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屋上の記憶(「屋上へ」 題改め)

作者: 宇井

 真昼の光は、絶え間なく流れる車の車体に反射し、私を焼く。たまらず舗道に面した百貨店に入った。舗道に面したショーウィンドウには氷の彫刻の上で宝飾品がキンキンに冷えている。アーチ状の高い入口の上には、古い歴史を示すように漆黒の墨で盛り上がった「商」の紋が掲げられている。中に入ると、天井は数階分ぶち抜かれた吹き抜けになっており、床は大理石が敷かれ、冷気が満ちていた。私は気後れしながら、自分の世界とはかけ離れた高級品の間を通って、涼む場所を探した。


 この百貨店のエレベータはAIを実装した箱型ロボットなである。単なる自動運転ではなく、お客様のご機嫌を伺い、営業活動をし、不審人物チェックのセキュリティも担っている。空気圧を自由に調節して上下し、垂直の空間を思うがままに支配している。コミュニケーション能力にも優れ、できないことは歩くことくらいである。


 私は上向きのエレベータに乗り込む。子供を連れた客や老夫婦が乗ってくる。行き先階のボタンは無く、乗り込むと「ご利用階をおしらせください。」とエレベータが話かけてくる。5階、6階と答えが返る。「畏まりました。5F子供服階、6F宝飾品階にお止めします。」しばらく間があり、「そちらのお客様はどちらまで行かれますか。」と再び声がする。不審げに、私に向かって言っているのだ。他の客の視線が私に集まる。


とっさに「屋上」と言ってしまった。「畏まりました。屋上まで参ります。」と言い、エレベータは静かに昇りだした。この暑い日に屋上で何をする気なのだ、と乗り合わせた誰もが都会的な無関心を装いながらも思っている。私も、どうして「屋上」なんて言ってしまったのかと悔やんでいると、「お母さん、屋上って何があるの」と子供が母親を見上げて言う。母親は、何て間の悪い子なのという困った顔をして、「さあ、いろいろな機械でも置いてあるのかしら。」とあいまいに答えた。すると、すかさずエレベータが「当店の屋上には、店舗や機械設備等はございません。」と言った。母親がむっとした雰囲気を感じ取ったエレベータはスピードを上げ、すぐに、5階に着き、親子を降ろした。


 6階で老夫婦が降りた後、エレベータが、自分の腹の中に一人残った私をうさんくさそうに見ている気配を感じる。ひたすら上昇し、階を示す表示は、・・・となり、無表情に「・・、通過いたします。」と言ったきり何も言わなくなった。私は屋上が何階か知らずに乗ったため、いったいどこまで行くのかと、体も冷え切り少し不安になってきた。とうとう、「屋上階でございます。」と例の声が私に向かって箱の中で響き、さらに、トーンを落として、「お気をつけて、ご無事にお帰りをお待ちします。」と親切げに付け加えた。得体のしれないアドベンチャーが待っているような言い方である。


 扉が開く。エレベータホールもなく扉を出るとすぐに、広い屋上のコンクリートに続いている。空しか見えない。一歩出るなり、コンクリートの熱気に一気に包まれる。先ほど冷えた体が、今度は焼きなまされるように再び熱気の中に放り込まれた。なんてことだ。すぐに戻ろうと振り返るが、すでにエレベータの扉は閉まっている。「下へ」ボタンが無い。汗がどっと噴出す。すると、私の行動を察知したエレベータは言った。「しばらくお待ちください。次回の到着は1時間後です。どうぞお気をつけて。」と笑いをこらえているような声が高速にどんどんと遠ざかっていく。時間までもが遠ざかっていくようだ。


 私は、とにかく涼しいところを探して、時間を潰そうと一歩踏み出した。屋上の左端には太いパイプが何本も突き出て、巨大なファンが唸りながら熱風を吐き出している。熱風にあおられて、足早にそこを過ぎると、エレベータは何もないと言っていたが、なんとか日陰と自動販売機を探さなければならない。熱気で空気と頭がゆらいでいる中で、奥の塀際になんやら小屋が見える。そこには、人が動いている気配がある。そういえば、子供の頃に親につれて行かれた故郷の百貨店の屋上といえば、熱帯魚とか金魚とか昆虫とか鉢植えとかを売っている店があったなと少し元気が出て、その小屋にのろのろと向かった。


 奥行きが2mにも満たない小屋の中は、天井はガラス張りで光が入るが、目の荒い葦簀よしずをかぶせて日除けにしている。小屋の奥に壁はなく、入り口からの風が通り抜けていく。ちょっと人心地がついて、周りを見回すと、左右の壁の前に段々が作られ、中央に台がある。奥に、真っ直ぐな髪を後ろに結んだ若い女の人が座っていた。段には大小の植物の鉢が並べられ、毛筆で名前が書きこまれた薄い木の札がささっている。


植物はどれも見たことがないものだった。土から数センチ棒のように突き出ている植物は青緑色をしており、枝別れした先に黄色玉が沢山ついている。卵みたいで少々気味が悪い。「胞子ですよ。」と冷えた麦茶を運んで来た女の人は言う。両側の段に並んでいるのは、どの鉢も様々な種類の羊歯だという。薄い葉が風に揺れている。


中央の台には、かぼそい1本の茎に、細長く先の尖った葉が数枚ついた植物の鉢が並んでいた。どれも数センチの高さしかなく華奢な上に、たった1本しかない茎の先端がぷっつりと切り取られたように終わっていて、気味が悪い。その人は「蘭です。」と言った。深い緑色のミズゴケが敷かれた小さな鉢を手のひらに載せて、いとおしそうに、「これは野生の蘭で、花が終わり落ちて、来年の花の準備をしているところです。茎の先端に、これは黄色、あちらはピンクの花をつけます。」と言う。「ちりん」と風鈴が揺れ、通り抜ける風の姿が見える。「地味な世界でしょ。」と言って彼女は微笑んだ。


 わたしは、時間を思い出した。すでに1時間近くたっており、エレベータが来る時間が迫っている。あわてて、礼を言って出ようとすると、「これを一つお持ちください。」と彼女は、茎ばかりの蘭の中の一番小さい鉢を取り出した。「秋には茎は枯れますが、根は休眠して、来年、花が咲きます。」林の奥に咲く蘭で、白い小さな花が咲くという。「もうまもなく絶滅するので、最後の一株です。」と、そっと紙袋に入れてくれた。なんだか、ここに彼女を一人残していくのが忍びない気がした。しかし、今帰らないと一生、戻れないような気がして、私は礼を言って受け取り、エレベータの所に急いだ。


 エレベータは扉を開けて待っていた。私が駆け寄ると、一瞬扉を閉じるような仕草をする。本当に意地が悪い。「ご無事でなによりでした。」と言って、下降を始める。また「・・・通過」があり、下層階に達した。他の客が乗り込み、1階に到着した。最後に私が降りるときに、エレベータは「ご利用ありがとうございました。しかし、あの店は二度とご利用になれません。50年前から屋上は立ち入り禁止ですから。」とすました声で言った。このエレベータは垂直空間のみならず時間も制御するというのか。水平移動はできぬくせに。


 私が紙袋を持って百貨店を出ると、すでに日の盛りはすぎ、夕闇が迫る前の透明な光が街に満ち始めている。部屋の机に鉢を置いて、彼女に言われた通り、ミズゴケの表面が乾いたら、そっと水を垂らして湿らせる。この野性の蘭も50年前にすでに絶滅しているらしい。机の上にある鉢には、小さい木の札に、「ちどり」とあった。




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