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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第五章 記憶の鉤爪
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七  『別世界』

 明けた翌日は晴天で、車を降り、汗ばむ体を走らせながら陽陰おういん町の駅前へと辿り着く。直結しているデパートには荷物持ちとしてしょっちゅう行っているが、改札前に来たのは今日が初めてだった。


「こんな紙切れで入れるのか?! 本当に?!」


 結希ゆうきるいに手渡された小さな紙切れを摘み、どんな仕掛けがあるのかと凝視する。前方に構える自動改札機にはどこにも隙がなく、誰かが改札を通ってもにわかには信じ難い。


「平気です、結希。切符をこの中に……」


「どうやって入れるんだよ! こんな細い入り口にどうやって?! えっ、入った?! なんで?!」


 消えた切符に戦き、真っ白になる頭。

 仕組みがまったくわからずに怯えるが、背中を押す涙のせいで前にしか進めない。


「ちょっ、待っ……! 涙っ!」


「俊敏さを要求です、結希。いざ出陣です」


「だから……あっ」


 目の前で閉まったフラップドアに阻まれ、その場に立ち止まった結希は呆然と振り向く。背後には呆れたような、絶望したような──なんとも言えない表情をした涙が憐れむように立ち竦んでいた。


「ユウ〜、ふぁいと〜!」


「おっ、お兄ちゃんなら絶対大丈夫だよ! ほら、ぼくも通れたから! ねっ?」


 既に改札を通った和夏わかな心春こはるの声援が、余計に真新しい傷口に染みる。

 なんとも言えない羞恥心を抱えて視線を伏せると──


「平気です、結希。切符に非があります。駅員に確認するので逆戻です」


 ──懸命に励まし指示を出す涙の声が聞こえてきた。

 結希は大人しく改札前に戻り、切符を持って駅員の元へと向かう涙の背中を眺める。涙は公務で何度もこの駅を使用している玄人だ。不慣れな結希とは何もかもが違い、慣れた手つきで切符を見せている。


「結希と涙先輩は一体何をしておるのじゃ?」


「…………さぁ?」


 同じく先に改札を通っていた鈴歌れいか朱亜しゅあは、食べ終わったお菓子の袋を捨てようとする月夜つきよ幸茶羽ささはの手を容赦なく繋いだ。


「これ、ここから先は町外じゃ。勝手な行動は許さぬぞ」


「…………GPSがあっても、絶対に安心しないで」


 二人の言葉に結希は我に返り、肩に力を入れ──


「待機感謝です、結希。これで平気です」


 ──戻ってきた涙の薄花色の瞳を見つめ返した。


「……本当に大丈夫なのか?」


「安心です」


「本当に?」


「疑心暗鬼ですか?」


 結希は言葉を詰まらせ、大人しく涙から切符を受け取る。

 先程と同じく中に入れ、吸い込まれるように消えた紙切れは遠くの出口から頭を出し──結希は今度こそ、難なく改札を通れることができた。


「ユウ、こっちだよ〜」


 感情が高揚しているのか、頬を朱色に染める和夏が手を引く。ぎこちなく歩く結希のその後には、あっさりと改札口を通った涙が続いた。


「お兄ちゃん、涙さん、お疲れ様」


 心春によって迎えられ、朱亜によって点呼を取られる。

 今日から二泊三日で離島へと旅行する一行は、ここにいる八人で全員だった。


 いないのは仕事がある麻露ましろ依檻いおり歌七星かなせ熾夏しいかに、町の外に出れない真璃絵まりえ亜紅里あぐり。そして受験に追われている愛果あいかと、部活に追われている椿つばきだ。


 要するに夏休み真っ只中の暇人しか参加しないこの旅行は、主に年少組で固められていた。年少組でないのはバイトを休んだ鈴歌と小説家の朱亜、そして半妖はんようを引率する陰陽師おんみょうじの涙だった。


「全員揃っておるな。では、行くとするかのぅ」


「わ〜い! 朱亜姉しゅあねぇ、どっち?! どっち?!」


「姉さん! 落ち着いて、はぐれたらささたち死んじゃう! 死んじゃうからぁ……!」


 いつになくはしゃぐ月夜に、ありえないほど弱気になって涙目になる幸茶羽がしがみつく。月夜は動きを封じる幸茶羽を引きずり、繋がれた朱亜の手を振り回して電光掲示板を見上げた。


