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(三)怨念

(三)怨念

 

 台所に居た美佐子は、ごった煮の入った鍋を菜箸で

 かき回していた。

 慌てて火を止めたが、煮汁は殆ど蒸発し鍋が焦げていた。

 急いで水を足す。

 ジューという音ととも蒸気が盛大に上がった。


 あーやっちゃったよ、と美佐子は嘆いた。

 

 そのとき玄関のほうで何かが倒れる音、

 そして娘の、鏡花の鋭い悲鳴が聞こえた。


 何事かと思い、美佐子は早足で玄関に行った。

 そこには、床にぺたりと座りこんで顔を覆いながら

 震えている鏡花と、

 泡を吹いて倒れている息子の姿があった。


「ヒロシ! どうしたのヒロシ!」


 駆け寄って息子の肩を揺さぶる。

 美佐子は元看護士である。

 手際よく心音や脈を確認すると、少しだけ

 安堵した。ヒロシは気を失っているだけだ。 


「鏡花、アンタ何をしたの?」

 美佐子は憤怒の表情を浮かべて鏡花を睨んだ。


「わ、わたし何もしてない」


「じゃあ何があったの?」


「化け物が、黒焦げの子供がそこに居たのよ!」

 鏡花は怯えた表情で必死に訴えた。


「は?」


「嘘じゃない、マジで居たんだよ!

 白い服を着ていて、顔もカラダも真っ黒で

 赤い眼でこっちを睨んでた!」


「何バカなこと言ってるの!」


 美佐子は狂乱する娘を叱りつけた。


 騒ぎを聞きつけたのか、疲れた顔をした中年男が

 のそのそと二階から降りてきた。

 この家の主人、敏明である。


「うるさいな、こんな時間に何を揉めてるんだよ……」 


「アナタ、大変よ、ヒロシが突然倒れたの」

 美佐子は叫んだ。


「ええっ!?」


 眠そうにしていた敏明は、急に驚いた様子でヒロシに

 駆け寄った。


「おいヒロシ、しっかりしろ」


「だめ、完全に気絶してる。

 とりあえず居間に運ぶから手伝って。

 鏡花もそっち持ってちょうだい」


 敏明はヒロシの靴を脱がせて両足首を持ち、

 美佐子と鏡花は右腕と左腕をそれぞれ持って

 ヨイショヨイショと言いながら人型お神輿を

 居間のほうへと運んだ。


 美佐子はヒロシのアタマを持ち上げて枕を当てがい

 そのあと毛布をかけた。

 すぐ横で敏明が息子の顔を心配そうに見つめている。


「市立病院に連れて行った方が良いかな?

 たしかあそこは夜間の緊急外来があったはず」


「大丈夫、呼吸や脈拍は正常だし目立った外傷もない。

 しばらくすれば意識が回復すると思う。

 倒れた時にアタマとか打ってなきゃいいけど……」 


 ふと美佐子は部屋の隅でうずくまって震えている鏡花を見た。

 

「鏡花、もう一度聞くけど、さっき何があったの?」


「言ったって信じてくれないでしょ」


「子供がどうとか言ってたけど」


「白い服を着た子供の幽霊が来て、兄貴の背中に

 飛び乗って右肩に真っ黒な顔を乗っけてヘンな声出して

 それで兄貴が気絶して」


「子供の幽霊?」

 敏明が小馬鹿にするように言った。


「マジで居るんだ! あいつまだ家の外に居る!

