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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第一章 金狸の幻術
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七  『〝いってらっしゃい〟』

 愛果あいかは、一階の洗面所で歯を磨いていた。鏡越しに目が合うと、眉間に皺を寄せられる。そして、ついてくるなとでも言うように、端まで移動していった。


 徹底した嫌われっぷりに軽く心を抉られながらも、愛果に倣う。

 何度か見られているのが感覚でわかったが、話しかけるなオーラに加え、歯磨きの最中に会話することができない結希ゆうきは黙るという選択肢しか取れなかった。


 三台ある洗面台の一つで口を濯いだ愛果は、逃げるように階段を上る。愛果を逃がさないように急いで階段を駆け上がり、四階の自室へと愛果が駆け込むのと同時に五階へと続く階段を結希はさらに駆け上がる。


 部屋に入った瞬間に鞄を手に取り、再び愛果の後を追った。


 愛果が先に下りているのが振動でわかる。二階に下りてあと少しというところで、不意にリビングの扉が開いた。

 そこから顔を出したのは心春こはるで、全神経を使って無理矢理にでも立ち止まる。優しく笑いかけてその場をやり過ごすつもりでいたが、それは拳によってその名の通り見事に打ち砕かれた。


「いやぁぁあぁあぁああ!」


「ぐふぉっ!?」


 腹部から痛みが全身に走る。とんでもない力に吹き飛ばされた結希は、真後ろの階段の角に頭をぶつけた。


「ッ!」


 幸いにも変な音はしなかったが、代わりに変な声が前方から聞こえる。恐る恐る首を動かすと、涙目で拳を握り締める心春がいた。


「生きとるかのぅ、結希?」


 今度は上から声がして、結希は頭を段差につける。逆転して見えたのは、腰に手を当てて結希を見下ろす朱亜しゅあだった。


「……なんとか。というか、今何が起こって」


「ご、ごめんなさい!」


 再び視線を心春に戻すと、彼女は今にも泣きそうになりながら懸命に結希に謝っていた。男性恐怖症とは聞いていたが、まさか──


「心春はのぅ、男が近づくと問答無用で拳を入れるのじゃ」


 ──瞬間、そっくりそのまま朱亜が教えた。


「それ、昨日のうちに言ってほしかったです」


「習うより慣れろと学校で教わらなかったのか?」


 リビングから顔だけを出したのは、麻露ましろだった。

 麻露はいつかこうなるとわかっていて、わざと教えなかったらしい。


 結希は起き上がり、顔を伏せた。予想外の反応だったのか、麻露はわからない程度に目を見開く。朱亜は不思議そうに、心春は泣きながら、結希を見つめた。


「俺、学校行きますね」


「あ、あぁ。いってらっしゃい」


 麻露は、結希の雰囲気が変わったことに気づいていた。

 麻露は人の踏み入ってほしくない部分をわざと突くことで快楽を得る質の人間だが、今回ばかりは何も言えなかった。階段を走るなという注意をしようとも思っていたが、それさえもできない。数分前に比べたらやけに静かに階段を下りていった結希を、麻露はただ黙って見送った。


 玄関の扉が閉まる。心春が声に出して泣く。恐怖よりも、〝兄〟を傷つけてしまったという心春だけの痛みを癒すように、麻露は何度も何度も頭を撫でる。

 朱亜は、この騒動でようやく起きた鈴歌れいかの存在に気がついた。さすがの鈴歌も呆然としており、問うように朱亜に視線を移した。


『学校で教わらなかったのか?』


 結希には、十一歳以前の記憶が欠落している。だからこそ、この類いの言葉は麻露が思っている以上に結希のことを傷つけていた。だが、今気にかかることは他にいくらでも存在する。


 泣いていた心春には安心させる言葉をかけてやれず、麻露なりの気遣いを無下にしてしまった。

 愛果は怒ったままで、幸茶羽ささはには理由なく嫌われる。歌七星かなせとの出逢いは最悪。依檻いおりとの関係の変化に、熾夏しいかの厄介な千里眼。


 全部あの姉妹に関することだと気づくまで、そう時間はかからなかった。そして、今の自分が昨夜の麻露と同じだと気づいたのもその時だった。


 百妖ひゃくおう家から伸びる一本道は、ゆるやかな坂になっている。青々と茂った木々に囲まれた一本道を下るとアスファルトで固められた道路が続いており、朝であるにも関わらず車が何台も通っていた。


