二 『一寸先は獣道』
「和夏さん、ちょっと待ってください」
「大丈夫大丈夫〜。ここはワタシの大学だから、全部ワタシに任せてよ」
「任せるも何も、麗夜さんから和夏さんの言うことは信じるなって言われてるんですよ」
「ゆうゆう、そんなこと気にしてんの? 大丈夫だから早く先に行こうよ〜。なんで来ないのぉ?」
「獣道だからだよ!」
大学を案内してもらうはずが、何故獣道を歩かされる羽目になっているのか。
目の前を突き進む狐の亜紅里と猫又の和夏が不思議そうに振り返るが、そうしたいのはこっちだって同じだ。
「ユウ、ここ近道なの。ここを通ったら体験授業が受けられる号館に出るんだよ〜」
「オトコノコなんだから、勇気出して! 結希だけにっ!」
「それ全然面白くねぇからな!」
が、逆らい続けても意味がないのは経験上わかり切っている。結希は二人がいる踏み倒された木々の道を一瞥し、ようやく足を踏み出した。
「そもそもなんで校内に獣道があるんですか」
「うちの大学は町の端っこにあるから、ほとんどがお山なんだよね〜。ここら辺はお山の動物ちゃんたちがたくさん通ってるんだよ」
「あたしはこっちの方が落ち着くけどなぁ。お山生まれお山育ちの十七歳、百五十五センチのCカップ。好きな食べ物はお稲荷さんだからさぁ」
「後半理由になってないぞ」
落ちた枝を足で踏み、飛び出した枝を腕で払い、引っかき傷を作った結希は慣れた様子で突き進む二人の後ろ姿を眺める。
普段からこの道を利用している和夏と山暮らしをしていた亜紅里は、流れる血のせいなのか野生の勘が異様に発達しており──どこか、人間離れした印象を結希に抱かせる。
結希は半妖の二人から視線を逸らし、視界に入った斜面下の法学部専用施設を一瞥した。そこには先ほど別れた麗夜が篭って司法試験の勉強をしており、結希は僅かに目を細める。
たった一人で一族の未来を担っている彼を心底敬すると同時に、ある種の羨ましさを感じる。今の結希に夢なんてものは存在しないが、何故か、そういう人間には心惹かれるものがあった。
「あれぇ?」
「ん〜、わか姉、どんまい!」
「……全然どんまいじゃないだろ」
獣道から開けた場所に出るが、そこに建っていたのは目指していた号館ではなかった。大学の中央にある噴水広場の前に簡易ステージが設置されており、そこにいたのは──
「泡魚飛さん?」
──歌七星の事務所の後輩の、和穂だった。
「みなさんこんにちは! 泡魚飛和穂です! 今日は私の大学のオープンキャンパスに来てくれてありがとうございますっ!」
シスター服を着た和穂は相変わらず神秘的な雰囲気を纏い、ウェーブがかった紫色の髪を可愛らしく揺らしている。真夏の太陽が容赦なく彼女の真珠のような肌を射すが、和穂はそれを慈しむように受け入れて輝いていた。
「あ、ほんとだ。和穂さんだぁ〜」
「うわっ、マジだ! モノホンのカズちゃんだ! すっごぉ〜い!」
ステージ前は人で溢れており、新人アイドル泡魚飛和穂の人気の高さを伺わせている。そんな光景を和穂は満足げに見回し、大きく手を振って歓声に応えた。
「ありがとうございまぁ〜す! ちなみに、私が所属している国際学部の体験授業はこの後すぐですよ〜! 場所は二号館っ! ここから十分くらい歩きます! 今から行っても間に合いませ〜ん!」
どっとステージ前が湧き、和穂も声に出して笑う。
彼女の裏の顔を知る結希はそれが作り笑いだとわかっているが、歌七星同様にきちんと人を惹きつける笑顔に零れ落ちる笑みを隠せなかった。
「って、今から行っても間に合わないってどういうことですか!」
「ひぃっ! ご、ごめんユウ、ワタシ、道を間違えたみたい……」
「間違えたも何も最初から道じゃなかったじゃないですか!」
麗夜の忠告を聞かなかった自分も悪いが、本物の和穂を見れて幸せそうにしている亜紅里を見ると何も言えなくなってしまう。麗夜ほどではないが、結希も亜紅里の幸せをそれなりに願っているのだ。
麻露もそれを強く願っており、亜紅里と頼の縁を戸籍で無理矢理切った。
麻露はそれが亜紅里の幸せだと信じて疑わず、彼女が亜紅里を妹として受け入れれば、他の姉妹が反論をする理由はない。
「ごめんね。アグ、国際学部見てみたいって言ってたのに」
「ううん、そんなのカズちゃんが所属してるからってだけだし! むしろグッジョブ!」
和夏も、過去の出来事は水に流して亜紅里の役に立てなかったことを心の底から落ち込んでいた。
「ユウもごめんね。受けたいって言ってたのに」
「いえ、もういいですよ。俺の方こそすみません」
言い過ぎたことを謝罪すると、和夏は驚いたように結希を見上げ──
「なんでユウが謝るの?」
──今にも泣き出しそうなか細い声を上げた。
「なんでって……」
「やだ、今のユウ、なんだか昔のユウみたいだった。やだよ、やり直しするのは、絶対やだよ」
「ちょっ、何言ってるんですか和夏さん。昔みたいって出逢ってからそんなに経ってないじゃないですか」
「経ってるよ。経ってるし、たったの四ヶ月でも昔のユウと今のユウは全然違うよ」
真夏だが、震えるような寒さに耐えられないとでも言うかのように、和夏はマフラーに顔を埋める。顔の半分も見えず、心を閉ざしてしまったかのように和夏の本心がまったく見えない。──いや、見えた日など今まで一度もなかったが。
