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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第五章 記憶の鉤爪
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一  『お狐様が憑いてる』

 山々に囲まれた陽陰おういん町の夏は、風が通らずじめじめとした蒸し暑さのせいで毎日が猛暑日と言っても過言ではない。八月ともなれば釜茹で地獄のようだ。


「あづいぃぃ、あづいよぉぉ」


 やっと見つけた空きベンチに座った亜紅里あぐりは人郷のない山奥出身らしく、そんな陽陰町の夏に慣れずに疲れ果てていた。


「どっか中に入るか?」


 結希ゆうきは自販機で買ったばかりのスポーツドリンクを差し出し、亜紅里と同じく大学の人の多さに辟易する。

 スポーツドリンクを受け取った亜紅里は一気に飲み干し、「くぁ〜っ!」とビールを飲んだ直後のおっさんのような声を上げて唇を拭った。


「もちそうする! っていうか、オープンキャンパスがこんなにもダルいってなんで誰も教えてくれなかったのぉ〜?! 上に九人いるんだから、一人くらい教えてくれてもい〜じゃあん!」


「教えてくれるような人たちじゃないだろ。いい加減お前も学者しろよ」


「ゆうゆうは諦めすぎぃ! そんなんだから尻に敷かれるんだよバカ! もっとガツンと! ゴツンと! オンナにはしっかりはっきり言って調教しないといけませんからねぇ〜!」


「何キャラだよ。お前、最近キャラブレてるぞ」


 クツクツと暗黒な笑みを浮かべていた亜紅里は結希のツッコミに盛大にため息をつき、「疲れた」と立ち上がる。


「何ボサッとしている。入るんだろ? 中」


「そのオンオフもどうにかなんねぇのかよ」


 結希もため息をつき、暑さに疲れたのかキャラに疲れたのかよくわからない亜紅里の後を追った。


 陽陰町に唯一存在する大学のオープンキャンパスとあってか、歩いている最中も人にぶつかりそうになる。高校と同じく町外から来ている人も結構いるらしく、寮も含めると敷地は陽陰学園以上だ。


「亜紅里、近くに食堂があるってさ」


「ならそこに行くか。そろそろ昼時も過ぎたし、空いているだろう」


 結希と亜紅里は夏休みの宿題として、大学のオープンキャンパスに来ていた。来年度は受験真っ只中という理由で、二年生のうちにある程度見てこいということらしい。


「午前中は校内一周に使ったから、そろそろ学部も見ないとな。亜紅里はどこ行きたい? 体験授業もあるってさ」


 配布された資料を眺めながら尋ねると、亜紅里は振り返って唇を尖らせた。


「そういうゆうゆうはどうなの? 言ったじゃん、あたしは去年まで山奥にいたんだって。学部とか言われてもわかんないよ」


「俺もわかんねぇよ。聞いたら麻露ましろさんは高卒で、依檻いおりさんは教育学部出身で、真璃絵まりえさんは休学扱いで、歌七星かなせさんは中退で、鈴歌れいかさんも高卒、熾夏しいかさんはアメリカの医大で、朱亜姉しゅあねぇは文学部出身、和夏わかなさんは法学部で、愛果あいかは美術学部志望だってさ」