 視線を巡らすと、視界に小さな愛果の背中が映る。あれほどしつこくつき纏ったのは、昨日の件を謝りたかったからだ。

 それだけではない。愛果だけでなく、他の姉妹にも謝らなければならないことがある。


 自分は百妖家に来てはならない存在だったのだ──早くも痛感した結希は、朝日あさひに元の家に戻すよう説得しようと考えていた。


 緋色のスカートと金髪を靡かせる愛果の後ろ姿に向かって、結希は一言声をかける。

 確かにあった距離をあっという間に縮めさせたのは、二人の歩幅だった。愛果はものすごく不愉快そうな顔をして、棘を含んだ声を結希に投げつける。


「ついてくんな……とは言わないから、距離を置いてよね」


 最後の方はさすがに理不尽だと思ったのだろうか、愛果は苦渋の決断とでも言いたげな表情だった。


「嫌です」


「はぁ?!」


 碧眼でキツく結希を睨む。たいした効果もないそれは、愛果を余計に悪ぶっているように見せていた。


「昨日は本当にすみませんでした」


 ぴくっと愛果の肩が跳ねた。歩きながら一礼した結希をまじまじと観察し、気まずそうに前を向く。


「は、はぁ? 何言ってんの?」


 裏声に頬を引きつらせながら、視線を反対方向に向ける。

 顔を上げた結希はそんな愛果に気を遣う為、先を行こうと早歩きをする。謝るだけ謝った。それでも許してもらえなければそれまでだった。


「あ、ちょ……! 待って!」


 ぴたっと足を止めた。自分が止めたのではなくて、シャツが引っ張られる感覚がある。


「愛果さん?」


「振り向くな!」


「……はい」


 言われた通り正面を見た。

 愛果は、深呼吸を繰り返していた。


「……ウチらが半妖はんようだってことは、もう知ってるんだろ?」


 愛果のか細い声は、結希の背中のだいぶ下から聞こえてきた。ぐっと、握る力が強くなっていくのがわかる。


「ウチ…………きなんだ」


 一生で一番大事なことを言うように、愛果は声を絞り出した。

 陰陽師おんみょうじとして訓練されている結希は、小さな音でも簡単に聞きとることができる。だから、愛果の言いたいことは理解できた。


「なら、あの時床に転がっていたぬいぐるみが愛果さんだったんですね」


 こくんっと愛果は頷いたが、そこまでは結希もわからなかった。


「小さい頃から変化へんげとか苦手で……驚くとよく……」


豆狸まめだぬきになってしまう?」


「そう……って言うなバカ!」


 持てる力すべてを使ってふくらはぎを蹴り上げる。


「痛っ!?」


 膝をついた結希を後ろから見下ろして、愛果はさっさと行ってしまった。


 愛果の告白は、結希に対して必要以上に怒っていた理由がよくわかるものだった。

 顔を上げた結希は今度こそ後を追わなかったが、通行人の視線に負けてしばらく様子を見ることにする。


「あれぇ、なんでまだユウがいるの?」


 寝ぼけた声が後ろから聞こえてきた。振り返ると、そこには寝癖をつけたままの和夏わかながいた。リュックを背負っているのだから、これから大学に行くのだろう。


「えーっと、少し様子見を」


 どう言っていいかわからず、浮かんだ台詞をそのまま口にする。苦笑してその場をやり過ごそうとしたのだが、意外にも和夏は鋭かった。


「様子見? 愛果ちゃんのこと?」


「……まぁ、半分は」


 このまま根掘り葉掘り聞かれるのかと思いきや、和夏はそれ以上は何も聞かなかった。


「ふぅん。でも、急いだ方がいいよ? 愛果ちゃん、いつも遅刻ギリギリに家を出るから」


「えっ?!」


 慌ててスマホを取り出して時刻を見る。八時十分。遅刻確定まで、あと二十分だった。


「いっ、いってきます!」


「いってらっしゃ〜い」


 大きく手を振る和夏に見送られて、結希は走った。日頃走り馴れているおかげもあって、あっという間に愛果に追いつく。

 愛果は結希の足音にいち早く気がついていた。けれども、自分を抜かして走る姿を見て反射的に後を追った。

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