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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第四章 真綿の首輪
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八  『三つ子の思い』

 車を駐車場に止めると、日陰で蹲っていた鈴歌れいかがゆっくりと顔を上げた。

 朱亜しゅあは真っ先に運転席を出、後部座の扉を開けて中を覗く。そんな三つ子の妹を眺めながら、鈴歌はゆらりと立ち上がり──この暑さにも関わらず、朱亜の元へと歩いて頬ずりをした。


「…………おかえり」


「ただいまなのじゃ、鈴歌。悪いがちと頼めるかのぅ?」


「…………うん。だから、待ってた」


「待ってた? 珍しいこともあるものじゃな、お主は極度の面倒臭がり屋じゃというのに……」


 そもそも鈴歌が外に出ている時点で驚き物だが、朱亜は他人の為にわざわざ動いた鈴歌にしか興味関心を持たなかった。


「昨日も、わらわに直前まで内緒にして、アルバイトまで始めよって……。一体、どういう心境の変化じゃったのじゃ?」


 青葉あおばと話した時は嬉しさが勝っていたが、この声色はどう聞いても寂しさが勝っていた。


 目を閉じて体を丸めながら横になっていた結希ゆうきは、再び盗み聞きしてはいけない雰囲気に呑まれて寝たフリを決め込む。


「…………今、〝風〟が、吹いているから」


 鈴歌は鈴歌で何を思っていたのか、結希の想像以上に淡々と、朱亜の予想の斜め上の答えを出して息を吐いた。


「風?」


「…………四月に、シイカがアメリカから帰ってきた」


 同じく三つ子の妹の名を出して、鈴歌は結希の足首を鷲掴む。そのままずるずると引っ張り出し、軽々と自分の肩に結希の腕を回して背筋を伸ばした。


「…………そして、ユウキが来た」


「うむ? そうじゃな。四月は一度にいろんなことがあった」


「…………アグリが動き出したのも、全部〝風〟の流れ。大いなる〝風〟の一部分。だから、〝風〟と一緒にボクは飛ぶ。ボクは……たくさんの〝風〟から、キョーダイを守る」


 決意を滲ませて、鈴歌は一歩ずつ歩き出す。しっかりとした足取りのまま、自分よりも背の高い結希を引きずり──そして最後に、まっすぐに前だけを見つめた。

 薄目を開けていた結希は寝たフリを止め、肩を借りながらも自分の足で歩く。喉が痛くて声は出なかったが、肩の重みの変化に気づいた鈴歌はすぐ傍にある結希の顔を見上げ──



「…………──ボクが、絶対に守るから」



 ──今までで一番優しく、その秘められた決意を告げた。


 鈴歌が今結希を支えているその体は、先月、亜紅里あぐりに狙撃された際に貫かれた体だ。言葉通りに結希を守った鈴歌の言の葉の重さは、本心が見えない亜紅里よりも重く。


「鈴歌……」


 未だに車の傍から動こうとしない朱亜に錘をつけ、さらに動きを封じさせた。


「…………シュア、開けて」


「うむっ!? す、すまない! 今から開けるのじゃ!」


 鈴歌は自分を追い越す朱亜の背中を眺め、僅かに俯く。そして、ことあるごとに自分を背負わせていた結希を力任せに背負って再び歩を進めた。


 昨日とは位置が逆転したまま玄関につくと、日曜だというのに靴がほとんどなかった。家は平日のように静かで、この静けさに慣れている朱亜と鈴歌は平然としたまま靴を脱ぐ。


「……鈴歌さん」


 掠れた声で抗議しながら、結希は背負われる前に抵抗しようとして殴られた頬を触った。


「…………シュア」


「うむ? あぁ、そうじゃな。結希の靴を脱がさねば」


「そういう意味じゃないんですけど……っ!?」


 無理矢理下りようとすると、どこから飛んできたのか後頭部に鈴歌のチョップが当たった。

 地味な痛みと無意味な暴力に心が折れ、こじらせた風邪のせいで吐き気を催しながら結希は口元に手をあてがう。六年しかない記憶の中で、今日という日ほど絶不調な日はなく──もしかしたらこのまま死ぬのかもしれないと本気で思った。


「さぁさ、とりあえずリビングに行くぞい? 五階まで行くのは面倒じゃからなぁ」


「…………了解」


 そんな結希を背負ったまま、重たそうな素振りを一切見せずに鈴歌は階段を駆け上がる。

 一反木綿いったんもめんの時の丁寧な動きはどこへ行ったのか、リビングについた鈴歌は結希をどうするのか迷い、若干振り回した。遅れて到着した朱亜はその様子を呆れたように眺め、和夏わかなが爆睡しているソファを指差し──


