二十 『いつか花火を見る為に』
昨日まで何もなかった神社には屋台が立ち並び、その間を縫うように突き進む。黄昏時だが夏祭りを主催しているここは人で賑わっており、神聖な場所とあってか妖怪の気配はまったく感じられなかった。
「おーっす。お前、こんな日だっていうのに一人かよ。ご愁傷様〜」
「違ぇよ」
近づいてきた風丸に肘鉄を食らわせ、結希は辺りを見回す。
「ぐほえ! あ、じゃあ明日菜か? 明日菜ならあっちの方でおみくじ売ってたぞ。さっきヒナとあっちゃんが来て大量に買ってったから、あいつらもまだその辺にいるんじゃね?」
祭りが開催される度に小倉家の跡取りとして仕事に忙殺されるはずの風丸は、今年も浴衣を着て屋台飯を大量に持ち歩いていた。
毎年その格好のまま町全体で開催されている夏祭りを巡って、途中から結希と明日菜と合流するのが当たり前で。今年は会えないから真面目にやっているのかと思いきや、今年も何一つ変わらないまま風丸は屋台飯を頬張っていた。
「そうじゃなくて、飯。足りなさそうだから補給しに来た」
「なんだよ補給しに来たって……。つーかお前、今どの辺回ってんの?」
「近所の公園のカラオケ大会に家族全員で出ることになったから、そっちを中心に回ってる」
「は? カラオケ大会? なんでそんなイベントに出るんだよ、面子的に全然想像できねぇんだけど」
「優勝賞品目当てらしい。麻露さんが数打ちゃ当たるってさ」
詳しいことは結希も聞いていないが、多分、優勝することが目的ではないのだろう。
約二ヶ月ぶりに家族全員が揃った今日──そして、一人も欠けずに集まれる日になる明日。きっとこのイベントに家族総出で参加するのは、その節目となる今日という日の思い出を作るの為なのだろう。
「へぇ〜。じゃ、ヒナとあっちゃん連れて見に行ってやるよ。明日菜も俺のコネで連れ出せるよう、めちゃくちゃ交渉しとくからさ」
「しなくていい。っていうか、仕事しないくせにコネ使ってんじゃねぇよ」
「あるものはフル活用! ってな?」
けらけらと笑う風丸は、「じゃ、またな〜!」と逃げるように去っていく。
「結希さん」
何事かと思ったが、その声に納得した。
「雷雲さん」
「うちの馬鹿息子を見ませんでしたか? 早朝から見当たらないんですが、近所の方からの目撃情報だけは絶えないんですよ」
風丸の実父で小倉家の現頭首──雷雲は、困った表情を隠しもせずに結希に尋ねた。
決して老けているわけではないが、神主として年不相応に悟ったような黄金色の瞳。絶えない苦労のせいで目立っていた白髪を、白一色に染めた長髪。狩衣を纏った凛とした立ち姿は昔から美しかったが、今の姿は子供の身を案じる父親そのものだった。
「さっきまでここにいましたよ」
「おや、いたのですか? ならば私の姿を見て逃げ出したのですね」
「そうだと思いますよ。ていうか大変ですね、あんなのが跡取りで」
「大変でない子育てなど存在しないでしょう。あの子は母親のない身ですし、私も父親を始めて今年で六年目ですから。祭りの手伝いをしないのは、まだ心を開いていない証拠でしょうね」
寂しげに微笑した雷雲は、視線を少しだけ落として再び顔を上げる。
六年前から浮世離れした男性だと思っていたが、親の顔になった途端に人間らしくなるのはここ一二年で唯一の変化と言える変化だった。
「六年目ってどういう意味ですか?」
結希が訝しげに眉を潜めると、雷雲は思い出したように息を漏らす。
「風丸から聞いていませんか? この町では結構有名な話ですけど、あの子は六年前、ここの神社の前に捨てられていたのを私が拾ったんですよ。所謂養子ですね」
知らなかったのがそんなに意外だったのか、雷雲は結希を物珍しそうに眺めた。
「私は未婚ですし、小倉家の血を引き継いでいない風丸の立場は次期頭首として褒められたものではありません。唯一の男友達だと言っていた結希さんになら話しているかと思ったのですが、意外と見栄っ張りなのかもしれませんね」
息子の新たな一面を見つけられたのがそんなに嬉しかったのか、雷雲は目を細めて口角を上げた。日は沈み、提灯の灯と一番星だけが雷雲のその表情を照らしている。
四年前、中学一年生の時に結希は風丸と出逢った。
しつこくつきまとう風丸を無視し続けていた結希だったが、風丸の持ち前の明るさに負け、いつの間にか親友と呼べる存在になっていたのだ。が、風丸の出生については何も聞かされておらず──互いが互いに大きな隠しごとをしていたのだと、結希は今初めて知った。
「雷雲さん、親族の方が呼んでいます」
「あぁ、そうですか。いつもお手伝いありがとうございます」
雷雲は結希に軽く頭を下げ、「ではまた」と背筋を正して去っていく。聞き慣れた声に振り返ると、巫女装束を着た少女がまっすぐに結希を見つめていた。
少女がいる位置は暗く、顔はよく見えないが雰囲気でわかる。
「明日菜?」
「うん」
明日菜は頷き、結希の下へと足を運んだ。
徐々に姿が見えてきた明日菜は、いつもサイドポニーテールにしている藍色の髪を下ろして一つに結んでいる。瑠璃色の瞳は相も変わらず他人を惹きつけ、夜だからかいつも以上に月光のような輝きを放っていた。
「びっくりした、結構似合ってるな」
「そう? あ、ゆう吉に見せるのは初めてかも」
