十三 『金属製の弾丸』
襲撃を阻止しつつ、なんとか百妖家に転がり込んだ結希は亜紅里と共にリビングへと上がる。半妖姿の亜紅里は物珍しそうに辺りを見回し、安全だと確認したのか短く息を吐いて元の姿に戻った。
「家には誰もいないんですか?」
遅れてきた鈴歌に尋ねると、扉の前にいた彼女はこくりと首肯した。
「…………シロ姉とイオ姉、シイカは仕事。ワカナとツキヨ、ササハは学校で、シュアはまだ帰ってきてない」
そして他は知っての通りだとでも言うようなぞんざいな態度で、鈴歌はゆっくりと視線を伏せた。
「えっ、朱亜姉まだ帰ってきてないんですか?」
瞬時に血の気が引いていく。最後に朱亜を見たのは、恐らく今朝別れたばかりの結希だろう。
その時間から黄昏時になるまでの間、鈴歌を心配するあまり引きこもりになってしまった朱亜がまだ帰ってきていないだなんて──あまりにも信じられず、同時に思い出すのは彼女の大粒の涙だった。
「…………何か、あったの?」
「それは……青葉さんと、少し」
不安げな鈴歌に、彼女の三つ子の姉ならばわかるだろうかと結希は告げる。
朱亜と青葉の間に何があったのかはわからない。わざわざ知ろうとも思わないが、普段から元気な朱亜が人が変わったように落ち込んでいるのは見てられなかった。
「…………そう」
鈴歌は視線を伏せたまま、呟いてベランダへと足を向ける。
「どこに行く気?」
そんな彼女を呼び止めたのは亜紅里だった。
もう吹っ切れたのか、初対面の頃に見せた迷いのある表情はない。彼女の表情に現れているのは、戦うことを決意した戦姫のそれだった。
「…………外。家族を集めて、戦わないと」
「一人で行く気ですか?」
「…………うん。ユウキはアグリと残ってて」
「お前は今まで何を見てきたんだ? こいつはそう言って残るような男じゃないだろ」
亜紅里は結希を一瞥し、途端に呆れたような表情を見せる。かと思えば──
「あたしはそれがずうっと羨ましかったんだからさ〜」
──と、息を抜いた。
「とりあえず何がどうなってんの? あたしの産みの親があたしを狙ってるってことでオッケー? あたしが釈放されてから初めての授業だったし、監視も外れて狙いやすかったってこと?」
「監視が外れた? お前の監視は確か……」
「きょーこちゃんは今朝、歌七星って奴に同行して町を出てったよ」
「はぁ?!」
歌七星の同行者は、亜紅里の監視をしていた京子だったのか。
「なら逆に狙ってくれって言っているようなものじゃないか……!」
「…………ユウキ、ルイ先輩やイヌイから何も聞いてないの?」
「詳しいことを聞く前に通話が切れたので、何も」
「…………わかった。じゃあ、やっぱり、ユウキはここに残ってアグリを守るべき。ボクは、〝キョーダイ〟全員を、探さなきゃ」
機械的に判断を下した鈴歌はベランダの扉を開け、まっすぐに歩いていく。そんな姿を、一向に沈む気配がない茜色の夕日だけが照らしていた。
「鈴歌さん!」
飛び出して、彼女の後を慌てて追う。再び半妖姿に変化した鈴歌の体には、やはりと言うべきか血が滲んだ細やかな傷が全身に刻み込まれていた。
心臓を握り潰されたかのような痛みが生まれ、胸に沈むように残る。朱亜は心に、鈴歌は体に、目に見えた傷を残していた。
「スザクを使います! だから休んでてください!」
シャツのポケットから紙切れを取り出し、自分の中にある陰陽師の力を込める。
「──馳せ参じたまえ、スザク!」
歌うように呼び出したスザクは、ゆっくりと睫毛を上げて結希の目の前に姿を現した。
「結希様ぁ〜っ!」
「うわっ?!」
スザクは結希を視認した途端に抱きつき、餅のように柔らかな頬を腹部に擦りつけてくる。
身長差が今よりも酷ければ大惨事間違いなしだろうが、スザクは常日頃からそんなことはお構いなしというような態度で結希に接していた。
「ご無事で何よりでございますぅぅ〜!」
そして、白いシャツを涙で濡らした。
「ちょっ、スザク! 落ち着け!」
「うっ、うぅ……っ! りょ、了解でございますぅ〜!」
スザクは渋々結希を離し、涙で潤んだ緋色の瞳で見上げる。結希はそんなスザクの両肩を掴み──
「今すぐ愛果と歌七星さん以外のとこに行ってくれ! 現状を確認し、阿狐頼が亜紅里を狙っていることと、俺たちが家にいることを伝えろ!」
──指示を出し、スザクが強く頷いたのを確認した。
「そちらも了解でございます! 少々お待ちくださいませ!」
スザクは瞬時に姿を消し、後には半妖姿の鈴歌と結希だけが残る。
結希はそっと鈴歌の傷だらけの体を撫で、庇護欲がかき立てられているのを感じながら彼女が人の姿に戻るのを見守った。
「立てますか?」
尋ねると、鈴歌はゆっくりと結希を見上げた。
「…………むり」
「アリアさんのとこに行きますか?」
「…………もっとむり」
「じゃあもう動かないでくださいね」
座り込む鈴歌に手を伸ばす。鈴歌はじぃっとそれを見つめていたが、やがて遠慮なくそれを掴んだ。
「…………疲れた」
「だろうなとは思ってましたよ」
「…………おんぶ」
「わかりました」
