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短編たち

アボカドとわさびとチーズの狭間で

作者: 山いい奈

 食べる事が大好きなみゆきは田舎出身である。都会に出て来たきっかけは大学進学。初のひとり暮らしスタートでもあった。


 大学生活はつつがなくスタートした。友人も出来た。みゆきはおっとりしている方なので、友人作りの波に乗れるかどうか少し不安だったが、幸い隣の席に座った同級生が社交的な学生で、彼女から声を掛けて来てくれた。


「ねぇ、ご飯食べて帰ろうよ」


 お昼過ぎの大学の帰り道、社交的な学生、通称夢ちゃんが言い出した。みゆきは特に用事があった訳では無かったので、即OKした。


 みゆきと夢ちゃんは大学最寄り駅前のカフェに入った。こんな洒落たカフェなどみゆきの地元には無く、都会に出て来てから初めて入った時には緊張したものだった。つい挙動がぎこちなくなってしまったみゆきを夢ちゃんと友人たちは暖かく笑い、特別なマナーとかがある訳じゃ無いんだよ、と教えてくれた。


 さて、オーダーである。何を食べようかな。みゆきはメニューを睨み付ける。メニューには写真がふんだんに使われていて、どれも美味しそうだ。サーモンのムニエルやチキンのハーブソテー、ビーフシチューなどなど。


「みゆき、これ期間限定メニューだって」


 夢ちゃんに言われ、みゆきは彼女が差し出したメニューに目を移す。期間限定なので、オフセット印刷されラミネート加工されたレギュラーメニューと違って、ラミネート加工はされているもののインクジェット印刷という簡易な造りだ。そこにあるメニューはふたつ。みゆきはその中のひとつに注目した。


「……ねぇ夢ちゃん、この『アボカド』って何?」


 みゆきは正面に座っている夢ちゃんに聞いてみた。


「ああ。何て言ったらいいのかなぁ、確か果物でね、緑色してて、脂肪分たっぷりで『森のバター』て言われてる」

「美味しいの?」

「それはまぁその人の主観によるけど、味はトロに似てるって言われてる。このメニューみたいに和え物とかサラダにもするけど、わさび醤油で食べたりもするよ。私は結構好きだな」

「へぇー」


 大学に進学するまでは実家暮らしだったので、食に関してはお母さんに任せっきりだった。食べたいお菓子やスイーツを自分で買う事はあったが、食事に関してはずっとお母さんに作ってもらっていた。平日も休日も部活動をしていたので、手伝いをする事もあまり無かった。ちなみに平日のお昼はもっぱら学校の食堂だった。


 当然自らスーパーで食材を買う事もほとんど無かったので、アボカドが食卓に上がる事など無かった。今年50歳になるお母さんにとっては未知の食材だったのかも知れない。


 なのでみゆきはアボカドの存在を知らなかった。都会に出て来て知った食材は他にもあって、その度に都会育ちの夢ちゃんに教えてもらっていたが、このアボカドほど心惹かれた食材は無かったかも知れない。なぜこんなにみゆきの心を掴んだのかは判らないが、もしかしたらこれは運命かも知れない──


 そんな大袈裟な。とみゆき自身も思うが、食べたくて仕方が無くなってしまったのだから仕方が無い。


「私、これにする!」


 みゆきが前のめりで指さした期間限定メニュー、アボカドとスモークサーモンのクリームチーズ和え・16穀米プレート。


 夢ちゃんもメニューを決めたので、店員さんを呼んでオーダする。「少々お待ちくださいませ」と店員さんが去り、品が運ばれるまで、みゆきはついそわそわしてしまう。そんなみゆきを見て夢ちゃんはおかしそうに笑った。


「そんなに楽しみなの?」

「うん。アボカドって初めてなんだもん」


 やがて夢ちゃんの前には茸たっぷりのビーフストロガノフが、みゆきの前にはお目当てのプレートが運ばれた。1枚の大きなプレートの、手前にもっちりと炊かれた16穀米が盛られ、その上には半熟に焼かれた目玉焼きが乗せられていた。その左奥のシャキッとしたロメインレタスとマッシュルームのサラダには、フレンチドレッシングが掛かっている。そして右奥のココット型の中で、お目当てのアボカドが燦然と輝いていた。角切りにされた熟したアボカドと適当にカットされたスモークサーモンが、滑らかなクリームチーズで和えられている。上に振られている黒い粒々は黒の粒胡椒か。


 みゆきの期待値はマックスだ。さぁ! アボカドはみゆきの期待に応えてくれるのだろうか! みゆきの頭の中でドラムロールが流れた。ダラララララ……タンッ!


 いそいそとフォークを手にする。みゆきはさっそくクリームチーズを纏ったアボカドを掬い上げる。それを口に運び、そして──




 その帰り道、みゆきはスーパーに駆け込み、買い物カゴを取るのももどかしく、一目散に野菜コーナーに向かった。


「この辺りだと、たいがいのスーパーにあると思うよ。果物だと思うけど、野菜のとこに置いてあるお店が多いと思う。卵みたいな形で、大きさは拳よりも大きいかなぁ、で、皮が濃い緑色で、熟すと黒くなるの」


 夢ちゃんがそう教えてくれたので、みゆきは野菜棚をくまなく探す。


「……あ、これかな?」


 見慣れたきゅうりやブロッコリーなどが置かれているその近くに、夢ちゃんが教えてくれた特徴のものが置かれていた。値札を見ると、確かにそれがアボカドの様だった。


「これだぁ」


 夢ちゃんの教えはまだあった。


「なるべく皮が黒いやつね。親指で押さえて柔らかいやつを選ぶといいよ。それだったらすぐに食べられると思うから。熟して無いアボカドは固いし青っぽいしで、あんまり美味しくないかなぁ」


