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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第五章 記憶の鉤爪
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九  『《鬼切国成》』

 日が暮れる。山へと沈む見慣れた太陽が、今日は海へと沈んでいく。


 結希ゆうきは息を止め、その光景を目に焼きつけた。

 茜色は陽陰おういん町で見ていたそれよりも柔らかく、静かに辺りを照らしている。青々としていた海は空に惹かれて黒々く変色し、夕日から発せられる一筋の光だけが輝いている。


 空の彼方は藍色で、離島に夜の訪れを告げていた。藍色──それを見て慌ててスマホを取り出し、色を見て思い出した明日菜あすなの為にカメラ機能を起動させる。

 写真を撮るのは不得手だが、町内の世界しか知らない彼女との約束を守る為に結希はシャッターを切った。


「結希、満足ですか?」


「あぁ」


 振り返ると、水着の上にパーカーを羽織ったるいがいた。涙は頷き、人差し指を立てて言う。


「一応忠告です。夜は次第に冷えるので、暖を取ることを推奨です」


「上は着てるし寒くない」


 一々子供扱いをしているような気がする涙を冷たくあしらい、結希は歩を進めた。その先の防波堤で待っているのは、同じく水着の上にパーカーを羽織った六人の姉妹たちだった。

 海水浴で来ていた客は、もう結希たちしかいない。結希はずっとパーカーのポケットの中に入れていた紙切れを取り出し、息をするように式神しきがみの名を呼んだ。


「──馳せ参じたまえ、スザク」


 光を帯びて顕現したスザクは、傍らに別の陰を数人連れている。


「お待たせいたしました、結希様!」


 結希は頷き、スザクと協力者の存在を視認した。


 一番に目を引いた穢れなき菜の花色の瞳。水の神のように神々しい、細流のように流れている露草色の長髪。神主のように清らかな青年姿のセイリュウは、八百万の神に愛されたかのような笑みを浮かべて会釈する。


「本日はよろしくお願いいたします、結希様」


 実母の式神のセイリュウは、母なる海のようだった。


「チッ、この俺がわざわざ辺鄙な離島まで来てやったんだ。もっと感謝しろよオラ」


 対して乱暴に足を踏み鳴らす青年は、いつものことだが機嫌が悪そうに青筋を立てていた。

 闇よりも深い黒髪を潮風に靡かせて、くすんでいるが凍てついた灰色の眼球で結希を貫いている。それは獲物を舐め回す蛇そのもので、ゲンブは蛇のような刺青が刻まれた左腕を掻いた。


「ん? 何言ってるのゲンブ。俺たちが主の命に従うのは当然でしょ?」


 余計なことを言いゲンブに思い切り殴られたビャッコは、頭を抱えて数歩下がる。

 痛そうに下げるまろ眉も、泣きそうに揺れる紫と金のオッドアイも、まるで仔犬のようだ。銀色の短髪は白犬の毛並みのようで、無垢な少年の姿をしたビャッコは子供のように不貞腐れている。


「三人とも、今日はよろしくな」


 結希は慣れ親しんだ親族の式神を前にして微笑み、僅かに緊張を解いた。


「勿論でございます。早速ですが、結希様は現在瘴気を感じますでしょうか?」


 セイリュウの問いかけに応じて瞑目し、結希は妖怪の瘴気を探る。

 離島の面積は陽陰町と大差なく、この時間帯になると必ず蔓延る妖怪の瘴気は──


「感じる」


 ──微かだが、ないとは言い切れなかった。


「や、やはり、こんなところにもいらっしゃるのですね……! なんだかゾッといたします……!」


「ハッ、いいじゃねぇか。さっさとクズどもの面を拝みに行こうぜ」


「あっ、ゲンブ! 俺も行くから先に行かないでよ!」


 ガキ大将のように突き進むゲンブと腰巾着のようなビャッコの肩を思い切り掴み、セイリュウは呆れたようにため息をつく。そして、遠巻きに自分たちを見ている六人の姉妹を一瞥した。