「そこに寝かせておけ。結希、わらわはお粥を作るが何かリクエストはあるかのぅ?」


 ──キッチンへと向いながらそう尋ねた。


「…………シュア」


「うむ?」


「…………息、してない」


「何故じゃ?!」


 エプロンを握り締めたまま慌ただしくソファへと向かうと、すっかりグロッキー状態となった結希が現世と常世の往来を繰り返していた。


「し、死ぬでない! 生き返るのじゃ! わらわは姉として、お主に何も残していないのじゃぞ?!」


「…………守れなかった。…………なむなむ」


 朱亜はひたすら結希を揺さぶり、鈴歌はソファの前で合掌する。

 中途半端に意識があったせいか、さらなる吐き気が込み上がるのを感じ、意識が続いていくのを拒絶した刹那──


「……ちょっと。バカじゃないの? 二人とも」


 ──聞き覚えのある声に、生まれて初めて出逢えて良かったと思えた。


熾夏しいか!」


「…………おー…………」


 薄目を開けると、いつもの白衣姿の熾夏が扉に寄りかかっていた。ぼんやりとでしか見れない熾夏は、機嫌が悪いのか声が低めで言葉には棘が含まれている。


「病人を雑に扱っちゃダメでしょーが。……まったく、姉として失格すぎ。反省だよ反省。弟クンがかわいそう」


 姉の鈴歌と妹の朱亜を叱り、ゆらゆらと歩いてくる熾夏は気だるそうにしゃがんで結希を千里眼で見つめた。


「風邪はこじらせたら面倒なんだよ。実際それで、翔太しょうたクンは入院してるしね」


「…………ショウタ?」


相豆院そうまいん家の息子じゃよ。と言っても、覚えておらんのも無理はないかのぅ? 彼奴は生まれた時から病弱で、会にもほとんど顔を出さなかったしの」


 最近見ないと思っていたが、あれだけ付き纏われているにも関わらずそれを聞いたのは初めてだった。

 熾夏はあまり翔太の話題を出したがらないが、四月の件があったからだろう。入院している翔太の情報を結希に伝え、お見舞いに行きたければ行けば? と暗に言っているような気がした。


「ねぇ弟クン、風邪引いたの初めてでしょ? 初めてだからわけわかんなくて、混乱してる感じがする。病院戻ったら処方箋速達しとくね」


 熾夏はふらりと立ち上がり、目元を擦ってソファに沈む。「あと、どっちでもいいから水持ってきて〜」と、和夏に折り重なるようにして横になった。


「う、うむ。というかどうしたのじゃ? 目の下のくまがすごいぞい?」


「病院と戦ってるの〜……。あいつら、ほんと意味わかんないっつーの。あ〜あ、今日中に冬乃ふゆの先輩に協力してもらえるよう頼まないと……」


「…………マリねぇのこと?」


「そ〜そ〜。聞いてよ鈴歌〜、明彦あきひこ先輩とふう先輩がさ〜、今日がまり姉の誕生日だって知ってるくせに、面会謝絶にしたんだよ〜? それでシロねぇが病院でキレててさ〜……色々あって、今日は泊まり込み決定だしぃ……」


「シラフじゃというのに、随分と荒れておるのぅ……。気持ちはまったくわからぬが、愚痴ならいつでも聞くぞい?」


 朱亜から水を奪い取り、熾夏は一気にそれを飲み干す。

 結希は何もやる気が起きなかったが、そっと目の前に差し出されたのは熾夏と同じ水だった。


「ぷはぁっ……! 朱亜ちゃんやっさし〜! ありがとね、なんか元気出た」


 少しは動けるようになった体を起こし、結希も水を一気に飲み干す。何よりも痛かった喉が潤っていくのを感じ、熾夏と並んでほっと息を吐いた。


「忘れるでないぞ、熾夏。わらわたちは三つ子じゃ。死ぬ時も墓も一緒じゃよ」


 直後に咳が出、思い出したかのようにくしゃみも出る。頭も痛むわ体の節々も痛むわでどっと疲れが出たが、明日は学校だ。これ以上は普通に休めない。


「…………え」


 五階の自室に行って休むのも確かに億劫で、結希は再びソファに横になった。


「何故そこで嫌がるのじゃあ〜! 結希、鈴歌になんか言ってやれ!」


「……え? あ〜……、野菜は全部抜いてください」


「お粥の話ではないぞい?! 結希、お主わざとなのか?! わざとボケておるのか?!」


「確かに、今の弟クンは思考を放棄してるよね。っていうか、脳に酸素が回ってないから眠いんじゃない? なるべく早く薬を送ってあげるから、大人しく待っててね。てことで私もう行くから」


 よっこらせ、と腰を上げ、荷物を取りに戻ってきただけの熾夏は自室へと階段を上っていく。

 引きこもりの鈴歌は昨日の今日で疲れが出たのか、張り詰めていた糸を緩めてうとうととし始めた。


「まったく、わらわまでどっと疲れたのじゃ……。鈴歌、寝るなら床はやめておけ。体を痛めるぞい?」


「…………ん」


「結希ももう寝たのかのぅ? 此奴は単位がヤバいといおねぇが言っておったから、色々と心配なのじゃが」


「…………シュアが、なんとかしてあげたら?」


「わらわが?」


「…………きょーしょく、取ってたでしょ?」


「あぁ、アレか。ううむ、弟の為に一肌脱ぐかのぅ」


「…………頑張って。シュアは、ボクよりもずっと〝お姉ちゃん〟、だから」


 朱亜が鈴歌を見下ろすと、鈴歌は既に眠っていた。


「床では寝るなと言うたばっかじゃろ……。まったく、結希も和夏も鈴歌もお眠りさんじゃなぁ? うちの家にはお眠りさんしかおらんのか?」


 朱亜は一人、愚痴とも言えない小言を呟きながらため息をつく。そして顔を上げ、久しぶりに腹を割って話せた気がする熾夏を思った。


 六年前から時が止まった鈴歌と、六年前から生き急ぐ熾夏。


 そのどちらでもない自分が普通なのだとどうしても思えずに──また、動けなくなった。

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