「んん〜? どっちじゃろうなぁ」


「…………わからない」


「右です、朱亜。都会に出て、新幹線に乗り、フェリーに乗り換えて到着です」


 最年長で一番町外を見てきた涙は先行し、改札を出て右側の階段をなんの躊躇いもなく上がっていく。

 いつの間にか団子状態となった双子と三つ子の二人は涙に続き、結希は心春と視線を合わせて繋いだままの和夏の手を引っ張った。


「和夏さん、お願いですから絶対にはぐれないでくださいね」


「わかねぇ、お願いだから困ったことがあったらすぐに言ってね」


 和夏は真顔のまま忠告をする二人を交互に見、首を傾げて可笑しそうに笑う。


「ワタシは大丈夫だよ〜。ユウもハルちゃんも本当に心配性だなぁ」


 ほわほわとした雰囲気を醸し出して頭に花を咲かす、締まりのない顔。

 結希はなんの自覚もない和夏に脱力し、今まで浮かれ気分だったが気を引き締めた。


「お兄ちゃん。つきちゃんとささちゃんはお姉ちゃんたちに任せて、わか姉から目を離さないように頑張ろうね」


「あぁ。……心春も気をつけろよ」


 急に自分に向けられた忠告に驚いたのか、心春は一瞬だけ固まって。やがて赤面し、俯きながらこくこくと頷いた。


 心春の男性恐怖症は、結希によってかなり緩和されたとはいえ完治にまでは至っていない。


 家でも学校でも女だらけの世界で生きている心春が心の底から怖くないと言えるのは、結希くらいなのだ。

 階段を上がりながらすれ違う男性に反応し、その度に落ち込む心春は柔かな唇を噛み締める。そんな心春の頭を撫でて励ますのは、いつだって和夏だった。


「大丈夫大丈夫〜。ハルちゃんには絶対、ワタシとユウがついてるからね」


「……ッ! うんっ、わか姉にはぼくとお兄ちゃんが絶対ついてるからね!」


 世話のかかる姉妹の笑顔に階上で思わず微笑した結希は、慌てて前を向いてホームに足をつける。

 顔を上げると風が吹き、知らない匂いが鼻をついて去っていく。全身を撫でる知らない土地の空気はホームに停車した鉄の塊から発せられており、結希は息を呑んでそれを見上げた。


 ──電車だ。


 今まで資料でさえ見たことのなかったそれは、車よりも──かつての半妖姿の鈴歌よりも大きい。

 何者にも気圧されずに存在している様は神のようで、結希は言葉を失った。


「結希、何をしているのじゃ? 早く乗らないと発車時刻になってしまうぞい?」


 我に返って視線を下げると、自分たち以外は既に乗り込んでいた。

 無音に思えた世界は呆気なく喧騒に包まれ、結希は慌てて足を動かす。心春は結希の後ろに張りつき、和夏は結希の手に引かれ、高すぎる敷居の前に立った。


「結希、ここまで来て電車に乗れないと騒ぐのは禁止です」


「もう騒がないしこれくらい乗れるから。子供扱いするなよ」


 ホームと電車との間には、大きな隙間が空いている。

 それを恐る恐る跨ぎ、恐れのない和夏に手を引かれて結希は別世界へと足を踏み入れた。


「うわっ」


「きゃっ」


 初めて電車に乗った結希と心春は、おっかなびっくりと歩を進める。塞がらない口の中はからからに乾き、水を渇望している。

 どうしても落ち着かずに振り返ると、ホームの奥の方に広がっていた陽陰町の景色が、思いがけずに一望できた。名残惜しむようにドアの外を眺めていると、誰かの手が結希の頭部に触れる。


「うわっ?!」


「い〜こ、い〜こ」


 先ほど心春にしていたように、和夏は自分よりも背が高い結希の頭を撫で回していた。何が楽しいのか締まらない顔で笑い、安心させるようにそこにいる。


「お兄ちゃん、こっち! こっちに座って!」


 視線を向けると、四人掛けのボックス席に座っていた月夜が目の前の座席を叩いていた。隣には当然のように幸茶羽がいて、吹っ切れたのか虚勢を張っているのか偉そうにふんぞり返っている。