「……何言ってんの?」


「聞いた話をそのまま言っただけだから俺も理解はしてねぇよ」


 亜紅里と顔を見合わせお互いにため息をつき、食堂に入って全身で冷気を浴びる。


「学年最下位同士には難しい話だったね」


「言うな。一応俺は諦めてないからな」


「えっ、受けんの? ゆうゆう偏差値四十以下じゃん」


「まだ模試受けてねぇから。偏差値とか出てねぇから」


 亜紅里のおさげの茶髪を掻き乱し、結希は辺りを見回す。清潔感のある食堂の入口正面には食品サンプルが並んでおり、洋食がメインだということが見て取れた。


「うわっ、くしゃくしゃ?! ゆうゆうひどいっ、エッチハレンチチカンヤロー!」


「人の学力を勝手に決めた天罰だ。ていうかお前、性格の割には髪めちゃくちゃ綺麗に整えすぎなんだよ。今朝だってセットにどれだけ待たされたと思って……」


「すとーっぷ! すとーっぷ!」


 聞き覚えのある声に背後から抱き締められたと思ったら、抱き締めた張本人が何者かに頭を叩かれる。


「ストップはお前もだ、和夏わかな。男女の喧嘩に他人が入るな」


「い、いたい……。ひどいよレイ、そんなに強く叩かなくてもいいと思う〜……」


「和夏さん! 大丈夫ですか?!」


 振り返ると、頭を抑えた和夏が涙目で傍らの青年を見上げていた。


「あ、ユウ。ワタシは大丈夫だよ。それよりも、ダメでしょ? アグの乙女心はわかりやすいんだから、ちゃんとわかってあげないと」


 珍しく姉のような態度を取る和夏は、腰に手を当てて叱るように人差し指を振る。実際は姉なのだが、あまり姉としての行動をとらないせいかやけに新鮮だ。


「お、おとめごころ……?」


「そうだよ〜。女の子はね、好きな人の為ならいくらでも可愛く……」


「あ〜っ! わかねぇやめて! あたしの封印を解かないでぇぇぇぇ!」


 自分でさらに髪を乱し、亜紅里は慌てて和夏を止める。口を塞がれた和夏はきょとんとし、不思議そうに緑色の猫目をまばたきさせた。


「わか姉? お前、まだ妹がいたのか?」


「そうだよ、レイ。弟のユウと、妹のアグ。可愛いでしょ?」


「そうならそうと先に言え。勘違いしただろ恥ずかしい」


 青年は眉間に皺を寄せ、独特の真朱色の瞳で結希と亜紅里を一瞥する。

 光の加減で輝き方が違い、くせ毛なのかウェーブがかっている白髪。透き通った白い肌。透明感の中に潜む妖艶な真朱色の瞳。どこか軽薄そうで、見る者の警戒心を容易に解いてしまう。だというのに、麗しい気品めいた雰囲気は彼の本性を隠しているようだ。


「初めまして、陽陰大学法学部二年の骸路成麗夜ろろなりれいやです。和夏の幼馴染みみたいなもので、昔から、貴方たち一家にはお世話になっています」


 微笑んだ麗夜は流れるような動作で手を伸ばし、結希は反射的に彼の手を握る。


 骸路成家といえば《十八名家じゅうはちめいか》の末席に控える弁護士の家系で、六年前の百鬼夜行でたった一人を除いて全滅した一族のはずだ。

 その情報が確かならば、彼はその生き残りになる。


「よろしく。ところで和夏、こんなに大きな弟がいるなんて俺は聞いていないんだが?」


 結希と握手を交わした麗夜はすぐさま手を離し、怪訝そうに和夏を見下ろした。


「え? そうだっけ?」


「忘れっぽいのがお前だがな。支援してもらった家族のことくらい、定期的にお前から話してほしい。熾夏さんの帰国も聞いてなかったんだぞ」


「ご、ごめん……なさい?」


 麗夜は目くじらを立てて和夏を叱り、呆れたように腕を組む。

 普段から抜けている和夏の幼馴染みとして、彼ほど相応しい人はいないのではないだろうか。和夏はわけがわからないまま萎縮しているが、世話がかかる姉妹の一人くらい誰かが見ていてくれないと結希も困る。