「……主戦力、ではありませんね」


 そして、結希にだけ聞こえるように囁いた。


「故意じゃないけどな」


 結希は首肯し、飽きてきたのか談笑を始める彼女たちを眺める。


 鈴歌れいか朱亜しゅあ、そして心春こはるは、覚醒したとはいえ援護に特化した半妖はんようであることに変わりはない。

 月夜つきよ幸茶羽ささはに至っては、能力を開花させることさえまだできていないのだ。


 涙は式神を持たない陰陽師おんみょうじで、結希自身もスザクがいなければたいした実力は発揮できない。

 歴戦の猛者であるセイリュウとゲンブ、ビャッコでさえ所詮は式神なのだ。


「ところでセイリュウ、頼んでいたものは?」


 尋ねると、セイリュウは満足気に頷く。


「こちらに」


 そしてたいして大きくもない音量で手を叩き、自らの両手に長方形の包みを顕現させた。

 風呂敷に包まれているそれをセイリュウは丁寧に解き、鞘に収められている日本刀を顕にさせる。それを慈しみながら眺め、セイリュウは微笑した。


「こちらは間宮まみや家の家宝として長らく我らの納屋に眠っていた唯一の刀剣であり、町内でわずか数振りしかない名刀の一振りでございます」


 そう語るセイリュウは、誇りに満ちた表情をしていた。が、結希はその誇りの意味がわからず──


「……は? いや待てセイリュウ、俺が頼んだのは木刀であって真剣じゃな……」


「何バカみてぇなこと言ってんだよてめぇは。今日は訓練じゃなくて実戦だ。使うなら実用性のあるモンにするのがジョーシキだろ?」


 ──慌てふためき、自分の肩にのしかかって鼻で笑うゲンブを見上げた。ビャッコとスザクは腕を組んで頷き、日本刀を捧げるセイリュウの傍らに立つ。


「そうそう。真剣じゃないと妖怪は切れないんだよ?」


「それに、私たちはただ結希様の思いに応えただけでございます。ね? セイリュウ」


「えぇ。和夏わかな様と共に戦いたい──それが、貴方様の意思ですよね?」


 唾を飲み込み、結希はセイリュウへと視線を移した。


 此度の戦で主戦力となるのは、和夏だ。他のメンバーが援護に特化しているせいで、和夏しか表立って戦えないのだ。


『和夏さんだけじゃ不安だ。だから、当日は木刀を持ってきてくれ』


 結希は、それを危惧していた。

 セイリュウは一つ頷き、捧げていた日本刀を前に差し出す。そして、邪気を祓うかのような澄んだ声でこう告げた。



「太刀、銘八条はちじょう──名物、《鬼切国成おにきりくになり》」



 漆黒の瞳と菜の花の瞳が交差する。


「この刀剣は今から約千年前、八条国成くになりによって打たれ、陰陽師による妖怪駆逐計画の際に使用された太刀でございます。百鬼を切り殺し、長い長い戦乱を生き抜いた妖刀です」


 セイリュウの説明は右から左へと流れ、《鬼切国成》自身の記憶だけが脳裏に強く焼きつけられた。


 早く手を差し出せ──何かが頭を殴るように告げている。


 酷い頭痛がした。そして何故か、脳裏に美しい桜の花弁が舞っている。

 結希は桜吹雪の中にいる〝何か〟へと手を伸ばし、微笑むセイリュウから《鬼切国成》を受け取った。


「重っ……?!」


 《鬼切国成》は、アリアが所持していた《如月きさらぎ》よりも重い。

 それは、日本刀の重さなのか──それとも、抱えていた歴史の重さなのか。


「太刀ですからね。普段私とゲンブが使用している刀も太刀ですが、《鬼切国成》は格が違います」


「格が違うって……そんなものを急に渡されても困る!」


「平気です。《鬼切国成》は、結希の先祖が何代にも渡って使用していた刀剣です。数多の伝説をこの世に残し、別名まで無数に存在する名刀中の名刀です。《鬼切国成》自身の記憶と、結希自身の血の記憶があれば怖いものなしです」