 あたしたちを殺すつもりなんだ!」


 鏡花は頭を抱えて、またうずくまってしまった。


「殺される、みんな殺されるんだ……」


 震え声でぶつぶつと呟いている。


 美佐子は溜息をついた。

 この子は一体どうしてしまったのだろうか。

 妄想癖でもあるのだろうか。

 今までこんなことを言うような子では無かったのに。


 コツン、コツン。


 突然、居間の窓の外にあるアルミ製の雨戸を叩く音が

 聞こえた。鏡花はビクっと身体を震わせた。

 敏明は慌てて立ち上がり、障子、窓、雨戸を開け、

外をのぞいた。

 敏明はしばらく外をキョロキョロと見回していたが、

 なんの姿も見えなかったようで、おかしいなぁと呟きながら

 首を傾げた。美佐子も窓際に行って外を見たが誰の姿もない。

ただ暗い庭の景色が広がっているだけだった。

 

「何かいるのかな? ちょっと外を見てくるよ」

 敏明が言った。

 

「ダメ! 外に出ちゃダメ!」

 鏡花はすっと立ち上がって父の上着の袖を掴みながら

必死になって引き留めた。


「大丈夫、たぶん野良猫かタヌキでもいるんだろう

 追っ払ってくるよ」


 敏明は笑いながら娘に答えると、物入れの中からLED

 ライトを取り出し、玄関へ向かった。

 

「待って、私も行く」

 美佐子は思わず敏明の後を追いかけた。


「いや、いいよ、俺ひとりで」


「でも……」


「平気、平気、それよりヒロシを見ててくれ」


 敏明はサンダルを履き、玄関の引き戸をガラガラと開けた。

 冷たい風がすっと吹き込んでくる。

 

「わかった、気を付けて、もし何かあったらスグに呼んで」

 

「あいからわず心配性だな、美佐子は」

 俊明は微笑み、そして引き戸をガラガラと閉めた。


 美佐子は夫の背中を見送ってから居間に戻った。

 広志はまだ意識が戻らず、そして鏡花はあいかわらず

 居間の隅でうずくまっている。

 母は息子の枕元に座り、頭や頬を撫でた。

 壁掛け時計の秒針の音がやけに大きく感じる。

 まもなく午前零時。


 聞き慣れた足音が外から聞こえてくる。

 サンダル履きの敏明が庭を歩く音だ。

 その足音がしばらく続き、そしてふいに途切れた。


「うわあああ!」


 突然、部屋の外で図太い悲鳴が聞こえた。

 美佐子は夫の声だとすぐに分かった。

 玄関へ向かおうと慌てて立ち上がった時だった。


 バチンッ!


 突然、真っ暗になった。家中が停電している。

 闇の中、玄関の方からガラガラと引き戸が開く音がした。

 

 ペタリ、ペタリ……


 足音。家の中に入ってくる。

 敏明のものではない。まったく別の、誰かの足音。

 そして、草木が焼けて焦げるような臭いがした。


 ペタリ、ペタリ……

 

 美佐子は思った。

 泥棒なんかじゃない。もっと危険な者が来ている。

 夫は無事だろうか。とにかくヒロシを起こさないと。


「ヒロシ、ヒロシ! 起きなさい!」


 母は足下で寝ている息子を揺さぶった。

 だが返事はなかった。まだ昏睡している。


「ダメか……」


 ペタリ、ペタリ、ペタリ……

 足音はもうすぐそこまで来ている。


「お母さん!」


 闇の中、鏡花が美佐子の背中にしがみついてくる。

 母は恐怖に慄きながらも、怯える娘のことを思い、

 努めて平静を保った。


「鏡花、そこの窓から出て

 となりの富子さんの家に行きなさい」


「いやっ」


「早くしなさい、アンタだけでも逃げるの!」


 ペタリ、ペタリ、ペタ……


 足音が止まった。

 二、三メートル先の闇の中に、ぼうっと浮かぶ白い服、

 そして赤く光る双眸があった。

 黒い少女。美佐子と鏡花を刺すような視線で見ている。


「んんん! んんん!」


 不気味な唸り声を上げ、居間の中に入ってくる。

 