「…………四四で分かれるから、ツキヨとササハをよろしく」


 面倒事を押しつけて親指を立てた鈴歌は、通路を挟んだボックス席に腰をかけ──トランプを広げる朱亜と涙の輪に加わった。


「じゃあ、ぼくはおに……」


「…………コハルはこっち」


「えっ?」


「…………コハルはこっち」


 幸茶羽の目の前に座ろうとした心春の腕を引っ張って、あろうことか涙の隣に座らせた鈴歌はにやっと笑う。

 一瞬で表情筋を強ばらせた涙は視線で鈴歌に慈悲を乞い、一瞬で顔を青ざめさせた心春は涙を見れずに固まった。


「……酷いことを」


「……慈悲もない」


 朱亜や幸茶羽でさえ引くような悪魔の所業を行った鈴歌は、紛れもなくあの麻露の妹だ。

 結希は涙に向かって合掌し、心春に向かって親指を立てる。心春は涙目になりながら結希に視線で訴えかけ──


「…………いいの? 今ここでルイ先輩を克服しないと、旅行中は外出歩けなくなるよ」


 ──いつになく饒舌な鈴歌に論破された。


「わ、わかった。ぼく頑張るよ!」


「待機を要求です。俺はまだ死にたくないです。命の保証を願います」


 拳を握り締める心春の隣で全力で首を振る涙は、聞く耳を持たない姉妹の説得を諦めて結希を見やる。


「涙、これは百妖ひゃくおう家長男の宿命だ。黙って受け入れた方が楽になれるから」


 が、結希は涙の救援信号を無慈悲に切った。


「俺は結城ゆうき家の長男です。百妖家の人間であることを否定……」


「えっ、否定するんですか? じゃああんたが俺の部屋に勝手に置いた私物を今すぐ捨てさせますね」


 スマホを見せびらかし、敬語で他人だという意思表示をすると涙まで涙目になりながら項垂れる。


「残酷です。冷淡です。悲劇的です」


「そこまで拒否されるとぼくも辛いんですけど?!」


 そして諦め、抵抗を止めた。


「結希。涙先輩を虐めるのは構わんが、お主も人のことを言えんと思うぞい?」


「言わないでください朱亜姉わかってますから」


 結希は真後ろで待機している百妖家の問題児に顔を向けることができず、立ったまま瞑目する。


「ユウ、そのまま立ってたら危ないよ?」


 気配もなく肩に手を置かれ、流れるように座席に着いた刹那──目の前の月夜が持っていたオレンジジュースを零した。


「月夜ちゃん!!!!」


「きゃ〜っ、冷た〜い!」


 こっちは必死になって鞄の中からティッシュを漁っているというのに、零した当の本人はけらけらと笑っている。


「姉さん、服が……! ッ、ささのを着て! 姉さんなら黒いワンピースでもきっと似合うから!」


「幸茶羽ちゃん脱がないで! 小学生でもわいせつ罪で逮捕されるから!」


「大丈夫だよ〜、少年法があるから」


「問題はそこじゃないです! こんなどうでもいいところで法学部の知識を発揮しないでください!」


 ようやくティッシュを取り出した結希は月夜の白いワンピースにあてがい、哄笑する朱亜を恨めしげに睨みつける。まだ出発前だというのに、この疲労感はなんなのだろう。


 浮かせていた腰をようやく座席につけると、ずっと開いていたドアが閉まる。思わず視線を外に向けると──ゆっくりと、電車が動き出した。


「わっ、動いた! お兄ちゃん動いたよ!」


「そんなことより服! 姉さんの服がっ!」


 変わりゆく景色の速度は車とたいして変わらない。だが、これから先で見るものは、決して車中では見られないものだ。


 山々に全方向を囲まれた陽陰町と外部を繋ぐ交通手段は、電車しかない。

 動き出した電車はすぐさま掘られたトンネルの中へと入り、世界を黒く塗り潰した。


 夜目が利く結希にとって、暗闇は特別なものではない。それでも、明けた先にあるものは──


「──ッ!」


 ──果てしなく続く空と、遥か遠くまで続く道だった。


 光り輝く景色に際限はなく、山々に囲まれた陽陰町の狭さを痛感する。田畑と僅かな民家が点在するこの世界は、陽陰町にはあってないものだ。

 馴染みのある山でさえ遥か遠く、どこまでも世界は続いている。


 国境と呼ぶに相応しい巨大な結界を抜け、トンネルを抜け、結希は真の別世界をその目に焼きつけた。

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