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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第四章 真綿の首輪
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幕間 『忍ぶれど色に出でにけりわが恋は』

 雪が降る日は、いつだってあの日を思い出す。


 陽陰おういん学園の空き教室、壊れた空調のせいで凍える空気、生暖かいカイロ。そして、目の前には外の荒れた天気も大晦日だってことも忘れていそうなあほ教師。


「だ〜か〜ら〜、無理だって言ってんじゃん! 人の話聞いてた?!」


「うむ? 無理と言うからできぬのじゃよ? ほれ、頑張れ頑張れ〜」


 そんなにこやかな笑顔が、性根が腐っている私を余計に苛立たせる。

 野暮ったい黒縁眼鏡の奥で穏やかに満ちるのは、海よりも青い私と同じ瞳。綺麗なそれとは対照的に映る、自然界には存在しないような歪な同系色の青い髪。どっかのゲームの初期装備みたいな無個性な髪型のくせに、出自だけは無駄に高貴なお坊ちゃんで。さらに腹立たしいことに、眼鏡越しでもわかる飴細工のような透明感のある顔が私は死ぬほど嫌いだった。


「はあ〜? 頑張ってなんとかなるならここまで苦労しないっつ〜の! 私が古典嫌いなの知ってんでしょ?! なんなの?! 嫌がらせ?!」


「我輩は教師じゃよ。嫌がらせなんてするわけなかろう」


 もちろん、その喋り方も嫌いだ。普通に喋れるくせに、この教師──首御千青葉しゅうおんぜんあおばはいつだって老人ぶっている。ほんとはまだ二年目の新米教師のくせに。


「嫌がらせでしょ〜が! 今日が大晦日だってわかっててやってるでしょ?!」


「じゃから前にも言ったはずじゃよ? 休日を返上して、お主の為だけの補習をすると」


「意味わかんないから! もう休みたい〜、助けてかなねぇ〜! るい先輩〜! 桐也きりや先輩〜!」


 そう言って駄々をこねる私を、何故か慈しみを込めた瞳で見つめてくる。

 母なる海よりも青くおおらかなそれは、私を見透かしているようで。私と違って無駄に端正な顔だから、なんだか恥ずかしくなってほんとに帰りたくなった。


百妖ひゃくおうがなんと言おうと、我輩は古典が好きじゃよ」


 私に微笑みかけながら、私が否定するものを肯定する。この人はいつだってそうだ。

 国語の教師なのに、「好きじゃよ」とか「綺麗じゃのぅ」とか安っぽい言葉で褒め称える。

 語彙力が高いとそれはそれで鼻につくから、悪い人じゃないってことは伝わってくるんだけど。そんなんでこの世の中生きていけんの? とはすごく思う。


「あんたの好き嫌いは聞いてないから! っていうかあんた、この学校に百妖って何人いると思ってるわけ? この学年にいる百妖の人数言えんの〜?」


「なんじゃ急に? まぁいい、我輩をあまり馬鹿にするでないぞ。二年に一人、一年に三人じゃ」


「はあ〜? 国語教師のくせに言葉の前後関係がわからないわけ? 私が言いたいのは、ややこしいからいい加減名前で呼べって言ってんの。ほんとはヤだけどね」


 嫌だって言ってんのに、あほ教師だからか何故か嬉しそうだった。

 眼鏡の奥の瞳の輝きが、海に沈んでいる真珠みたいで──大人なのに無邪気だなぁって呆れてしまう。


「相わかった。我輩の生涯にかけて、お主を名前で呼ぼう」


「重いっつ〜の!」


「うむ。朱亜しゅあは怒ってばっかじゃなあ」


「誰のせいだよ!」


 あぁ、ほんとになんなんだこの人。若いのに、日向ぼっこをしている老いぼれおじいちゃんみたいな雰囲気まで出して……。


「なーんか大声が聞こえたと思ったら。青葉さん、うちの後輩をあんまし苛立たせんなよー?」


 その雰囲気に呑まれかけて、慌てて振り返ると──桐也先輩が扉から顔を覗かせて笑っていた。


 今まさに外で積もりに積もっている雪のような銀色の髪。南国の海のようなコバルトブルーの瞳。黙っていれば計算され尽くしたアシンメトリーの美を持つ芸術品のような人なのに、愛嬌のある笑顔を振り撒いては手を振って、多くの女性を虜にする。

