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会社で倒れて病院に運び込まれてから3年。
世間では長くとも自分には短かった療養休暇も、医師からの許可が出て晴れて残り6ヶ月になった。
『通院と服薬の継続は必要であるが復帰に支障なし』と書かれてしまった診断書を貰って来たのが昨日で、今日は会社に連絡しなければならないだろう。
今は朝の6時で、昨夜は眠らずじまいだったがもういい加減に生活リズムも直さなければならない。
「9時半には連絡しないといけないよなぁ…」
テーブルに適当に放ってある病院のロゴが入った封筒を横目に見たら溜息が出た。
正直に言えば、失業するのは恐ろしいがこのまま退職扱いになっても構わないと思っていたのだ。
子供の頃から好きだったゲームと学生時代に得意だった理数系が悪魔合体してプログラマーになったが、実際は華々しい仕事など無く、黒い画面に白い文字で書かれたコードをひたすら読み解きひたすら修正する日々だった。
「就活の時なぁ、何で守りに入ったよ俺…」
親がどうしてもと言うから1社だけ受けた金融系と自分の好きに受けた複数の会社のうちの1社、その2つ取れた内定のどちらかを選べた。
選べたのに、選んだのは親が薦めて来た金融系。
あの時自分が望んで受けた方に行っていれば、同じ仕事内容でも現状は少しは違ったのではないかと思う。
思うがそれはifでしかなくて、結果としてはそっちに行っていてもこの今日という日に同じように後悔していただろう。『親の言う通りにしていれば』と。
「いや。もう結果が変わらないならやるしかねぇし」
甘ったれた自分を奮うように口にしてみたが、自分の淀んだ眼は揺らぎもしない。
「……コンビニ行こう」
朝飯に出来る物が何もないのを思い出して、長い付き合いの眼鏡をかけてサンダルを引っ掛ける。
外はこの時間もう大分冷えるようになっていて、何か羽織って出てくればよかったと些細な事で挫けそうになるがそこは我慢だろう。
コンビニまでは然程大きくない道路一本挟むだけだし、この時間なら車も少ない。
働かない頭と油断とやさぐれた気持ちとがないまぜになって、信号を確認せず道路を渡る。
と、途端に視界が歪み、すぐに曇り見えなくなった。
それの一瞬あとだろうか、体中が右から左に押し潰されていく感覚。
痛いというより崩れていく方が強いんだなと思いながら、知り至る。
あ、
俺。
死ぬ。
…
……
………
何故か意識が消えない。
死んだ後って意識残るのか?
そんな話は作り物でしか聞かないぞ?
目が開けられそうだったからゆっくり開けてみると高い天井が見えた。
見えたが、ぼやけて視点が合わないので天井だろうという推察だ。
ええと…、俺、事故ったよな?
うん、確かに事故った…はず。
ここは病院だろうか?
これで起死回生は2度目だな。
どちらも不注意でのことだから褒められた事ではないが。
こういう時ってどうするんだったっけ…?
確か…、末端から少しずつ…。
「きゃあ!?」
え。
なに今の、誰の声?
指先に感触があったから人差し指と中指で確かめてみると、それは感触の良い布のようだ。
「ああ、気付かれたんですね。よかった!」
視線が動かせそうだったので声のする方へ向けてみると、白い物体が視界にずいと入ってきた。
「まだ動かないで下さいね。貴方、強かに身体を打ち付けて全身酷いんです」
「……――ひ、ど…い?」
言葉を聞き取れたし、返してみたら通じたのか白いのも頷いたから、ここは日本らしい。
「かん…ご…し…さん?―おれ…いき、て…?」
「はい、貴方はちゃんと生きていますよ。私は看護師さんではないですが。今、本物の看護師さん呼んで来ますね!」
指先の布がするりと離れて、かわりに柔らかい感触に手を握られた。
そして白いものは視界から消えて、程なくして周囲の音が聞こえてきた。
ああ、俺生きてんだ。死ななかったんだ。
よかった。
あれだけやさぐれたけれど、やっぱり死ぬのは嫌だ。
生きていたいしもっとこうして日に当たっていたい。
休養が長引いていよいよ職を失うかも知れないけれど、そしたらまた頑張って仕事を探そう。
取り柄はないけれど、職歴は一応箔付きだ。
頑張ろう…頑張ろう…。
がん――
「おお!アンタ気が付いたか!!良かった!!」
…
……え?
巨大な物体がオンオンと泣き始めた。
俺が命の有り難みに泣こうとしかけた時に視界に入って来て、涙も引っ込ませ近視乱視のハンデも物ともせずに視認させてきたのは、さっきの白いものでも、白衣の看護師さんでもなく。
焼けた栗色の豚っぱなであった。
野太い声の。
やっぱり俺、死んだ?