 顔を上げると、涙が無表情のまま保証していた。


結城ゆうき家にも家宝の名刀が存在ですが、八条国成作の最高傑作は《鬼切国成》だと伝聞です」


「いやいや、最高傑作なら結城家が持つべきだろ!」


 あまりにも恐れ多くて涙に差し出すが、涙は片手でそれを拒んで言葉を続ける。


「千年前の結城家は、名家ではないです。そもそも、その千年前に結城家と間宮家の間で刀剣の交換を実行したとの記録が存在です。結城家所有の刀剣は元々間宮家のものでしたが、あの刀剣は間宮家を永久に呪います。間宮の一族が所有するのは危険です」


「そういえば、そんなことをあの老害が言ってたな」


「えぇ。私も六百年くらい前に彼から聞いています」


 ビャッコとスザクだけは身に覚えがないのか顔を見合わせているが、誰から聞いたのかはわかるのだろう。頷き合ってセイリュウを見上げる。



「太刀、銘八条──名物、《紅椿あかつばき》。同じく千年前、八条国成が鬼と共に打ったとされる妖刀ですね」



「肯定です。八条国成作の刀剣は、ほとんどが妖刀だという認識で結構です」


 結希は息を止め、〝何か〟に気圧されるように数歩下がって俯いた。

 ざわりとした感触の〝何か〟が、結希の──そう、結希の体を突き破り、その奥に潜んでいる心臓を鷲掴んでいる。


 息をする暇もないままいとも容易く握り締められた。とめどなく溢れ出す自分自身の鮮血が辺りに飛び散る。

 それを目一杯全身に浴びて、〝何か〟はケラケラと笑っていた。〝何か〟は実体を持たないが、甲高い笑い声が黄昏時の海辺に響いていた。


 ──呪われている。


 これを呪いと呼ばずになんと呼ぼう。

 千年前経った今でも呪われている間宮家は、千年前に何をしでかしたのか。裏切り者と呼ばれ、迫害されるだけではまだ呪い足りないのだろうか。


 結希は溢れてくる涙を止められなかった。

 自分ではない別の誰かが泣いているように、自分ではどうすることもできなかった。ただただ悲しくて、寂しくて、愛おしくて──すべてを綯い交ぜて、心臓から赤黒い血を垂れ流す。


