十九 『そうして明日の話をしよう』
あの場に駆けつけた熾夏の検死の結果、阿狐頼の死因は毒だった。逃げられないと悟った刹那、口内に含んでいた毒入りのカプセルを噛み砕いて飲み込んだらしい。
「要するに自殺ってこと」
詳しい結果が出たのは、四日後の金曜日。陽陰学園の終業式の日の夜だった。
リビングのソファに座った熾夏は少しだけやつれ、公式に出た検死結果を集まった家族に報告する。いないのは、ツアー中の歌七星、そして幼い月夜と幸茶羽の双子だった。
「それにしても、やけにあっさりだったわね。私たちをあそこまで手こずらせたんだから、もっと何かあってもおかしくなかったはずだけれど」
依檻は眉間に皺を寄せ、意見を求めるように麻露に視線を送る。
「そうだな。ただ、熾夏が断言するのなら奴は本当に死んだのだろう?」
「そうだけど、一人だけそれを認めてない子がいるの」
「ふぅん。で、誰なのソイツ」
昨日帰ってきた愛果はいつも以上に不機嫌そうに尋ね、熾夏は少し、悲しそうに眉を下げた。
「綿之瀬乾。サトリの人工半妖の子だよ」
「なるほどのぅ。サトリがそう言うのなら、影響力は大きかろう。して、何故百目のお主と意見が対立しておるのじゃ?」
「十年前、綿之瀬家が人工半妖の研究をしてたことはみんなもう知ってるでしょ? で、乾が言うには、当時から別の研究も進めてたみたいなの」
結希は顔を上げ、その場に集まった姉妹全員の顔を見回す。熾夏の言う通り、誰もが険しそうな表情で。一ヶ月前まで知らなかったのは自分だけなのだと思い知らされた。
「…………別の研究、って?」
「〝クローン人間〟。しかも、人工半妖と同じくその研究は成功してて、今生きている〝クローン人間〟の最年長者は二十一歳なんだって」
「なっ……?! 綿之瀬家め、まだそのような事実を隠していたのか?!」
「きっついわねぇ。よくもそんな非人道的な研究ができたものだわ」
言葉にできたのは麻露や依檻のみで、結希を含め、誰もが言葉を失ってしまう。
乾やアリア、風のことは人として好きだが──綿之瀬家という、巨大な組織の根本には胸糞の悪さを感じた。
「なら、さ。死んだ〝クローン人間〟もいるってことか?」
おっかなびっくりと椿が尋ねると──
「綿之瀬家が生み出した〝クローン人間〟は二人。その内の一人が生きていれば、今年で二十七歳──シロ姉と同い年の、朝霧愁晴って人だよ」
──熾夏は、顔を伏せながら答えた。
「朝霧が……?!」
「嘘でしょ? 朝霧さんって、シロ姉のクラスメイトで……」
依檻は麻露を見やり、口を噤んだ。麻露は元々病的なまでに白かった顔色を真っ青にさせ、怒りに震えている。
「熾夏、それで、阿狐頼と〝クローン人間〟に一体どんな関係があるんだ」
「検死した阿狐頼の死体は、本来の年齢とは大きく異なっていたの。しかもちょうど、二十代後半くらいの年齢だった」
「じゃあ、乾さんは自殺した阿狐頼が〝クローン人間〟だったと言っているんですか?」
「そうだよ弟クン。まぁ、それで辻褄が合っちゃうんだから、百目としても医者としても認めざるを得ないかなぁ。阿狐頼の〝クローン人間〟は死んだけど、本人は今もどこかで生きているってさ」
熾夏はため息をつき、「話はこれで終わりだよ」と両手を軽く上げた。
「そう? じゃあ、話題をガラッと変えて明日の話をしましょうよ。みんな行くでしょ? 明日の夏祭り」
「あ、行きた〜い。毎年みんなで行ってるけど、今年はしい姉とユウも一緒だね」
「お兄ちゃんも一緒なの? 本当?」
和夏は嬉しそうに笑い、心春は丸い瞳をさらに丸くさせて結希に尋ねる。
「いや、普通に初耳だけど明日は空いてるよ」
毎年一緒に行っていた明日菜には昼間に学園で尋ねてみたが、明日菜には巫女のバイトがあるらしく断わられたばかりだった。
「私はパス。今日の深夜も明日も普通に仕事だし……」
「だめじゃ。今年は家族全員強制参加なのじゃ」
「…………賛成」
「えっ?! あっ、ちょっ!」
両腕を鈴歌と朱亜に掴まれ、熾夏は困惑した表情のまま左右に視線を向ける。
「いいじゃない。しいちゃん、ここんとこずっと仕事だったでしょ? 息抜きもたまには必要よ〜?」
「ちょっと待って、救命救急科に息抜きもどうもないから。それにまり姉が……」
「真璃絵の件は、確かに我が家にとっては大問題だ。だがな熾夏、それはお前一人で背負うものじゃないぞ」
「でも、私じゃないと止められないでしょ? 私が止めないと、まり姉が綿之瀬家の研究所に行っちゃうじゃない。シロ姉はそれでもいいの?」
いつになく真剣な表情の熾夏は、両隣にいる鈴歌と朱亜を振り払おうとするが──ろくに食事もとっていないのだろう、力がまったく入っていなかった。
「良くはない。現に私は今、朝霧の件についてあの一族に問いただしたいことが山ほどある。だがな、熾夏はその状態で一体何ができるんだ?」
「ねぇねぇ、明日になったらかな姉も帰ってくるんでしょ? だったらしい姉とまり姉も一緒に行こうよ」
「何バカなこと言ってるの、わかちゃん。まり姉の外出許可なんて出せるわけ……」
