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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第四章 真綿の首輪
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十七 『三つの引き金』

朱亜姉しゅあねぇッ!」


 首だけがない、血だらけの朱亜の肢体。彼女は膝を折ることもなく、ただただ結希ゆうきを守るように目の前に立ち塞がっている。

 ふらふらと頼りなく揺れている手。そこから滴る赤黒い液体は、水と混ざりあった血溜まりに吸い込まれていく。両足は血溜まりにどっぷりと浸かり、わずかに痙攣していた。


「……ぁ」


 一気に吐き気が込み上がってくる。

 戦慄なんて生易しいものではない。それくらいグロテスクに、水漏れで傷んだ床を侵食していった。


『クククッ、クククククッ』


 喉の奥で笑うような、虫唾が走る声がした。何がおかしいのか、妖狐は細い笑みを浮かべるのをやめない。


『愚カナ家族愛ダネ』


 刹那、結希は息を止めた。妖狐が笑っていたのは、百妖ひゃくおう家全員が何よりも大切にしていた絆だった。


 何を犠牲にしてでも守り抜きたいと願っていた、たった一つの譲れないもの。

 誰にも邪魔することができず、決して揺らぐこともない、固く結ばれたもの。


 それを今、実の娘を殺すことさえ厭わない狐に笑われた。次の瞬間結希の脳裏に浮かんだのは、人としてどこか壊れている亜紅里あぐりだった。


「お前ッ!」


『其方ノ怒レル顔ハ、私ノ大好物ダヨ。ダガネ、ヤハリ其方ハ怒リノ矛先ヲ間違エテイル』


 今にも噛みつこうとする結希を格好の獲物のように眺め、妖狐は再び喉の奥を鳴らす。そして、恍惚とした表情で血相を変えながら唇を震わせる結希を見下ろし──



「──いいや、何も間違えてはおらぬぞ」



 ──狐目を見開いた。


 妖狐の目の前に出現した朱亜の生首は、放置されていた血だらけの日本刀を咥えてスザクへと放り投げる。むき出しの刀身はシャンデリアの妖光に照らされ、異様な一瞬の煌めきを放ってスザクの掌に収まった。