「初めまして、百妖ひゃくおう結希です。こっちは百妖亜紅里で、二人とも養子です」


「養子? ユウはパパの再婚相手の子供でしょ? アグはシロねぇが勝手に戸籍変えてたけど」


「い、いや、別に連れ子でも養子でも変わらないかなぁ〜って」


 あまり連れ子という嘘の設定を公言したくなかったのだが、和夏にそれを言っても通じない。作り笑いをしてその場を凌ごうとしたが、麗夜は眉間に皺を寄せた。


「ちょっと待て、今亜紅里と言ったか? お前、もしかしてあの亜紅里か?」


「あ」


 そういえば麗夜は、弁護士の見習いとして──骸路成家の現頭首として、亜紅里の罪を裁く側にいたはずだ。


「レイ、今のアグはワタシの家族。そんな目でもう見ないでよ」


「あははっ、別にあたしは全然平気だよ〜? わか姉。もう慣れたしぃ」


「慣れちゃダメだよ、アグ。ユウもアグの為にレイを懲らしめて」


「やめろ和夏、俺が悪かった。亜紅里が和夏の家族でも別におかしくはないから、そんな顔はするな」


 視線を落とすと、涙目になった和夏が麗夜を見上げていた。

 麗夜は戸惑い気味に視線を逸らし、「そういえば」と話題を変える。


「ここにいるってことは、二人も食事に来たのか?」


「あぁ、はい。今までずっと校内を回っていたので」


「そうそう! あたしもうお腹ペコペコ〜、早く食べない?」


「なら一緒にとろう。奢ることができなくて悪いけどな」


 麗夜は微笑し、食品サンプルの方へと二人を案内する。

 先ほどの支援の話といい、彼は《十八名家》は《十八名家》でもお金がない人間なのだろうか。身なりは上品な学生に見えるが、ブランド品をつけている気配もない。


「そういえば、愛果は今年受験生だろ? 勉強はしているのか?」


「え? う〜ん、最近はあんまり喧嘩しなくなったなぁってことしかわからないや」


「なんなら貸すぞ、参考書。お姉さんのよりも、俺の方がわかりやすいだろ。勉強だって今の課題が終われば見てやれる」


「えっ」


 そう声を上げたのは、和夏ではなく結希と亜紅里だった。


「……なんだ今の声は」


 不審げに振り返った麗夜は、瞳を輝かせる二人の高校生を視界に入れて嫌そうな表情をする。


「べ、勉強、見てくれるんですか?」


「手取り足取り? 隅から隅まで?」


「そういえば、依檻さんは現役の教師だったな。勉強は依檻さんに……」


「頼めたら麗夜さんに縋りつきません!」


「お願い! あの人の授業だけは絶対にイヤイヤヨー!」


「なんだそのノリは! そもそもお前らは受験生じゃな……」


「そういえば、ユウとアグっていっつも学年最下位を争ってるんだっけ?」


「はぁっ?!」


 途端に目の色が変わった麗夜は、結希と亜紅里を見下ろして静かに肩を鳴らした。


「お前ら、そんな体たらくで陽陰学園の生徒会の制服を着て、あの百妖の名を名乗っているのか……?!」


「ち、違っ……! あたしのことは知ってるよね?! ね?! あたしは今年から初めて学校に通ってるの! 悪いのは結希くんだけです! はいっ!」


「おまっ、人を売ったな?! この薄情者! 帰ったら部屋に札を貼りつけて閉じ込めてやる! もしくは末代まで呪ってやる!」


「お狐様を呪ったら祟り返しだぁ! いーけないんだーいけないんだー! お狐様にー言ってやろー!」


 亜紅里に背中を押され、悪鬼の形相の麗夜に遠慮なく近づいた結希は慌てて弁解。麗夜の鉄槌がくだるかと思いきや、麗夜は眉間に皺を寄せた。


「札を貼り付ける? 呪う? ユウキくん? お前、まさかとは思うが旧姓はなんだ」


「ま、間宮まみやですけど」


「間宮結希? お前があの?!」


 刹那、麗夜は目を見開き逆に後ずさる。

 その原因は一つしか思い浮かばなかったが、それが麗夜の心には響いたらしい。


「もしかして、麗夜さん誕生日もう来ました?」


「あぁ。七月にな」


 和夏と同学年で誕生日を既に迎えたということは、彼はもう二十歳だ。町の秘密を知っている、若くとも立派な現頭首の一人──。


「なるほどな。お前らが勉強できない理由はよくわかった」


「え、わかったの?」


 和夏が戸惑い気味に麗夜を見上げるが、麗夜は黙って首肯する。


「結希、お前にはいつか受けた恩を返そうと思っていた。多分、他の頭首の方々もそうだと思う。お前が必要だというのなら、いくらでも教えてやろう」


「いいんですか?! ありがとうございます!」


「えぇっ?! あたしは?! お稲荷さんあげるから!」


「お前には恩も恨みもないが、母親に人生を壊されたという意味では同情する。お前が社会に溶け込む為の手助けだと言うのなら、援助を惜しむ気はない。……良かったな、お人好し一家に拾われて」


 亜紅里は息を詰まらせ、呆然と麗夜を見上げていたが──やがて逆三角形の笑顔を浮かべた。


「あたしにはお狐様が憑いてるからねー! お狐様はあたしを見捨てないから!」


「おい、狐に憑かれると精神が乱れるぞ。今すぐ祓ってもらえ」


「えー、それはイヤイヤヨー」


「祓え。現に今完全に乱れているだろ」


「麗夜さん、亜紅里はこういう奴なんでほっといても大丈夫ですよ」


 それでも麗夜は亜紅里を見つめていたが、不服そうに視線を逸らしてカウンターの案内を始めた。


「ユウ、ワタシこの後暇だから案内してあげるよ」


「あ、じゃあお願いします。大学とかよくわかんなくて困ってたんですよ」


 結希がほっと息を吐くと、夏でも黄緑色のマフラーをぐるぐる巻きにした和夏は満面の笑みを浮かべた。

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