「いいじゃないですか。家族全員が強制参加なら、真璃絵さんも行かなきゃおかしいです。ていうか、病院側が真璃絵さんを出したがっているなら願ったり叶ったりじゃないんですか?」
結希が口を添えると、熾夏は言葉を詰まらせて結希を睨むように見据えた。
瑠璃色の瞳は憔悴しきっており、目の下のくまは数日前よりも確実に酷くなっている。鈴歌と朱亜が熾夏の両隣に座ったのは、そんな彼女を支える為でもあったのだ。
「うんうん。何に悩んでるのかはよくわかんないけれど、そんなに困ってるならここに移したらいいと思うよ。それってダメなことなのかなぁ?」
「え? ちょっと待ってわかちゃん、今なんて言った?」
「ん? だから、百妖家に移したらダメなのかなぁって。ここにはユウもいるし、何よりワタシたちもいるし、その方がまり姉も楽しいかなぁって」
微笑みを浮かべながら、和夏自身が一番楽しそうに語って夢を見る。
「そっ、それだ! それだよわかちゃん! さっすが私の妹だ! 頭冴えてるよ!」
そんな和夏の夢物語を、熾夏は全力で肯定して瑠璃色の瞳を輝かせた。
「お、おおう? 急に元気になったのぅ、熾夏」
「…………良きかな良きかな」
「なるほどねぇ〜、その発想はなかったわ。そういう突飛な発想って、やっぱりわかちゃんらしいわね」
「熾夏、和夏の案でいけそうか?」
「もっちろん! 論破なら任せて! っていうか、今すぐ病院行って院長に直談判してくる!」
熾夏は鈴歌と朱亜を振り切って立ち上がり、大慌てで出ていく。かと思いばすぐに戻り、結希に向かって笑いかけた。
「弟クン! 明日、絶対にまり姉を連れて夏祭りに行くから! だからその時は、弟クンもまり姉の面倒を見ること! 約束ね!」
そしてすぐさま引っ込み、慌ただしく階段を駆け下りていった。
「……なんだったんですか、今の」
「なんじゃろうなぁ。熾夏のてんしょんは、時々ぶっ壊れとるからのぅ」
朱亜は苦笑し、鈴歌と顔を見合わせて微笑み合う。
結希は椅子から立ち上がり、愛果から逃げるようにリビングを出て三階へと上がった。
三階には主に年長者の部屋があり、一番奥の部屋を空き部屋として、麻露、依檻、真璃絵、歌七星の部屋が並んでいる。
五つの部屋の内二部屋には誰も住んでおらず、残りの三人にも特に用がない場合はとことん立ち寄らない階だ。
その三階の一番奥の部屋に、四日前から住居者がいる。一ヶ月前はそこに火影が住んでいたが、今は当然彼女ではなく──
「亜紅里」
──阿狐頼の実子の亜紅里が住んでいた。
「はいはいはい〜っと。お待たせゆうゆう、話し合いはもう終わったの?」
「まぁな」
「そっかそっか。それで、なんか用? 夜這い?」
「は? よばい?」
「真顔でオウム返ししないで! 説明するのも恥ずかしいっ!」
「なら最初から言うなよ。つーか、誤魔化さなくてもなんとなくわかるだろ」
亜紅里はへらへらと笑い、多分、肯定した。
「お前の母親、生きてるかもだってさ」
「あー……、だろうね。なんか変だなって思ってたんだけど、当たっちゃったかぁ」
「わかってたならあの時に言えよ」
「無理無理。だってあたし、あの人とはそんなに会ったことないんだもん。ある日突然あたしの住む山に来て、あの洋館で色々と教わりながら育ったからさ」
まだへらへらと笑いながら、亜紅里は少しだけ自らの生い立ちを語る。
「だからあんまり、あの人との記憶がないんだよね」
「……そうか」
それは、結希となんら変わりのない一つの事実であり共通点だった。
亜紅里のことを完全に理解できたわけではないが、理解に苦しむほどでもない。小さな胸の痛みを抑えながら、結希は言葉を続けた。
「そういえば、あの日なんで洋館に来れたんだ?」
「え? ゆうゆうたちも話してたでしょ? あたしも一緒だよ。年下の女の子が案内してくれたの」
脳裏に浮かんだのは、黄緑色の和服に身を包む謎の式神だった。
「あの式神のこと、知ってたか?」
「知らないよ。あたしが知ってるのはマギクとカグラだけだってば。マギクには仲間がいて、ゆうゆうを恨んでるようなことも言ってたけど、その仲間は誰一人として知らない」
結希は思案し、あの時の頼の言葉を手探りに思い返す。
「……あの時、確か阿狐頼は『双子のどっちかが裏切った、こんなことを考えるのは〝シオン〟の方かな』って言ったんだけど」
「そうなの? それってすっごい情報じゃん、ヒーちゃんには報告した?」
「いや、まだだ」
「そっか。じゃあ、あたしが報告するよ。明日は町全体で夏祭りっていうのをやるんでしょ? あたしヒーちゃんと一緒に行くことになったからさ」
「なら頼む。俺たちは家族全員で行くことになったから」
ヒナギクと亜紅里という組み合わせは意外だったが、これからはそうなることが必然なのだろう。
結希は自分で貼り直した亜紅里の胸元の擬人式神を思い起こし、いつかそれが不要になる日を想う。
「りょーかい。やっぱり仲良しだね、百妖一家は」
亜紅里は羨ましそうに目を細め、珍しく微笑した。
「お前ってさ、実はマジで馬鹿だろ」
結希は思ったことを素直に口に出し──
「はぁっ?!」
「麻露さんは、これからもお前と一緒に暮らす気でいるからな」
──長女の決意と共に微笑した。