『──!』


 鋭く息を呑んだ妖狐が咄嗟に前足を振り上げる。

 が、すぐさま消えた朱亜は天井に突き刺さった日本刀を咥えて引き抜いた。そしてそれさえもスザクへと放り投げ、朱亜の生首は妖艶に笑い、妖狐を見据えた。


轆轤首ロクロクビメ……!』


「わらわを殺せたと思うとったのか? それは残念じゃったなぁ、狐」


 嫌味ったらしく妖狐を徴発し、朱亜は宙に浮かぶ。

 シャンデリアに照らされた顔は血に染まっており、彼女もまた無傷ではないのだと密かに思い知らされる。結希は唇を噛み、妖狐を注意深く観察した。


「悔しいか? 悔しいじゃろうなぁ。狐がろくろ首に騙されたのじゃ、悔しくないわけはない」


 妖狐の顔が怒りで歪んでいく。それに比例するように、朱亜の嫌味は増していく。


「ほれほれ、怒りで何も言えんか? 阿狐あぎつね家現頭首も、所詮はこの程度ということじゃな」


 何故朱亜が妖狐を徴発しているのか。結希はそれを、いち早く理解しなければならなかった。

 朱亜は馬鹿だが、無意味にこんなことをするような馬鹿ではない。結希はちゃんと、家族を愛して、家族を想っている朱亜を理解している。


 彼女が死ぬべき時は、今ではないのだ。


 少なくとも、熾夏しいかがいない限りここが三つ子の死に場所になることはない。だから朱亜は、今も生きたいと願っているはずだった。


「過剰に警戒して損したのじゃ。結希やスザクが出るまでもなかったのぅ。わらわ一人で充分ではないか」


 それは、逃げろという意味だろうか。


 妖狐の注意を自分に引きつけ、重症の鈴歌れいかと共に弟を逃がそうとしているのだろうか。振り返って見ると、力尽きた鈴歌は人の姿に戻っていた。


 服は焼けただれ、陶器のように美しかった肌に刻まれた火傷の跡は痛々しい。背中の火傷の跡が疼くのを感じながら、結希は強ばった表情のまま鈴歌を抱き上げた。

 既に水漏れは止まっており、水深も鈴歌のいる場所は深くはない。それでもこのまま放置することはできなかった。


「結希様、鈴歌様は私にお任せください」


「……スザク」


 いつの間にか傍にいたスザクは、結希の腕から鈴歌を受け取る。結希はそれ以外の言葉を発することができず、悔しさで再び唇を噛み締め、自分の無力さを呪った。


 陰陽師おんみょうじというだけで、何か特別な力があるわけではない。


 鈴歌や朱亜の言う通り、自分たちは百妖家の主戦力ではないのだ。全員が援護に特化しているからこそ、この無様な結果だった。


『……調子ニ乗リ過ギダヨ、轆轤首』


 それは、背中に冷水を浴びせたかのような声色だった。

 振り返ると、妖狐は濃い瘴気を平気で纏っている。


「調子に乗っているじゃと? その台詞、そっくりそのまま返してやろうか」


『戯ケ、轆轤首風情ガ──!』


 ガンッと前足を床に叩きつけ、刹那に妖狐は一躍した。


「なっ……?!」


 避けようにも避けようのない一閃が朱亜の脳天を直撃し、彼女の首は真っ逆さまに落下する。結希は反射的に足を踏み出し、大きく手を伸ばすが──


「ッ!」


 ──距離を見誤り、自分の顔面に朱亜の生首が直撃した。


「いっ……」


 ……たい。


 だというのに、同時に唇が優しいくらいに柔らかい。心地良ささえ感じるその感触は、初めてじゃないのに初めてだと錯覚してしまう熱を持っている。


 結希はそのまま真後ろに吹き飛ばされ、朱亜の首を抱いたまま無様に尻餅をついた。


「結希様! 朱亜様!」


 スザクの悲鳴には片手を上げて応え、結希は手元に視線を落とす。が、そこには大切に抱えていたものが何もなかった。


「朱亜姉?!」


「ここじゃ結希、そう案ずるでない」


 正面を向くと、朱亜の残された肢体に生首がついていた。

 生首を吹き飛ばして本体を喰おうとしていた妖狐は、大きく開いた口に日本刀を差し込まれて後ろに飛ぶ。


「あっ……?」


 スザクの呆けた声の理由は、その手元にある日本刀だった。スザクが預かっていたそれと同様の打刀は、刀身を鋭く光らせている。


 だが、それよりも結希が注視していたのは彼女の後ろ姿だった。


 サイドに下ろして纏められた青髪は変わらずに、青色の振袖が妖狐の跳躍時の風で靡く。

 踝まであった身丈は胸を隠せるほどしかなく、代わりに履いているのはかぼちゃパンツ型の着物。ニーソのような足袋。そして下駄。


