(四)薙沢村
(四)薙沢村
俺は目を開けた。
障子ごしに入ってくる陽光がまぶしくて目が覚めたのだ。
体を起こし、布団をはねのた。
なぜ居間で寝ていたのだろう。謎だった。
昨日の夜、玄関から家の中に入ろうとしたら、
背中にに何かが覆い被さって来て……
焦げた臭い、唸り声、白い服、黒い肌、赤い眼……
そうだアイツだ、あの化け物だ。
断片的に記憶がよみがえってくる。
掛け時計を見た。午前九時を過ぎている。
居間の戸がすっと開く、そこには母が立っていた。
俺のほうを見ると、目に涙を浮かべ抱きついてきた。
母の肩越しには、父と……そして妹の鏡花の顔が見えた。
信じられないことに俺の方を見て微笑んでいる。
気絶していた間、どうやらいろいろな事があったようだ。
俺は強く抱きついていた母を引き剥がしてから、
コンビニで起きたことを、家族全員に話した。
「信じられないかもしれないけど……」
俺はそう前置きしてから、帰省の途中で遭遇した
奇怪な出来事を詳細に語った。
皆、真剣に話を聞いてくれた。
疑いの目を向ける者は居なかった。
父、母、妹、そしてヒデ爺とおトミさん……
隣に住んでるあの口やかましい老夫婦までもが、
あの恐ろしい化け物を見たのだそうだ。
「なるほど、その集落にあるコンビニが今回の騒動の
元凶みたいだな」
一通り話し終えると、父は腕組みをしながらそう呟いた。
「コンビニの老夫婦、子供をどうにかしたのかもしれない」
俺はあの店長の取り乱す様を思い出していた。
「父さんの大学時代の友達で、いま出版社で働いてる奴が
居るんだけど、そいつ今オカルト雑誌を担当してるんだ。
何か知ってるかも知れない。ちょっと聞いてみるよ」
そう言うとスマホを取ってきてメールを打ち始めた。
送信し終わってから数分と経たないうちにスマホが鳴り、
父は慌てて電話を取った。
「ああブンさん。悪いね、忙しいのに……」
どうやら出版社の人のようだ。
話し込んでいるうちに、父の表情がみるみる
青ざめてゆく。ときおり必死になってメモを取っていた。
そのあと十分ほど話し続けてから父は電話を切った。
家族全員が見守るなか、
「そのコンビニの場所は、おそらく長野県A市の
薙沢町で、昔は
薙沢村と呼ばれていたそうだ。
それでその、信じられんかもしれんが……」
父は一瞬口ごもった。
「なによ? 今更なにを言われても驚かないわ」
母は話を続けるように促す。
「むかし薙沢村のあたりには凶子というのが
よく生まれたそうなんだ」
「まかご? 昨夜、おトミさんがそんなことを言ってたわね」
「おみくじの凶の字に、子供の子と書いて、凶子。
今で言う先天性の知能障がい者なんだけどね。
むかしは悪いモノにとり憑かれた者として、
村人たちに忌み嫌われてたそうだ」
「そういえば……がきつき、とも言ってた。
餓鬼が憑いてたってことかしら?」
「おそらくそんなところだろう。
キツネ憑きなんかと同じで、ただの迷信なんだろうけど」
両親の話を聞いていて、俺にはなんとなく予想が付いた。
「それで、その餓鬼が憑いた子供というのは、
村に災いをもたらす不吉な者だとされ、
必ず殺さねばならなかったそうだ」
やはりそうきたか。田舎というのはこういった
非科学的な因習があるから怖いんだ。背筋が冷える。
「酷い話ね」
「その餓鬼の憑いた凶子の殺し方というのがね、
すごく残酷なんだ。さんざん暴行を加えて、唇を糸で縫って、
あらかじめ森の奥に掘っておいた穴の中に子供と枯れ木を
一緒に投げ入れて、そのあと火を付けて焼き殺したんだそうだ」
なるほど、だからあんな姿で出てきたのか。
「例の黒い少女は、コンビニの老夫婦の子供だったのかな?