 これだけでもお腹いっぱいなのに、桐也先輩は学園長の甥という出自も文句なしの美青年だった。


「桐也せんぱ〜い!」


「よっ、朱亜。なになに? お前青葉さんの補習受けてんの? しっかりしろよ〜、俺と同じ生徒会役員なんだからさ」


「違っ……! 古典だけだし! 桐也先輩もど〜せ補習でしょ?!」


「ちげえよ! 聞いて驚け〜? 俺は今、ナミダちゃんと学園の見回り中なんだぜっ」


 えっへんと胸を張って、持ち合わせている美を自ら手放すようなちょっと残念な先輩だけど──私はそんな先輩が面白くて大好きだ。

 もちろん、先輩がずっと〝ナミダちゃん〟って呼んでいる涙先輩のことも大好きだった。


「自主的に見回りをしとるのか? お主らは偉いのぅ、尊敬するわい」


「マジで? じゃあ青葉さん、今度俺らにうなぎ奢ってくれよ」


「相わかった。我輩を雇う白院はくいんのお坊ちゃんに恩を売る絶好の機会、決して逃しはせぬぞい」


「うげ。なんかヤだなその言い方……。まぁ、奢ってくれるなら万々歳だけどっ。ありがとな、青葉さん! 朱亜は補習頑張れよ〜!」


 桐也先輩はガッツポーズをして、嬉しそうに扉を閉める。後に残されたのは当然私とあの人で──


「さてと。朱亜、そろそろ問題の続きを解いてもらうぞい?」


 ──そう言って、私の古典の教科書を指差すのだった。





朱亜しゅあ、頼む。そこにいるのなら返事をしておくれ』


 低く、悲痛な声が扉の向こう側から落ちる。私は何も言いたくなくて、聞きたくなかった声を前に啜り泣いた。


『朱亜……。辛かったの、苦しかったのぅ……。じゃが、顔くらい見せて欲しいのじゃ』


「帰って」


『嫌じゃ』


「……どうして、来たの」


 私は必死に掛け布団を抱き締めて、その中に自分の顔を埋める。

 薄暗い、私の部屋。誰かの楽しげな声がまったく聞こえない、私の家。


 百鬼夜行が起きて数日。春なのに、町までもが異様な静けさに包まれていた。


『お主のことが心配じゃからよ。もちろん、鈴歌れいかも……学校には来ておるが、熾夏しいか歌七星かなせも、るいのことも心配なのじゃ』


 その心配の中に、桐也きりや先輩はいない。


 私は確かに、血に塗れて亡くなっていた桐也先輩の遺体を見た。桐也先輩は、私が知っている綺麗な桐也先輩の寝顔ではなく──あの輝いていたコバルトブルーの瞳を濁ませて、死んでいた。