「今まで機会がなかったからな」
「うん。あと、そう言うゆう吉も浴衣似合ってる。一昨年から丈が合わなくなってたから、今年になって買い変えたの?」
「それもあるけど、上がはり切って選んできてさ。これ着ろあれ着ろ髪も纏めろってうるさいんだよ」
「上って、お姉さん? 女性が好きそうな浴衣着てるなって思ってたけど、それなら納得。センスいいね」
女性の浴衣ならまだしも、男性の浴衣に好きも嫌いもあるのだろうか。
普通に謎だが、明日菜の言う通りセンスだけは確かな腕を持つ姉集団が選んだものだ。特定の人物に合わせて選んだものだというのに、これで似合ってなかったら死んだ方がマシだと思う。
結希の思惑を知ってか知らずか、明日菜は複雑そうな表情で真新しい浴衣を眺め、僅かに顎を引いた。
「うん。やっぱり、ゆう吉は和服が一番似合う」
「あ、マジで?」
陰陽師として狩衣をよく着る身としては、そうであってくれなきゃ困る。むしろ、浴衣よりも一生つき合わなければならない狩衣の方が似合わなかったらそれこそ死んだ方がマシだ。
「妖目は嘘つかない。……ところでゆう吉、ちょっとだけ時間ある?」
「時間? まぁ、ちょっとだけならあるけど」
「良かった。じゃあ、今年も花火しよう? まだバイト中だけど、さっき休憩貰ったから」
明日菜は手招きをし、結希は大人しく彼女の後を追う。
「持って来てるのか?」
「うん。毎年恒例だったから、買わないと落ち着かなくて」
そう言った明日菜の懐には、確かに花火とライターが入っていた。
結希は苦笑し、毎年訪れている神社の裏側へと足を運ぶ。祭りになるとこの神社は人で賑わうが、裏側は灯がないせいか誰も来ず、結希と明日菜──そして風丸の秘密基地となっていた。
「汚すなよ?」
「うん」
明日菜は緋袴を捲し上げ、砂利の上にしゃがみ込む。そしてあろうことかライターに火をつけようとし、結希は慌てて手を伸ばした。
「俺がやるから」
「でも、毎年ゆう吉がつけてるから……」
「明日菜は見た目によらずおっちょこちょいなんだから、見てて怖いんだよ」
「へなちょこじゃない」
「誰もそんなこと言ってねぇよ」
受け取ったライターに火をつけて、明日菜が持つ線香花火に赤いそれを移す。
普通の花火は懐に忍ばせづらかったのか、明日菜が持ってきた花火はどれも線香花火だった。結希はその中の一つを手に取り、ライターを近づける。
「妖目がつける」
「お前は花火見てろよ」
「あっ」
「え?」
「落ちた」
「早っ」
明日菜は不服そうに残りを見、事前に用意してあったらしいバケツへとそれを落とす。よく見るとバケツには風丸の名前が書いてあり、毎年使っているそれだということはすぐにわかった。
「もう一本」
「ちょっと待てって」
自分のに火をつけ、明日菜のにも火をつけ。
「これやってるとすぐに風丸来るのにな」
「さっきまで雷雲さんから逃げてたから、まだかかると思う」
「毎回毎回懲りないよなぁ、あいつも」
「親の心子知らずだから」
丸く火花を散らす花火を眺めながら、毎年恒例の会話を続ける。四月になってから結希を取り囲む環境は激変したが、こんな何気ない日常の一つは以前と何も変わらなかった。
「ねぇゆう吉、打ち上げ花火って知ってる?」
「打ち上げ花火?」
「空に向かって花火を打ち上げるんだって。この町じゃ見られないけど、外に行けば見られるみたい。夏の風物詩なんだって」
「空に花火? へぇ、いつか見てみたいな」
「うん。妖目も見たい」
明日菜は頷き、地面に落ちた線香花火の最後を見届ける。
バケツに残りを入れながら、空に花火が打ち上がる様子を想像してみたが──たったそれだけのことが異様に難しかった。
「なぁ明日菜、本当にいつか見に行こうな」
「いいの?」
「当たり前だろ。っていうか、気になって眠れない」
「うん、絶対に見に行きたい。大学生になったらもっと会えなくなると思うけど、医者になる前には見に行きたい」
明日菜には、幼い頃から医者になるという夢がある。その想いは熱く、夢への情熱を記憶と共に忘れてしまった結希には尊敬してもし切れないものがある。
「俺はいつでも暇だと思うからさ、暇になったら言えよ」
現役大学生の和夏の暇人っぷりを思い出しながら、結希は描ききれない将来への不安を胸の奥に押し込んだ。
「わかった。約束」
「ん」
不意に差し出された小指を結ぶ。
そんなことは決して言わなかったが、明日菜の場合、約束を破ったら針千本は飲まされそうだ。
「そろそろ行くか」
「うん」
「あーっ! お前らもう行くのかよ! 待てって待てって! 俺今来たからもうちょっとだけ花火やろうぜ!」
神社の方を見ると、大量の花火を持った風丸が駆け寄ってくる最中だった。
「遅かったな。俺らもう戻るから」
「不寛容! なぁ明日菜、明日菜ももっと花火やりたいよな?!」
「今日はもう満足」
「しないでくれよ! 待って、こんなに家から持ったのにそれはないって!」
「お前が勝手に持ってきたんだろ」
腰に抱きつく風丸を引き剥がし、神社の方へと向かう。
そろそろ晩御飯時だから、屋台飯を買って戻らないと麻露に怒られるだろう。
「じゃあまたな」
「またね、ゆう吉」
「この薄情者ぉぉぉぉ!」
風丸の遠吠えが聞こえたような気がしたが、結希は無視して屋台を巡った。




