かささぎの道
川の水は少し濁っていたけれど
まだ美しく輝いている
笠置の川沿いの道を行くと
木蔭の思いがけない暗さ
一瞬の暗転と目映い日差しの繰り返す
わたしの脳裏に描かれる焼け跡
荒れ果てた地に雲が行く
岩山は照らされ隠されて
その色を刻々と変える
かつての人たちはこの街道を駆けたか
やむおえない事情に追われて
初夏の景色など 味わう暇もなく
燕の形は変わっていると 子どもが言う
肥った燕は一羽もいないのは
渡り鳥の過酷に 鍛え抜かれているからと
どうどうと滝が落ちている
途切れることなく 連続して
川の水は少し濁っていたけれど
まだ美しく輝いていた
*
今日、京都府相楽郡笠置町にある温泉施設へ行きました。帰り道、そこから奈良市に抜ける川沿いの街道を自動車で走った折の感慨を詩にしました。
今はのんびりとしてひっっそりと穏やかな温泉と川遊びと観光の町ですが、過去に思いを寄せる時、川の流れにもなにやら物を思ってしまうのです。
この地にある笠置寺は、奈良時代から続く古刹ですが、1331年8月南朝の後醍醐天皇が入山。9月29日までの約1ヶ月の間、鎌倉幕府軍との戦乱の舞台となりました。(笠置町HPより)楠正成らも籠って奮戦しましたが、力及ばずに、全山は消失(現在は新たに建てられています)、後醍醐天皇は近辺で囚われました。
燕はすいすいと空を泳ぐように飛びます。それも厳しい渡り鳥の暮らしに鍛えられた故なのです。生きることの厳しさ、生きていることの幸せをつかの間感じたのです。
川の濁りは、真っ直ぐにいかない生きることの濁りのようです。それでもこの季節、輝く水として流れて行きます。
題の「かささぎの道」は、わたしが勝手に名付けた名です。実際の名ではありません。
お読み頂いてありがとうございます。