 ごめんと、誰かに赦しを乞えたらどんなに楽だっただろう。


 そんなことさえ、本来謝る相手さえ、千年経った今は──。


『ミロ、《オニキリクニナリ》ダ』


『チガウ、アレハ《テンクウ》ダ。ソラヲキッタ』


『アメモキッタ、ヒトモキッタ』


『《アメキリクニナリ》、《ヒトキリクニナリ》、ホカニモタクサン』


『キッタキッタ、バンブツヲキッタ』


『キレナイモノハナニモナイ』


 感覚が断絶されかけた刹那、霞む視界の奥で蠢くものがあった。

 いつもの幻覚か──そう思ったが、全員にも見えているようで空気が変わる。


 四人の式神は日本刀を構え、涙は札を構えて待機している。突如隣に現れたのは、半妖姿の和夏だった。


「あ、あれは一体なんなんのでございますか?!」


牛鬼うしおにです。海によく出没する妖怪なので、陽陰町では滅多に見ません」


 涙を拭うと、鮮明に相手の姿がよく見える。

 海の中から出していたのは牛の首で、蠢くように這い出てきた胴体は蜘蛛そのものだった。


『ミツカッタ、ミツカッタ』


『ミツカッタヨ』


『ミツカッタネ』


『ナゼミエル? オレタチハヨウカイナノニ』


『フシギダ、フシギダ、オモシロイ』


 その場を旋回し、牛鬼は笑っている。言葉を交わし、何度も何度もその場を回っている。


『ニゲロニゲロ、《オニキリクニナリ》ガオコリダス』


『ニゲロニゲロ、ソラガキレル』


『ウミモキレル、ダイチモキレル』


『セカイガワレル』


『ソレハオソロシイ』


『ソウダ、アレハオソロシイ。ナゼココニ《オニキリクニナリ》ガ?』


 その声色はどこか楽しそうで、結希が眉間に皺を寄せた刹那──


「オラァッ!」


 ──戦闘狂のゲンブの一太刀が、牛鬼の胴体を切断した。


『ナンダナンダ』


『ナニガアッタ』


『コロサレタ』


『ダレガ?』


『ダレニ?』


『ヨウカイニ』


 蜘蛛の足を素早く動かし、旋回していた牛鬼が海へと逃走する。自らの命を守るように、海へ、海へ、海へ──。


「『停止せよ』!」


 が、心春の強力な言霊ことだまにより動きを止めた。鈴歌の白き一反木綿は先端を海の中に放り投げ、数多の牛鬼を引きずり出す。

 ゲンブ、ビャッコ、セイリュウ、スザク──そして、朱亜の持つ刀の刃が砂浜に上がった牛鬼を切り刻み──


「──ッ!」


 ──和夏が長き鉤爪を奮って、すべての牛鬼の生命を削った。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」


 最後に涙の切った九字くじが牛鬼を殲滅し、辺りに静寂が訪れる。誰もが周囲を警戒し、陰陽師の涙の合図で安堵した。


「周辺には皆無です。が、市内には存在です」


「では、次はそちらに行きましょうか」


「じゃが、さすがに水着で市内は不味いじゃろ。一度宿に戻って着替えた方が良い」


「…………賛成」


 セイリュウは頷き、宿へと戻る方向で話を進める大人三人の会話を黙って聞く。


「宿に行くの? 今から? やったぁ〜!」


「……宿に行ったら、姉さんの服が洗える」


 心を弾ませる二人に心春も同調し、スザクとビャッコも瞳を輝かせて笑っている。

 ゲンブは興味がないのか和夏が作った砂山をつまらなそうに踏み潰し、潰されているにも関わらず何も言わない和夏は振り向いた。


 《鬼切国成》を受け取ったままの体勢で距離を置いていた結希を見、和夏は砂を踏みしめて近づいてくる。


「ユウ」


 そして呼び、立ち止まった。


「どうしたの? さっきからずっとボーッとしてるよ?」


 じっと、緑色の無垢な猫目が自分を見つめてくる。

 今目の前にいる和夏は、いつもの和夏だ。思想も動作も、結希が記憶している彼女のまま。


「……これ、めちゃくちゃ重いんですよ」


 なんでもないとはぐらかすことは経験上できない。だから結希は、思ったことをそのまま言ってこの場を凌いだ。


「へぇ〜。持ってもいい?」


「どうぞどうぞ」


 誤魔化しが効かない和夏は《鬼切国成》を両腕に抱いて、驚いたように何度も何度も上下に動かす。


「重いですよね?」


 半妖だから結希ほどではないと思うが、和夏は頷いた。


「ほんとに重〜い。よく持てたね? ユウ」


「もしかしてバカにしてます?」


「えっ、してないよ〜!」


 慌てて弁解する和夏を笑い、いつの間にか止まっていたあの呪いはなんだったのかと思案する。だが、あの感情の正体だけは皆目見当もつかなかった。


「ねぇユウ。この刀の名前、《鬼切国成》だっけ?」


「えぇ、そうですけど」


「へぇ〜。なんだか、椿つばきちゃんの匂いがするね」


「椿ちゃん? そんな匂いしますか?」


 くんかくんかと鞘の匂いを嗅ぎ、和夏は不思議そうに首を傾げる。

 猫又の半妖だが犬のような性格の彼女は、やがて鼻を摘んで結希に返した。


「和夏さん? 何してるんですか」


「なんか急に血の匂いがした〜!」


「血?」


 先ほどの牛鬼は、この刀が空を、雨を、人を──万物を切ったと言っていた。

 そんな匂いがするのは必然だ。そう思えるほどに、この刀には血と罪がこべりついている。


 それを千年も振るっていたのが、自分を産んだ間宮家だった。

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