 母子は抱き合ったまま畳にへたり込んだ。


 少女は黒い顔を前に突き出し、身を屈め、両手を畳に付いて

 四つんばいになった。

 まるで蜘蛛のように這って歩き、寝ているヒロシの枕元に行くと、

ジッと寝顔を見下ろした。

 眼光が一層強くなり、黒い顔や手足から突然赤い炎が吹き出し、

少女の全身は火の玉のように燃えさかった。


 息子が殺される……美佐子は絶望した。

 

「美佐子さん! 美佐子さん! 大丈夫かい!?」


 玄関の方で老婆の声が聞こえた。

 少女が燃えさかる顔を声のする方に向けた。

 懐中電灯の白い光が見え、バタバタとした足音が近づいてくる。


 そして二人の老人が居間の入り口に姿を現した。

 おトミさんとヒデ爺……隣の家に住んでいる老夫婦の

 富子と秀男だった。騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。


 富子はフライパンを、秀男は竹刀をそれぞれ手にしている。

 燃えさかる少女を見るやいなや、老婆はカッと目を開いた。


「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前! きぇぇぇい!」


 大声で叫びながら、右手の人差し指と中指を突き出し

虚空に網の目を描くように縦横に振るい、そしてフライパンで

 少女の頭を何度も殴りつけた。

 ヒデ爺も竹刀で化け物の背中をバシバシと叩く。


 すると炎に包まれた化け物はフッと姿を消してしまった。

 ふたたび部屋が真っ暗になる。


「美佐子さん、大丈夫かい!?」


「おトミさん……」

 美佐子は涙声で老婆の名を呼んだ。


 ヒデ爺は台所に行き配電盤を調べ、そして落ちていた

 ブレーカーのスイッチをバチンと上げた。

 電気が復旧し、居間に明るさが戻った。

 

「やれやれ、ずいぶんと厄介なのが来たみたいだねぇ」


 おトミさんはしみじみと呟いた。

 居間に戻ってきたヒデ爺は、横になっている広志を

 じっと見つめて呟いた。

 

「ああ、こりゃ完全に憑かれておる。

 はやく祓ってもらわんと」

 

「さっきのは凶子まかごだね。

 しかも口を縫われておった……たぶん餓鬼憑きじゃ」


 まかご、がきつき……老婆の口から出た、この聞き慣れない

 言葉に美佐子は底知れぬ恐怖を感じた。

 そんな彼女の不安を察したのか、おトミさんは笑った。


「大丈夫。アタシらが居る限り、絶対に手出しさせないよ。

 ところで美佐子さん、旦那のトシさんはどうしたのじゃ?」


「分からない……庭のほうで叫び声は聞こえたんだけど」


 ヒデ爺は竹刀を持って庭のほうに行こうとした。

 

「ダメ、ヒデ爺……アイツまだ居るわ、感じるの」

 

 鏡花がすかさず声を上げた。

 すると老翁はニヤリと笑い、いやらしい表情になった。 


「おや、鏡花ちゃん。このジジイを心配してくれとるのかな?」

 鼻の下が伸びている。


「えっ」


「ずいぶんと怯えているようじゃな。なんなら今晩、ワシが

添い寝してあげようかの」


「黙らんか、このエロジジイ! さっさと行ってくるのじゃ!」


 老婆が鋭い声で叱咤すると、老翁は首をすくめて玄関へ向かった。

数分後、ヒデ爺が戻ってきた。

 気絶した敏明をお姫様だっこしている。


「ああ、しんどい。腰が痛いわい」


 言葉とは裏腹に、敏明を軽々と抱えている様子だった。

 敏明は痩せていて体重は六十キロと軽いほうだが、

 それにしてもこの老人、かなりの怪力である。

 