「帰って!」


 勢いのまま、枕を扉に投げつける。


『朱亜』


「もう帰って!」


『朱亜』


 数ヶ月前、この人にそう呼ばせるようにした自分が憎い。


麻露ましろから聞いたぞい。お主ら、ご飯もろくに食べておらんのじゃろ? 台所を借りて数品作っといたから、後で鈴歌と分け合って食べるのじゃよ?』


 そうしなかったら、この人はきっとここまで私に踏み込んで来なかった。

 返事をしないでいると、帰ってくれるかなって思って。けれどあの人は帰らずに、まだ扉の前にいるような気配がずっとしていた。


「……千羽せんば


 私は自然と、中等部の男の子の名前を出す。


「千羽も、亡くなったんでしょ?」


 彼は涙先輩の従弟で、涙先輩は親友と同時に家族と式神しきがみを失ったから


「私たちのことは放っておいて、涙先輩のとこに行ってあげてよ」


 一番辛いのは、私じゃなくて涙先輩だ。


『涙はお主らとは違う。どれほど辛くても、学校には来るしご飯も食べておる。あからさまに心配するのは逆効果じゃろう』


 隣の部屋には鈴歌がいる。小さい頃、熾夏に駄々をこねて部屋を交換してもらってからはずっとお隣さんだ。

 そんな彼女の生活音は、あの日からまったく聞こえない。私も、この部屋から一歩も動けていない。


「私は、私が嫌い」


 そんな弱い自分が大嫌い。


 あの日、行方不明だった心春こはるを誘拐したという電話がかかってきてから、私たち生徒会は一心不乱に心春だけを探していた。

 桐也先輩と涙先輩の式神のエビスを残して、枯れゆく大地を上から眺めながら妖怪を殺していた。不覚を取って、口裂け女に両足を腿から切断されてからは何も覚えていない。


 ただ、〝生きて〟と言う少年の声だけは聞こえていた。


 生き残っても、桐也先輩やエビスが死んでしまったのならなんの意味もないのに。まりねぇが眠ったままなら、生きてる意味なんてどこにもないのに。

 私は、こんな私が嫌いなのに。


『朱亜がなんと言おうと、我輩は朱亜が好きじゃよ』


 あんたよりも、自分が一番嫌いなのに。


「本当に?」


 こうやって試すところが嫌いなのに──この人は、私が嫌うものならなんだって好きだって知ってるから。この人は、いつもそうやって私が否定する物を肯定するから──


『どんな朱亜でも、我輩は受け入れるぞい』


 ──そう言ってくれるのを、心の底から望んでいた。


「ッ!」


 ベッドから転げ落ちる。『朱亜?!』と私を心配する声が聞こえる。倒れるように取っ手に手をかけて、必死になってそれを開ける。

 目の前には、相変わらず野暮ったい黒縁眼鏡をかけた青葉あおばがいた。


「あお……っば!」


 そのままバランスを崩して、抱きつくように私は倒れた。

 痛い。二三日で再生したとはいえ、神経まで切られた私の足はまだ不自由だ。そのことに気づいたのか、私を抱きとめた青葉は今にも死にそうなほど顔面を青白くさせていた。


 私はそれを見て息を止める。


「あんたまで、死なないでよ」


 奇跡的にあの日を生き延びた命なんだから。

 あの声の少年に救われた、たった一つしかない命なんだから。


「生きて」


 結局、私もあの日の少年と同じことを言う。


 青葉は息を呑んで、首筋に顔を埋める私の髪をおずとずと撫でた。

 首元を隠す青色の髪が、鼻に当たって擽ったい。青葉のありのままの匂いがする。硬直した青葉の体。機械人形みたいにぎこちない動き。だけど、しばらくして息を吐いて──ぎゅうっと私を抱き締めた。


「……相わかった。我輩はおじいちゃんじゃけども、できる限り長生きしてみせようぞ」


 それだけで、明日を生きるあんたの為に、私も生きることができるから。


「うん。生きて」


 私は私が嫌いだけど、私を好きだと言ってくれたあんたを守る為に生き続けるから。


「私、歩けるように努力するから。古典の勉強も頑張るから。……だから、学校で待ってて」


 青葉の体を離す。

 いつの間にか泣いていたらしい。ちょっと視界が歪んでいる。



「──ずっと、朱亜のことを待っておるよ」



 青葉は、ゆっくりと唇を動かして微笑んだ。


「……ん」


 青葉が待ってるから、私は努力した。


 高校二年生の春。青葉が待つ学校に行って、担任の青葉の笑顔で気が軽くなって、その年の生徒会には私たち三つ子は指名されなかった。

 熾夏も、鈴歌も、そして私自身も生徒会を続投できるほどの心の余裕がなくて。次期生徒会長には、一昨年に相豆院そうまいん家の頭首となった同級生の鬼一郎きいちろうが就任した。


 再び春が来て、かなねぇと涙先輩の卒業式に出席して、亡くなった桐也先輩を思い出す。


 桐也先輩は、きっと涙先輩と一緒に卒業したかった。涙先輩とやりたかったことも、あの人のことだからきっとたくさんあった。

 青葉は雪が降ったあの日の約束を覚えているだろうか。果たすことはできなかったけれど、思い出が消えることは決してない。


 なのに、鈴歌と熾夏は出席しなかった。

 次の年の自分たちの卒業式にさえ出なかった。だから私は、相変わらず学校では一人ぼっちだった。


 一番仲良くしてくれた青葉に手紙を送り、屋上で彼を待ったけれど。いつまで経っても青葉は来なくて、桜だけがひらひらと私の元へと舞い降りていた。



「好きって、もう一度言って欲しかっただけなんだけどなぁ」



 送った恋文の返事が欲しかった。ただそれだけの想いを抱えて、私はずっと、青葉のことを待っていた。


 深夜に家に帰ると、熾夏が涙先輩と共にアメリカに経った直後だった。鈴歌は相変わらず、生存確認さえできないほど静かに息をしていた。





 いつの間にすれ違っていたんだろう。

 雪なんて降っていないのに、桜だってどこにも咲いていないのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。


『…………もう諦めろ』


 あぁ、思い出した。全部あの言葉のせいだ。あの言葉が、青葉あおば先生のあの日の答えなんだ。


朱亜しゅあさん」


 不意に名前を呼ばれて顔を上げる。

 随分長い時間をここで過ごしていたような気がしたけれど、結希ゆうきにとっては一瞬だったのだろう。漆黒の瞳は、私をちゃんと捉えていた。


「う、うむ? ……すまぬ結希、わらわはもう帰るのじゃ」


 情けない。今すぐにでも死んでしまいたい。青葉先生を真似たこの喋り方も、馬鹿らしくて馬鹿らしくて仕方がない。


「一人で帰れますか?」


 誰にも気づかれていないと思っていたのに、結希のその声色は私の想いを薄々察しているようで。ハイスペックじゃないのに、無駄に人の顔色はわかっちゃうんだから厄介だなぁと思った。