 みゆきはアボカド2個を両手に持ち、親指で軽く押さえてみる。皮は黒っぽくなっているが、明らかに固い。これはまだ若いので棚に戻す。また別のアボカドを手にして、押さえて……を繰り返し、厳選に厳選を重ね、みゆきは2個のアボカドをカゴに入れた。これだけあれば充分だろう。


 みゆきは野菜コーナーをもう少し見て、次は調味料コーナーに向かい、次にパスタコーナー、そして缶詰コーナー、最後に乳製品コーナーへ。そして幸いあまり混雑していなかったレジで精算してもらい、スキップでもしそうな足取りで家路に着いた。


 晩ご飯はたっぷりアボカド!だからね!


 と言うものの、まともに包丁を持った事の無いみゆきに作れるものなどたかが知れている。しかしそんなみゆきにも作れそうなレシピを、夢ちゃんが数種教えてくれた。夢ちゃんのお家は母子家庭で、お母さんの代わりにご飯を作る事も多いのだそうだ。凄い。




 さあ、晩ご飯を作ろう! みゆきは冷蔵庫から材料を全部出して、気合いを入れた。


 まずアボカドを切ろう。夢ちゃんに教えてもらった通りに包丁を入れる。夢ちゃんはそんなに難しく無いと言っていたが、もしかしたら料理初心者には高度なのでは無いだろうか。包丁怖いと思いながらもどうにか種を取り、しかし皮が手でするっと剥けた時にはちょっと感動した。そうしてまな板の上には、見事角切りのアボカドの山が出来上がった。


 ……ちょっとぐらい、いいかな? みゆきはてっぺんのひとつを摘むと、ぽいと口に放り込んだ。ねっとりとした食感。とてもクリーミィだ。ランチでいただいたのはクリームチーズやスモークサーモンと一緒だったので、純粋にアボカドだけを食べたのはこれが初めてだった。思った以上に濃厚だ。そしてやはり美味しい。みゆきの頬がすっかりと緩む。完成が楽しみだ。今日は2品作る予定だ。


 みゆきは傍らに置いた夢ちゃん手書きのレシピを見ながら、たどたどしくも順調に調理を進めて行き──


「出来た!」


 みゆきは歓喜の声を上げる。夢っちゃんはみゆきにも作れる様に、夢ちゃん曰く簡単なものをピックアップしてくれた。それでもこんなに包丁を使った事は初めてだ。


 早速テーブルに運ぶ。火傷をしてしまわない様に慎重に。ひとり暮らしなのでダイニングなんて上等なものでは無く、リビングも兼ねている。


 ドリンクに冷蔵庫から麦茶を出して、みゆきは手を合わせた。


「いただきます!」


 まずは前菜という名の1品目、アボカドとわさび醤油のタルタルだ。アボカドをわさび醤油でいただくというのは定番らしく、多くの人が好む食べ方らしい。スプーンで掬い、口に運ぶ。


「やだ、本当だ、美味しい!」


 さっき何も付けずに食べたアボカドは濃厚だった。それをピリッとしたわさび醤油が中和して、だがクリーミィさはしっかりと残っている。もっと食べたい! とどんどん手が動く。スプーンで掬っては口に放り込み、タルタルはあっと言う間に無くなってしまった。


 さてメインだ。肉類の代わりにアボカドを使ったグラタンである。タマネギは切らなければならなかったが、ホワイトソースは缶詰を使い、マカロニはグラタン用に下茹で不要の商品が出ているので、それを使うお手軽レシピ──重ねて言うが夢ちゃん曰く──だ。さすがだよ夢ちゃん! 私にも作れたよ!


 後は味だね! 熱々のグラタンから漂って来る甘くも芳しい香り。程良く付いた焦げ目がまた食欲をそそる。みゆきは早速スプーンを入れる。チーズがとろりと糸を引き、アボカドと絡まっている。みゆきはごくりと喉を鳴らした。


 ふぅふぅと冷まし、待ちに待った口へイン。熱い! 冷ましたのに! さすがグラタンは強敵! はふはふと口を動かして少しでも熱さを逃そうとする。しかししっかりと味わう事は忘れない。チーズとホワイトソースとアボカドのマッチング、素晴らしい! みゆきの顔は緩みっぱなしだ。早く次を食べたいのに、熱いので叶わずもどかしい。そわそわしながらふぅふぅ冷ます。


 熱さとの格闘は続く。やがて適温になったらリズム良く次々と口に運び、冷めてしまっても美味しさは損なわれず、やがてグラタン皿は綺麗に空になった。


「は〜……すんごい美味しかったぁ〜……ごちそーさまぁ〜」


 満腹になったみゆきは、その場にごろりと転がった。ああ〜幸せ〜……


 夢ちゃんに教えてもらったアボカドレシピはまだある。どれも簡単に、それこそグラタンよりも手軽に作れそうなものも多い。少しの手間でこんなに美味しいものが食べられるのなら、少しは自炊をしてみようかな、と心に決める。また夢ちゃんにご教授願うとしよう。


 アボカドはみゆきに大きな幸福感と、ほんの少しの胸焼けを与えた。

ありがとうございました!

ご飯描写を少しでも美味しそうだと思っていただけたら幸いです。

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