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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第五章 記憶の鉤爪
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五  『何も知らない』

 バイトが残っている鈴歌れいかを置いて《猫の家》を後にすると、濃艷な茜色が天上に広がっていた。真夏の日没は早く、必然的に妖怪の出没時間も早くなる。結希ゆうきは黄昏時の森の中を注意深く観察しながら、今日も今日とて妖怪退治に奔走していた。

 蒸し暑い気候のせいで汗ばんだ体はシャツを透けさせる。気持ち悪い、そんな中でも戦い続け、結希は枝の上を飄々と駆け巡る猫又ねこまたに向かって声を張り上げた。


和夏わかなさん! 縊鬼いつきが一匹そっちに行きました!」


 猫又の半妖はんよう姿の和夏は、裾が短い緑色の着物を翻して一つ頷いた。目にも留まらぬ速さで姿を消し、傷ついたまま地べたを這いずり回る縊鬼の背後に回る。

 研ぎ澄まされた鉤爪を猫の舌で舐め、猫目を細め。空を切る音を聞いたのは、一瞬だった。


 結希が息をする暇もなく縊鬼は鉤爪で切り裂かれ、残されたその身が宙へと投げ出される。醜悪なその顔が憎悪に満ちる様を視認しながら、結希は右手を縊鬼へと差し出し──


『コロ、シテ、ヤル……!』


 ──憎しみしかない嗄れた声を聞いた。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」


 容赦なく九字くじを切り、結希は自らの首に触れる。

 人に取り憑いて首を括らせる縊鬼の断末魔が森の中に響き渡り、その余韻に浸る暇もないまま、もう一匹が地獄へと後を追った。振り返ると、縊鬼の生き残りが消滅した直後だった。


亜紅里あぐり!」


「──ッ!」


 着地した亜紅里は持て余すように狐火を操り、何も言わずに奥の方へと消えていく。再び響く何者かの断末魔は止む気配もなく、彼女の狂気は、味方になった今でも健在であるということに気づかざるを得なかった。

 耳にこべりついて離れないそれと、亜紅里の狂気に悪寒が走り──結希は頭を抱え、吐き気を押し殺した。


「ユウッ!」


 名前を呼ばれて視線を戻すと、全身に無数の傷をつけられた鎌鼬かまいたちが落下してくるのが見えた。


「ッ、臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」


 和夏が投げて寄越した鎌鼬を九字で切りつけ、消滅する様を眺めながら数歩下がる。ズボンのポケットから紙切れを取り出し、その脆くも最大の切り札となるそれに力を込めて──


「──馳せ参じたまえ、スザク!」


 ──自らの式神であるスザクを呼び出した。


 戦闘が始まってからようやく呼び出されたスザクは、神々しい光を放って結希の正面に顕現する。

 ピンク色のツインテールが顕現と同時に発生した風に靡き、閉じられていた緋色の瞳はゆるりと開かれる。スザクは視線をぐるりと巡らせ、すぐさま抜刀。そして結希を見やり、「大丈夫でございますか?! 結希様!」と声をかけた。


「……あぁ、亜紅里を頼む!」


「承知いたしました、結希様!」


 亜紅里はたった一人でも遠くまで行ってしまう。

 この町しか知らない結希が足踏みをするような場所でも、混乱しながら進んでいく。混乱していると悟られないように、内心で、怯えながら。進むしかないと理解して、帰れない場所まで行ってしまう。