老夫婦の間に精神障害者が産まれて、それを餓鬼憑きだと
思って殺してしまったとか……」
「たぶんね。でもその老夫婦が殺害したという証拠はない。
もしかしたら村民たちに殺されたのかもしれない。
今回の怪現象の裏付けになるかどうかは分からないけど、
五十年ほど前に薙沢村で少女が失踪する事件があったそうだ。
もちろん県警は動いたけど、結局行方は分からず捜索は打ち切りさ」
村ぐるみで事実を隠蔽しているのか。
だとしたら警察が介入したとしても捜査は難航したに違いない。
「その失踪少女の名前は? 両親の名前は?」
俺は父に食いつくようにして聞いた。
「さあ、そこまでは……警察や役所に問い合わせてみれば
分かるとは思うが」
「うーん……」
俺は腕組みをして唸った。
少女の失踪事件に興味があった。
いや今回の騒動は、その事件と深く関わっている可能性が高い。
だが五十年も前のことを今更ほじくりかえして何になる?
せっかくの年末を、せっかくの冬休みを、探偵ごっこをして
浪費してしまうのか? それはあまりに勿体ない話だ。
しかし、またあの化け物が襲ってくるかもしれない。
姿も気配もないが、今もどこかで俺を見張っているの
かもしれない。なにしろあの少女は怨霊と化して
未だに現世をさまよっているのだ。
やはりなんとしても少女の遺体を探し出して、供養して
成仏させなきゃだめだ。そのためには……
「俺、昨日のコンビニに行ってくる。
行ってあの老夫婦に話を聞いてくるよ」
「だめよ、危ないわ」
母が心配そうな顔で俺を見ている。
「探偵に調査を頼むか」
「えっ?」
「このままだと家族にまで危害が及ぶ可能性がある。
費用はかかるけど、背に腹は代えられない」
「ごめん、俺のせいで」
「ヒロシは悪くないさ、本当に悪いのは……」
父は何かを言おうとして口をつぐんだ。
諸悪の根元は、コンビニの老夫婦ではない。
かつての薙沢村の人々が迷信によって作り上げた
残酷な風習にあるのだ。
ふいに居間の電話が鳴り、父が受話器を取った。
「ああ、おトミさん、昨晩はありがとうございました。
はい……ヒロシも先ほど目を覚ましまして……ええ
なんとお礼を言ってよいか」
お隣のおトミさんからの電話だったようだ。
父は薙沢村の少女失踪事件のことをおトミさんに
説明していた。
「えっ? これから行くんですか。でも……
いえ、そういうワケでは……ええ、はい……
分かりました。支度をさせますので」
父は電話を切った。
「これからおトミさんたちが薙沢町へ行くそうだ。
で、家族みんな一緒に来てほしいと言われた」
「ええ? まだ朝ご飯も食べてないのに」
「でも、なるべく早い方がいいって」
ピンポーン。
突然、玄関のチャイムが鳴った。
俺が出ると、申し訳なさそうな顔をしたヒデ爺が立っていた。
「ああ、ヒロシくん。急な話でスマンのう……
うちの婆さん、ホントせっかちで」
玄関前の道路に、黒塗りのデカいミニバンが停まっていた。
マフラーから図太いエンジン音が響いてくる。
派手なエアロパーツが付いていて、ローダウンまでしてある。
ヒデ爺こんなの乗ってるのか。
助手席側の窓が開いて、おトミ婆さんが顔を出した。
「さあ、急いどくれ! 四十秒で支度するんじゃ」
相変わらず強引で無茶な婆さんだ。いい人なんだけどね。
こうして俺と父と母と妹の四人はミニバンに乗り込んだ。
ヒデ爺が運転するミニバンはものすごい
速さで薙沢町のコンビニへ向けて疾走していった。