 いや、感づいていても踏み込んでは来ないのだから、青葉先生よりかはマシかもね。


「馬鹿にするでないぞ、結希。わらわはお主の姉じゃからな。一人で帰れるのじゃ」


 見栄を張った。結希は、黙っている。


 結希を見ていると、るい先輩を思い出す。もう会わない。関係ないって思ってたのに、結希がいると涙先輩が会いに来てくれる。

 涙先輩が浮かべる物憂げな表情は、結希もたまにしている表情で。時々跳ねている漆黒の髪。睫毛が長く、黒目が大きな同色の瞳。今まで見てきた美形に比べるとやや低めな鼻でさえ、弟だと思うと愛嬌に見えて仕方がない。黒こそ至高の美しさだとでも言うような、シンプルな青年だ。


「副会長、そこで何をしている?」


 振り返ると、現生徒会長のヒナギクがいた。

 桐也きりや先輩の従妹のヒナギクは、桐也先輩に似て非なるものを持っている。彼女を見ていると、桐也先輩の癖まで思い出してきて目頭が熱くなった。


「ゆうきち、ヒナギク。正門前で立ち止まっちゃダメ。邪魔になる」


「あぁ、悪い。明日菜あすな


 いつの間に近くに来ていたのか、明日菜は不審げな瑠璃色の瞳で私を見つめていた。あ、と思っても体が上手く動かない。まるで首輪がつけられているみたいだ。

 とっくのとうに治っている足が動いたのは、結希に手首を掴まれて後ろ向きのまま引っ張られた時だった。


「明日菜、話があるから放課後教室で待ってろ」


「え? あ、うん。わかった」


 明日菜は素直に頷いて、結希に引きずられる私を目で追う。あんまり見ないでほしいんだけど、見ちゃうよね。逆の立場だったら私も気になって見ちゃうから。


 振り返ると、「待ってろ」と言った結希はまっすぐに前だけを向いていた。

 青葉先生が待っているから、私は学校に行くことができた。けれど、青葉先生は私が待っていると知りながら四年も会いに来なかった。それが今でも胸に刺さる。


「……一人で帰れると言ったじゃろうが」


「仮にそうだとしても、あんなとこで泣き出した身内を放置するほどクズじゃないですよ。今日は愛果あいか椿つばきちゃんも……ついでに依檻いおりさんもいないですし」


 何を言っているんだろうと思って、ようやく頬に伝った生暖かい何かの正体を知った。慌ててそれを拭うけれど、意識をしたのがいけなかった。

 拭っても拭っても止まらなくて、ついには嗚咽が漏れてしまう。こんなの結希を困らせるだけなのに、わかっていても止まらない。


 私は、自分が思っている以上に青葉先生のことが好きだった。


 野暮ったい黒縁眼鏡は、間近で見ないとわからない綺麗な青目を隠しているようで可愛かった。これを私は知っているんだという優越感もあった。

 真面目そうなのに気が抜けていて、私がいないとダメなんだみたいな保護欲を掻き立てられる。そして何より、私が言ってほしい言葉を一番に言ってくれたのが青葉先生だった。


「……ぅっ、うぅっ、ひっく……!」


 こんなんじゃ、かなねぇに怒られてしまう。

 シロねぇといおねぇが家の二柱で、そんな二人を支えているかな姉の代わりにならなきゃいけないのが私たち三つ子だ。けれど、ようやく動けそうな鈴歌れいかや、まりねぇの為に戦っている熾夏しいかの邪魔はしたくない。