 何故なら亜紅里は、頼り方を知らないどころか頼れる誰かさえ今までどこにもいなかったのだから。


 今だって、混乱しながらも使命を全うしようとしている。


 許してくれとは言わない。好きになってくれとも言わない。そして、罪をなかったことにしようともしない。


 亜紅里は、罪を背負ったまま手探りに妖怪を殲滅している。何が正しいのかも、わからないまま。


「ユウ、平気?!」


 亜紅里の後を追うスザクから視線を上げると、普段の穏やかさはどこへやら、半妖姿になると激情的になる和夏が木の上から飛び下りてきた。

 木々が揺れる音と共に傍へと駆け寄ってきた和夏は珍しく焦っており、一度結界を張って結希が頷くと──


「あ、あれ? もしかして大丈夫……?」


 ──混乱したように顎に手を当てて考え込んでしまった。


「どうしたんですか? 急に」


 何かがあったわけでもないのに血相を変えて駆けつけた和夏は、勢い良く顔を上げて困惑した表情を浮かべる。


「そ、それはこっちのセリフだよ! 急にユウの匂いがおかしくなって、見たら顔が真っ青なんだもん! なのになんでもうケロッとしてるの?!」


「…………」


 激情的であると同時に、野性的な勘がさらに鋭くなった和夏の慌てっぷりが妙におかしく。困ったように眉を下げる姿が年不相応に見え、結希は思わず笑みを漏らした。


「ッ?! な、なんで笑うのぉ〜?!」


「いや、すみません。つい。心配かけてすみませんでした」


 堪えながら返答するも、和夏は納得がいっていないような表情で結希を見上げる。まるで大人が子供を叱るような──そんな、なんとも言えないような感情も見え隠れしている。

 実際、和夏は三歳年上の義姉だ。今まで姉らしいことをしてもらった記憶はないが、確かに今年成人式を迎える自分の義姉なのだ。


「もうっ! 匂いは誤魔化せないんだからね? 気分が悪いならワタシにちゃんと言うこと! 今度からはそうするように!」


 そう言ってお姉ちゃんぶる和夏の気持ちは、わからなくもなかった。

 胸を張って腰に手を当てた和夏は、自分と結希を囲んでいる結界を一瞥して鼻をひくひくと動かす。そして眉間に皺を寄せ、亜紅里が暴れている場所とは逆の方向を睨んだ。


「……あっちに、凄いたくさんいる」


 結希は瞑目し、妖力を探って和夏の言葉を肯定した。


「距離は五十メートルくらいでしょうか……。プール二つ分くらいの距離は確実にありますよ」


 夏休みに入ってもまだプールの補講をしていた結希は、絶対的な自信を持って和夏に告げる。和夏は顎を引き、乱れた黄緑色のマフラーの位置を正して歩を進めた。


「行こう、ユウ」


「はい、和夏さん」


 お互いに頷き合い、結希は結界を消して先行する和夏の後を追った。

 後ろから見た和夏の二つの尾はゆらゆらと揺れ、襲撃を警戒しているのか猫耳が常にピンと張っている。普段は異常に無防備な和夏が警戒している姿は珍しく、結希は視線を外せないまま彼女が跳躍した瞬間に足を止めた。


 右側に二匹左側に三匹上空に五匹正面に二匹。

 背後を警戒しつつ動きを止めない和夏を術で援護し、鉤爪と鉤爪がぶつかり合う音で周囲の妖怪が動き出す。衝撃で弾けた和夏は猫の尾で上空からの襲撃者を叩き落とし、流れでもう一匹を掻っ捌きながら着地。


「大丈夫ですか?!」


「ワタシは平気! だけど、ちょっと多すぎるかも!」


 結希は自らに結界を張り、和夏が掻っ捌いた妖怪に九字を切った。それでもまだ弱いのか、完全消滅とはならない。結希は和夏の死角から攻撃を目論む妖怪を簡易結界で阻み続け、常に和夏が妖怪と一騎打ちになるよう仕向け続けた。


 和夏は一旦距離を置き、野狐やこの瞳を見据える。和夏の冷え冷えとした瞳は狩人のそれで、時間をかけて相手の動きを観察した。

 野狐は低く唸り、業を煮やしたのか前足を踏み出して突進。和夏は野狐を飛び越えて、背後から野狐の尾、そして頭部までを引っ掻いた。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」


 九字を切る。消滅した野狐の魂の行方さえ知らぬまま、和夏は別の野狐との一騎打ちに向かう。

 和夏を見ている余裕は結希にはない。多数いる妖怪を和夏に近づけぬように張り続けていく結界も、長くは持たない。ここに遠距離攻撃が可能な亜紅里がいれば、話は別になるだろうが──。


「あっ……!」


 和夏の呻き声が聞こえた刹那、黄緑色のマフラーが宙に舞って枝に引っかかった。


「和夏さん、下がってください!」


 和夏を見ていなかった結希は一瞬だけ平常心を失くし、被害がマフラーだけだということに気づいて安堵する。が、それでも下がって体制を立て直した方がいい。

 結希が変わらない意志のまま和夏を見つめていると──


「大丈夫だよ、お姫様」


 ──背中を見せていた和夏が、声を低くして告げた。


「……は?」


「ふふ、ボクに傷をつけようなんて、イケない子猫ちゃんだね? そんなにボクと戯れたいのかな?」


 猫耳をひくひくと動かし、嫣然と笑う和夏は美しく。


「でも残念だよ。ボクにはキミの為に割く時間がないんだ。──ボクのお姫様が心配しちゃうからね」


 今まで見てきたどんな攻撃よりも素早く重い鉤爪で、野狐を絶命させた。


「わか、なさん?」


「お姫様、結界を解いてそこで待っていてくれ。すぐに終わらせてくるから」


 結希が何もしなくても、簡易結界は簡単に消えていく。

 和夏は満足気に微笑んで、鉤爪一つですべての妖怪を絶命へと追いやった。


 静寂に包まれるこの地に断末魔などなく。着地した和夏の表情に変化はなく。


 ただ、違う。


 大切なものが、違う。


「どうしたの? お姫様。キミを怖がらせるものはもうないよ?」


 目の前にいる和夏は、明らかに別人だった。

 和夏であって和夏ではない。恐らく根本的に違う気がする。


 ──同じ魂を共有する、違う何か。


 それが結希に向かって微笑んでいた。そして気づく。つい数時間前にも気づいていたではないか。


 結希は、和夏のことをまだ何も知らないのだと。


 四ヶ月も一つ屋根の下で暮らしていたのに、何一つ、知らなかったのだ。

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