもハーパーに未だワイルドのことを想う気持ちがあるなら、彼のやりたいことを私と一緒に応援して欲しいです。想いを力に変えてワイルドを全力で応援するです。きっとワイルドは喜んでくれるはずですよ?」
ジムさんの言葉を聞き、悲しみが静まり、胸が軽くなった。
そして私は思い出す。
一年前、アーリィさんの命日に悲しみにくれているワイルド様を見て固めてた決意を。
―――愛する彼のためにこの身も心も捧げると私は決めた。
想いは届かない。
決して私の願いが叶うことはない。
だからといって何もしないという決断は絶対にできない。
したくない。
彼のしたいことをさせてあげたい。
彼が心の底から願っていることを、全て受け入れ、従う。
私は涙を拭った。
「ありがとうございます、ジムさん……」
ようやく全身に力が戻る。
悲しみに暮れているだけでは彼の力になれない。
彼の願いを応援することはできない。
幸いにも私には心を同じにして、戦ってくれる人が今目の前にいる。
私はジムさんへ手を差し出す。
ジムさんもまた私の手を握り返してきてくれる。
「やりましょうジムさん。一緒に、ワイルド様の願いを叶えるために!」
「はいです!一緒に頑張るですハーたん!!」
私とジムさんは固く握手を交わす。
―――もう涙は流さない。そしてこの命をワイルド様の力に変え燃やし尽くすんだ!