いつものように鈴歌を背負うと、バニラの甘い匂いが途端に強く匂う。温もりを求めるように結希を抱き締める鈴歌の手は、何故かいつもよりも力強かった。
朝から誰もいない家に一人でいたからだろうか。
昔から一人で部屋に引きこもっていたらしい鈴歌は、きっと何をするにしても一人だった。ただ、今年からは隣に朱亜がいた。
「…………スザクは、シュアのこと、見つけてくれる?」
「見つけますよ、必ず」
「…………ボクよりも、早く、見つけてくれるの?」
「信じてください。スザクは俺の式神ですよ?」
「…………うん。わかった、信じる」
ふっと、込められていた力が弱まった。肩に小さな顎が乗り、子供のように甘えてくる。
鈴歌に好きなようにさせながらリビングへと戻ると、立ったままの亜紅里がその様子を冷めた目で静観していた。が、インターホンが鳴った瞬間びくっと肩を上げて辺りを見回す。
「な、なんの音だ?」
「誰かが来たんだよ」
今までどういう生活をしてきたのか、無知な亜紅里は困惑していた。結希も結希で百妖家に来てから初めて知ったインターホンを操作し、表示された人物を見て息を呑む。
「風さん?!」
「…………フウ?」
『乾から聞いて来たよ。開けてくれるかな?』
「は、はい! ちょっと待ってください!」
まさかの人物の来訪に大慌てで階段に躍り出、落ちるように駆け下りる。扉を開けると、白衣姿の風が腕を組んだまま立っていた。
「どうも」
「『どうも』って、よく来れましたね?!」
「そうかな? これも科学の力のお陰だね」
風は微笑し、ポケットの中からお守りを取り出す。
「いや科学の力じゃないですよねそれ」
「中に涙から貰った擬人式神が入っているんだよ。退魔の力が込められているこれを、科学の力で増長させ……」
「えっ、そんなことができるんですか?!」
「まさか。冗談だよ」
風は面を食らった結希を押し退け、我が物顔で百妖家の中に入っていった。
「ちょっとリビングに上がらせてもらうよ」
「あ、はい、どうぞ」
リビングへと戻ると、鈴歌と亜紅里が同時に風を視認した。
「誰だ」
「…………何しに来たの」
「綿之瀬家の才子、綿之瀬風だよ。僕がここに来たのは、亜紅里と結希がここにいると乾から聞いたからだね」
「私と結希になんの用だ?」
「…………なんの用なの」
「結論を急かすのは嫌いじゃないよ。僕は六年前から涙の依頼を個別で引き受けていてね、それが完成したから持って来てあげたのさ」
風はソファに深く沈み、ポケットの中を焦らすようにまさぐる。
「…………早く」
「君に急かされると腹が立つね。少し待て。これは本来は一般人用なんだけれど、乾曰く先ほど全員の避難が完了したみたいだし──実験もしていないからね。君たちにあげよう」
「そんな危険そうな物を渡さないでくださいよ!」
「いやいや、大丈夫さ。使用者が君たちなら、ね」
「根拠は? というか、どう見ても拳銃にしか見えないんだけど?」
ガラス製のテーブルの上に置かれた物は、亜紅里の言う通り漆黒の銃だった。
「全然大丈夫じゃないですよね?!」
「あぁ。普通に人類に向けても害のある、殺傷能力の高い物だね」
そんな物が自分家のリビングにある。が、触る気にもなれず結希は必死に指を差すことしかできなかった。
「…………何が、違うの?」
「弾丸が鉛じゃなくて特別製の金属なんだよ。妖怪は金属に弱いからね」
「実験してないって、効くかどうかわからないってことだろ?」
「そう、だから君たちにあげると言ったんだ。ところで結希、先月アリアの日本刀を使って亜紅里の腕を切り落としたそうだが、銃は怖いのか?」
風は銃を躊躇うことなく持ち上げ、ご丁寧に弾が入っていることまで確認させる。
従妹の存在を否定していた風だが、案外仲が良いのか彼女の口からはよくアリアと乾の名前が出ていた。
「それはそれ、これはこれです!」
「…………きっと、その場の勢い。ユウキの反応は普通」
風は鈴歌を一瞥し、再び微笑した。
「鈴歌、君は本当に家族が好きだね」
「…………フウも、アリアとイヌイ、好きでしょ?」
漆黒の髪を持つ二人は対面したまま見つめ合い、互いのショッキングピンク色の瞳を交差させる。
「鈴歌も好きだよ」
「…………気持ち悪い」
「そうか? ちなみに、結希が怖がっている拳銃は他にも……」
「もういいです!」
風の手元を抑えるが、突然脇を擽られてその手を離してしまった。
「ゆうゆうがいらないなら、ぜぇ〜んぶあたしが貰っちゃおうかなぁ~?」
「欲しいならやろうか?」
「あげないでくださいこんな危険生物に! 亜紅里も! また鴉貴さんに連行されるぞ?!」
「はぁ〜い」
途端に外用となった亜紅里はけらけらと笑い、結希の緊張感を緩和させたのだろう。脇を擽ったのも亜紅里だった。
断ったのに人の話を聞かない風は、所持している銃をすべて並べる。そして若干得意げに踏ん反り返り、「安心しろ」と自信ありげに人差し指を立てた。
「輝司さんは妖怪専門だからそれはない。それに、一応許可は取ってある。もし人類に害を与えたら弁護士も用意してやろう」
「フォローにもなってませんからね?!」
久しぶりに叫び疲れ、結希は肩で息をする。完治したと思っていた風邪がぶり返しそうだった。