 私が一人で、今回もしっかりしないといけないんだ。


 無理矢理涙を止めて結希を見上げると、かな姉が〝最後の砦〟と称した結希は怖い顔でどこかを見つめていた。

 そんな表情もできるのかと拍子抜けして、昨日風邪で弱っていた小さな姿が嘘のように思えて、私はゆっくりと息を吐き出した。


「…………ぶ」


「え? なんですか?」


 昨日は人の話をまったく聞いていなかったのに、肝心な時は地獄耳な弟に向かってもう一度言う。


「おんぶ」


「はあ?」


 ぐるんと私の方を向いた結希は、何言ってるんだコイツ的な表情をしていた。かつての私と似たような口調。勘違いかもしれないけれど、私と結希はどこか似ている気がする。


「できないのかのぅ?」


 また試すようなことを言った。えっへんと、ない胸を張って偉そうな〝朱亜お姉ちゃん〟ぶる。

 嫌ならいお姉にするみたいに、無視すればいい──刹那、結希はなんだかんだ言いながら軽々と私をおぶってしまった。


「うっわ?!」


「『うっわ』ってなんですか。放り投げますよ」


「い、いや……すまぬ。お主、鈴歌をおぶりすぎてこういうのに慣れてしもうたのじゃな」


 鈴歌と同じことをしてもらってわかる。

 どれほどあの鈴歌がお世話になっていたのか。そしてそれが、どれほど大変で迷惑なことだったのか。


「……すまなかったのじゃ、結希」


「今さらなんのことですか?」


 呆れたような声色だった。ほら、やっぱりね。


「……鈴歌のことじゃ。わらわは、同じく引きこもって傍にいることしかできなかった」


 それも、私が大学を卒業して熾夏が帰国してからの三ヶ月間だけだけど。


「色々と察することはできたんですけど、それって別に謝ることじゃないですからね」


「気を遣わなくても良いのじゃぞ? アレは、わらわがどうにかすべきだったのじゃ。じゃから……」


「あんまり謝ると謝罪の価値が下がるって、青葉先生言ってましたよ」


 故意なのか、心臓が止まるかと思った。


「……そこであの人の名を出すのはずるいぞい?」


 結希にあえて甘えて、鈴歌の話でこの痛みを忘れようとしてたのに。誰かから又聞きする青葉先生は、ちゃんと私の知っている青葉先生だった。

 私はずっと、特別扱いされていると勘違いしていたらしい。それなら青葉先生のあの態度も頷けるし、ほんとに恥ずかしくてままならない初恋だった。


「……すみません」


「おやぁ? 言ってるそばから謝罪の価値が下がったぞい?」


「揚げ足取らないでくれます?」


 怒ったのか、ぐるんと一回転して私を揺らす。

 おぇってなって頭を下げると、視界の情報量が狭ばって色々と考えてしまう。そして何度も何度も突き刺さる失恋の痛みに耐えきれず、私はじんわりと滲む目を結希の肩に当てた。


「……結希のせいじゃからな、慰めろ」


「まぁ、普通に青葉先生よりもいい人は腐るほどいますよね。ていうか、あんな人は依檻さんの後処理に疲れて五年後禿げればいいんですよ」


 慰めろって言ってるのに、文句に変わっていく。でも、私もそう思う。いお姉のせいで五年後禿げてしまえ。そして生徒から笑われてしまえ。そう思ったら溜飲が下がった。


「ふふっ。お主はわかっておるなぁ〜、わらわのこと」


 似ていると思ったのは、互いに性根が腐っているからだろうか。性格が綺麗な人は禿げろなんて言わないだろうし、人を悪く言って溜飲を下げない。


「どうじゃ結希、わらわは失恋したばかりじゃからな。今あたっくすればころっと落ちてしまうかもしれないぞい?」


 気丈に振る舞うが、これも迷惑だってわかっていた。


「馬鹿言えるほど元気ならここで下ろしますよ?」


「ふふん。わらわは結希の姉じゃからな、わがままくらい言っても良かろう」


 それでも私は、性格が悪いからやらかしてしまう。


「わかりましたよ、朱亜姉しゅあねぇ


「へっ?! なななな何を言うておるのじゃお主は!」


「姉だから〜って先に言ったのは朱亜姉ですよ」


「確かに!」


 朱亜姉なんて何度も何度も呼ばれているけれど、なんでこんなに恥ずかしいんだろう。何気なく呼ばれていたその呼び名の、言葉の力はなんて強かったんだろう。


「結希、きーぷじゃ! 一生そう呼んでくれ!」


「はあ?」


「そう呼ばれると力が湧いてくるんじゃ」


 誰よりも強い結希の姉である限り、青葉先生がいなくても私は折れない。



「──ずっと、わらわのことをそう呼んでおくれ」



 力が湧くから、失恋しても一人ぼっちでも頑張れる。


「いいですけど、あまり力を入れすぎないでくださいね。朱亜姉は馬鹿なんですから」


「馬鹿とはなんじゃ!」


 不意に視線を巡らせると、視界に向日葵が咲いているのが見えた。


 向日葵が咲く日は、いつだって今日を思い出す。そう思って、陽だまりのような結希に回す腕の力を少し強めた。

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