 その変化は、今まで見てきた変化と同様の物だった。


 覚醒前よりも幼さが際立っているが、朱亜らしいと言えば誰よりもらしい姿に結希は息を呑む。


「…………なるほ、ど……」


 そして、やけに懐かしく聞こえる声が結希を撫でた。


「鈴歌さん……?! ちょっ、起き上がらないでください!」


 スザクの腕の中から結希の下へと行こうとする鈴歌を押し倒し、結希は怪我の具合を確認する。その様子を何故か嬉しそうに眺め、鈴歌はゆっくりと微笑した。


「ッ!?」


 無表情が常で、感情らしい感情を見せるのもごく稀で、光を映さない瞳を持つ姉──鈴歌。彼女がこうして確かに笑うのは、今この瞬間が初めてだった。


「なんで今、笑うんですか」


 その笑顔に、どんな大切な意味が込められているのだろう。

 ずっと鈴歌がそうである理由を知りたかったのに、今は知りたくない。今知りたいと思わないから、どうか、どうか鈴歌をもう二度と独りにしないでほしい。


「どうして、もっと早くに、笑ってくれなかったんですか」


 自然と溢れた涙は頬を伝い、鈴歌の煤だらけの頬に落ちた。

 スザクの啜り泣く声はよく聞こえるのに、朱亜が激闘を繰り広げる音は、遠い異世界の物語のようだった。


「…………キ」


「なんですか、鈴歌さん」


「…………もっと、近くに、きて?」


 結希はスザクから鈴歌を受け取り、抱き締めて背中を丸めた。すぐ傍には、望まれた通り鈴歌の顔がある。


「…………いーこ」


 鈴歌は結希の頭を撫でるように手を回し、そして自然と顔を近づけた。


 虫の息と化した鈴歌の吐息が、よく聞こえる。

 いつだって光が映らなかった瞳に自分が映る。


 僅かに目を見開くと、二人の間に確かに存在していたはずの空間が優しく溶けた。


「…………ん」


 朱亜とは違う熱が、今の唇を支配する。

 事故ではなく故意。そう理解した刹那に体の芯が熱くなり、理性が一瞬で飛びそうになる。


「ふっ、ふぁぁあ?!」


 が、スザクの馬鹿みたいに慌てた声と──目の前の鈴歌の変化で、それどころではなかった。


 白髪のサイドポニーテールへと変化した、漆黒の髪。裾がミニスカート型になっている、ふんわりとした撫子色の着物。桃色の帯に、元の瞳の色と同色の羽織り物。朱亜と同じくニーソのような足袋。そして、彼女と色違いの下駄。

 最後に鈴歌の体に巻きついたのは、白い小型の一反木綿いったんもめんだった。


 唇を離した鈴歌の傷口は、恐ろしささえ感じるほど急速に塞がっていく。

 火傷の跡も一目ではどこにあるのかもわからず、虫の息だったのが嘘みたいに、ショッキングピンク色の瞳は生き生きと輝いている。


「…………やっぱり」


 鈴歌は納得したかのように頷き、未だに呆然と自分を見ている結希に告げた。


「…………これが、覚醒のトリガーになっている」


 頭を鈍器で殴られたような表情をする結希に、鈴歌は少しだけ呆れたような表情をした。

 そんな表情でさえ滅多にしなかったのを、彼女自身は知っているのだろうか。ぼんやりと思いながらも、結希は彼女の話を理解しようと努力した。


「…………今まで三人も覚醒させておいて、知らなかったの?」


「し、知ってるわけないじゃないですか!」


 まさかの事実を告げられ、結希は慌てて反論する。正直、朱亜と鈴歌を除いた心当たりは心春こはるしかいないのだが。


「…………そう。じゃあ、この話は後で聞く。今は、戦おう」


 その言葉でハッと我に返ったのは、スザクだった。


「そうです! そうでございます! 朱亜様は……!」


 振り返ると、覚醒したという朱亜は今までの朱亜が嘘のように俊敏に動いて妖狐を翻弄していた。一方的に押されているかと思いきや、決して劣勢というわけでもないようだ。


「…………ユウキ、信じて」


 立ち上がる結希と同じタイミングで立ち上がり、鈴歌は頼む。


「…………今のボクとシュアは、すごく、強いから」


 そして再び微笑んで、朱亜の激闘を見据えた。


 瞬間、大きな音と共に正面の扉が開く。風を切るように大部屋へと突入し、朱亜に気を取られている妖狐が反応する暇もないまま銃を撃ったのは──



「──亜紅里!?」



 ──見慣れた半妖はんよう姿を曝け出す、妖狐の実の娘の亜紅里だった。

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