「ユウは謝らなくていいんだよ。遠慮しなくてもいいんだよ。もっと、〝自分〟を大事にしていいんだよ」
「和夏さん……」
結希は、不意に麻露の言葉を思い出した。
『……あと少し頼みごとができるなら、和夏を一人にさせないでくれるか?』
その言葉の本当の意味を、結希は知らない。が、和夏がいつもリビングで眠っていたのは知っている。
四月の頃、結希がリビングに下りると他の姉妹が必死になって和夏を起こそうとしていた。後で理由を聞くと、もし自分が和夏の立場だったら知らない男に寝顔を見られたくないからだそうだが──今ではしょっちゅう和夏と一緒に誰かが寝ている。
最近よく見かけるのは出かけることが増えた鈴歌だろうか。二人が疲れ果てて眠っている傍らで、麻露が夕方の子供向けアニメを真顔で見ているのを見たことがある。
「……してますよ、一応」
ただ、一人にしているつもりはないが、和夏のことを何も知らないのも事実だった。
休日の朝も、昼も、夕方も、夜も、寝ていることが多い。他の姉妹と話す時間はあっても、和夏と話す時間はほとんどない。
「なら良かった」
和夏は溶けるように笑い、いつの間にかステージ前の群衆の一員になっていた亜紅里の後を追う。猫又の尻尾のように揺れるマフラーを追いかけて、二人と合流すると──和穂と目が合った。
「──?!」
ぎょっと目を見開き、すぐさま持ち直して和穂はトークを続ける。
「あれっ? センパイ!」
振り返ると、群衆を遠巻きに見ていた少年が大きく手を振っていた。
赤ん坊のように柔らかそうな胡桃色の髪。女子のようにつぶらな瞳と、病人のように青白い肌。愛らしい唇を嬉しそうに綻ばせている華奢な彼は──
「翔太!」
──胡桃色の髪を振り乱して駆け寄ってきた翔太は、結希に頬を擦り寄せて甘えた声を上げる。
「こんな辺鄙なとこで会えるなんて、もう運命ですよね〜! あ〜、来てよかった! ボクもうここで心肺停止になってもいいです!」
「冗談にもなんないからヤメロ。お前、入院生活結構長かっただろ」
「えっ、覚えててくれたんですか?! 嬉しいぃぃ〜!」
丸い碧眼を限界まで見開き、翔太は折れそうなほど細い腕で結希を抱き締めた。
今まで気にもしなかったが、翔太が病弱だと知ってから見た彼の体格はあまりにも細く。肌も、病的なまでに白く。
「ショウ、久しぶり〜」
「あ、和夏さん。ど〜も」
「ショウも来年受けるんだっけ? 確か愛果ちゃんと同い年だよね?」
「えっ?!」
素っ気なく答えた翔太の本来の年齢が、結希に再び衝撃を与えた。
翔太は結希の反応を気にもとめず、わずかに息を緩めて腕を組む。
「そうですね。でも、受けるかどうかは決めてません。今日それを見極めてやろうと思ってたんです」
見栄を張っている翔太を見るのはこれが初めてじゃない。
翔太はいつでもどこでも、誰が相手でも、自分を高く見せようとしている。それは小さな小さな少年の痛々しい反抗だと思っていたが、真実はそこにはなかった。
「そっかぁ。すっごく楽しいよ? 大学」
「でも、鬼一郎は高卒だし。アイツ中三で相豆院家の頭首になったから、ボクもいつまでも寄り道してるわけにはいかないしね。迷惑かもしれないけど、そのまま組員になってやってもいいかなって」
そう語る翔太は結希に甘える少年ではなく、幼い容姿の割には達観した、諦めに慣れすぎた惨めな青年だった。
「ボク、生まれた時から体が弱くてさ。入院生活を繰り返して、二個下の学年に編入することになったの。だからホントのボクは今年で十八歳。センパイの一個上だよ」
誰にも叱られてこなかったからこそ、何かを恐れるように結希を碧眼に入れる。
「でも、センパイはいつも通りに接してほしいな。ホントはみんな知ってたけど、センパイだけは知らなかったから一緒にいて結構楽だったんだよね」
その恐れは、結希に態度を変えられることへの恐れだった。
確かに結希は年下と年上で態度が違う。それは結希と接していれば自ずと理解できる事実であり、結希本人にも変えられない事実である。
翔太はそれを飲み込んだ上で、結希には年下として接していた。結希に年下として扱われることが翔太の望んだ人間関係の形ならば、結希はそれに、応えるべきなのだろう。
「わかったよ、翔太」
苦笑しながら答えると、翔太は「ほんとっ?」と瞳を輝かせた。
「ありがとうセンパイ! だぁ〜い好き!」
「ワタシもユウのこと大好きだよ〜」
「ちょっと和夏さん、ボクの真似しないでよねぇ。センパイはボクのなんだから」
頬を膨らませた翔太は結希を守るように立ち塞がり、和夏を野良猫のように手で払う。和夏は楽しげにその手を追いかけ、翔太は呆れたようにそれを見、戻ってきた亜紅里は飛ぶように和夏に飛びついて首を傾げた。
「センパイ、こんな奴ら放っといてボクと一緒に大学周りましょ〜よ!」
「それは無理。目を離したら俺が麻露さんに怒られるから」
「えぇ〜」
翔太は不満げに目を細め──
「じゃあセンパイ、この後暇だったらボクと一緒に《猫の家》に行きましょうよ。あそこのスイーツ、甘ったるくてオススメなんですよ〜?」
──結希が苦手とする店名を告げて笑った。