「トシさん、庭で伸びとったよ。多分あやつの仕業じゃろう」


「まだ、そこらへんに潜んでいるかえ?」


「いや、たぶんもうどこかへ逃げてしまったんじゃろ

気配は感じられんかったよ」


 ヒデ爺は、敏明を広志の横にそっと置いた。

 夫と息子は居間で枕を並べて昏睡状態にある。

 美佐子は二人の顔を見つめ、また涙を浮かべた。


「どうして、どうしてこんなことに……」


 両手で顔を覆った。おトミさんが美佐子の背を撫でる。


「どうじゃ婆さんや、解呪できそうかの?」

 ヒデ爺が低い声で聞いてきた。

 

「アタシも昔は祓いができたんだけどねぇ、もう歳だから」


「なら照元さんじゃ、照元和尚を呼ぶしかない」

 

「あのクソ坊主を呼ぶのかい? アタシは反対だね」


「しかし他に頼める人は、このへんには居ないじゃろ?」


 そう言うと、ヒデ爺は寝間着の懐からスマホを取り出し、

手馴れた感じでどこかに電話をかけた。

 ヒデ爺はスマホを耳に当ててしばらくじっと待っていたが

 やがて首を傾げた。 

 

「おかしいのぉ」


「どうしたジジイ?」


「まいった、照元さんのお寺に電話したんじゃが、

 つながらんわい」


「あの小僧、こんな時間に一体どこへ出かけておるのじゃ。

 小僧のスマホに掛けてみたらどうじゃ?」


 するとヒデ爺は、いや、待てよ……と呟きながら

 また違う所に電話をかけた。


「もしもし、アケミちゃん? 

 ワシじゃ、ヒデ爺じゃ……いま店に照元さん

 来てるかの? え? 居る? じゃあ電話変わって」


「誰じゃ? アケミちゃんって誰じゃ!」


 おトミさんはヒデ爺の首を両手で絞めていた。


「く、苦しい……もしもし、照元さんかい? 

 夜遅くにスマンが今からウチに来てくれるか?

 憑き物を祓って欲しいんじゃが。

 え、ダメ? 忙しい? 明日? 明日じゃダメなんじゃよ」


 突然、おトミさんがヒデ爺のスマホをひったくった。

 

「いいか小僧、黙って聞け。今すぐウチに来るんじゃ! 

 一刻を争う事態じゃ! ああ? ガタガタぬかすな

 ブチ殺すぞクソ坊主が!」


 老婆の怒号が響いた。

 美佐子も鏡花もヒデ爺も愕然としている。


「まったく、どいつもこいつも……」


 おトミさんは大きな溜め息をつくと、いったん自宅に

 戻っていった。

 そして二十分ほど経ったところで、再び玄関にやって来た。

 今度は若い男を連れている。


「こっちじゃ、小僧」


 ダウンジャケットにジーパン姿の青年だった。

 剃髪していなければ僧侶だとは分からないだろう。

 男は、玄関で出迎えた美佐子に向かって合掌しながら

 深々と一礼した。


「照元と申します。遅れて申し訳ありません」


「こちらこそ、すみません法師様。

 深夜にご足労頂いて……」


 美佐子も深々と頭を下げた。


「こんな小僧に気遣いなど無用じゃ。さあ照元、頼むぞ」


「はい」


 アルコールの臭いがする若い僧は、居間に来ると

 ヒデ爺のほうを見た。


「ああ照元さん、夜遅くに呼び出してすまんのぅ」


「どうもヒデさん。こちらのお二人が憑かれた方ですか?」


「そうじゃ。この家のご主人の敏明さんと

 その息子の広志くんじゃ」


「分かりました、では……」

 

 照元は二人の枕元に正座すると合掌して念仏を唱え始めた。

 すると途端に居間の空気が変わった。

 その場に居る一同も皆正座し、掌を合わせた。

 読経を続けながら、照元は寝ている二人をうつ伏せにして

 背中をさすったり叩いたりしている。

 美佐子と鏡花は黙ってその様子を見つめた。

 富子も秀男も手を合わせ、かたく眼を閉じて必死に

 何かを念じている。


 こうして夜が更けていった。

 

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