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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第四章 真綿の首輪
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三  『信用とご飯は裏切らない』

「まったく。副会長、亜紅里あぐり、貴様らは私の右腕と左腕としての自覚がないのか?」


 補習が終わり、着替えを済ませて更衣室を出た結希ゆうきと亜紅里を順に見つめて肩を竦めたのはヒナギクだった。彼女はプールに隣接する更衣室前のベンチに座っており、日焼け止めを塗っていた手を止める。


「あるある大アリ! だからお願い、捨てないでっ!」


 そんなヒナギクの腰に大袈裟に抱きつき、亜紅里はいやいやと懇願するような勢いで首を横に振った。それを力ずくで引き剥がし、ヒナギクは傍らに置いた日傘を杖のように持って神のごとく優雅に振るう。


「ならば一学期中に単位を取り戻せ。私は貴様らを誇りに思っているが、生徒会の名が堕ちるのを良しとはしないぞ」


 それに真っ先に反応したのは、やはり過剰に同意した亜紅里だった。怯えているのではなく、神に心酔する信徒のようにも見える。

 信じるから助けてくれ。そんな亜紅里の心の声が聞こえたような気がした。


 対して結希は、辟易とした表情で気のない返事をし、ヒナギクに睨まれて慌てて背筋を正す。それは出逢ってから三ヶ月で築かれたヒナギクへの親愛の証だったが、真面目な話だったらしい。失敗した。


「副会長、話がある。亜紅里は京子きょうこと共に向こうで待て」


「わ、わかった」


 ヒナギクの言う話に心当たりなんてものはなかったが、結希はそれを伝える為だけにここまでやって来た彼女にはっきりと返事をし、顔色を伺った。

 するとヒナギクは満足気に頷き、木に寄りかかって待機していた女性に目配せをする。女性は結希を見て軽く手を振り、どこかで会っただろうかと思い返して記憶と合致した。


 彼女は先月の陰陽師おんみょうじの定例会にいた、女性陰陽師──三善みよし京子だ。


 正装ではないからか、雰囲気が随分と変わっていたせいで気がつかなかった。

 緑色がかった黒髪を朱色の珠がついた簪で留め、年相応でありつつもお洒落でカジュアルな服装が勝気そうな彼女にはとても合っている。


「うげっ」


 そんな京子が進み出る度に徐々に後退した亜紅里は、頬を思い切り引きつらせて結希の後ろに隠れた。


「こら亜紅里。結希に甘えるんじゃないよ、また呪われたいのかい?」


 母親──にしては少し若い世代だが、干支を一周してもまだ足りないくらい年が上になる女性に叱られ、亜紅里は強ばっていた頬の筋肉を緩めた。

 防衛本能として笑う為ではなく、無表情になる為に。


「残念だが、私にそんな趣味はない」


 背筋を伸ばし、結希の後ろからほんの少しだけ前に出て京子に告げる。天色の瞳に宿った明確な敵意は、意外なことに京子にだけ向けられていた。


「そんなに呪われたくないのかい?」


「当たり前だ。この先再び呪われることになるのなら、それは私の意思ではなく〝主君〟の意向だ」


 したり顔の京子に、相手にするのも馬鹿らしそうな表情の亜紅里が淡々と答える。


「ふふっ。馬鹿だね、冗談だよ。ちょっとあんたを揶揄っただけさ」


「馬鹿はそっちだ。私はただ、この二人に自分の意思を伝えたかっただけ。お前を利用しただけだ」


 今はまだそれでいいと、京子は母親のような深い愛情で亜紅里を受け止め、年が近い親子のような──年が離れた姉妹のような距離感のまま、ヒナギクの指示に従った。


「遅くなってすまなかったな」


「何が?」


「亜紅里の釈放の件だ。私はまだ、権力で他の頭首を黙らせるほど強くなくてな」


「……サラっと怖いことを言うなよ」


 咎めるつもりではなかったが、またヒナギクに睨まれた。


綿之瀬乾わたのせいぬいが、もう敵じゃないから大丈夫だと証言してくれた。が、いくらサトリの半妖はんようとはいえ小娘の証言一つで決定を下すほど奴らは馬鹿じゃない。だから、頭首代行として参加していたるいが〝呪い〟を提案したんだ」


 従妹の従兄という、閉鎖された空間にいて初めて成り立つ遠縁──涙。結希は先月再会した口下手な彼を思い出し、あの人なら無表情で言いそうだなぁと苦笑しつつも納得した。


「奴らもそれならと納得して、今日から京子の家に住まわせることになったんだ」


 亜紅里に術をかけたのは、京子だ。陰陽師が監視役として必要ならば、彼女ほど妥当な人材はいないだろう。当然と言えば当然だ。


「私からは以上だが、副会長、貴様からも報告があるんじゃないのか?」


 刹那、コバルトブルーの瞳が結希に向けられた。


「あー……」


 歯切れが悪そうな返事をしたのが、また間違いだったらしい。


「さっきからなんなんだ副会長。最近弛んでいるんじゃないのか?」


 ヒナギクは短い眉を釣り上げ、日傘でビジバシと結希の足を叩いた。ヒナギクの言うことも最もだったが、これが百妖ひゃくおう結希という人間だ。悪意はない。


「……悪い」


 言いたいことは山ほどあったが、面倒なことになる前に切り上げる。ヒナギクは盛大にため息をつき、日傘ではなく自身の指で結希の頸動脈を突いた。


「言ったはずだ。私に隠しごとをしたら──調教だ、と」


 殺す気満々じゃないか。


 結希は止めていた息を吐き、逡巡して辺りに落ちていた枝を拾った。張り詰めた弓のようなヒナギクは、たったそれだけで無知な子供のように表情を緩める。結希は舗装された道から離れ、土壌の部分に枝で文字を書いた。

 フランス人形のように端正なヒナギクは、その高貴さ故に知らなかった伝達方法に釘づけになり──すぐに眉間に皺を寄せた。


「……まさか」


「事実だ」


 結希は文字を足で踏み消して枝を放る。母親の朝日あさひを含む陰陽師の一部が再び町を出たのは、今朝方のことだった。


 先月は陰陽師の会があった為、全員一時帰省を余儀なくされた。が、町外で発生した妖怪が全滅したわけでも原因が解明されたわけでもない。町内の問題でさえ、亜紅里が言った通り全貌が解明されたわけでもないのだ。


 敵に悟られぬよう、陰陽師が極秘に一部を町外に出した。

 悟られないまま事態が解決するならそれがいい。が、悟られた場合は内通者の可能性を考慮する必要がある──。


 本来であれば機密事項だが、ヒナギクは仲間だ。信じて話す。決して〝友達〟ではない。


「信じられないか?」


「それこそ『まさか』だ。貴様のことは亜紅里同様信用している。だから貴様も亜紅里を信用しろ」


 何故ヒナギクは、根拠もなくそう言えるのだろう。

 乾の言うことが間違いだとも思わないし、京子の呪縛が脆弱だとも思わない。それでも猜疑心が残るのは、結希が自分の経験と言葉でそれを断言できないからだった。


 仲間になって欲しかった自分の言葉に嘘はない。だが、完全に信用するには何かが欠けていた。


「……わかった」


 それでも結希は、亜紅里を信用するヒナギクを信用している。ヒナギクは今度こそ満足気に頷いた。





 駅前に来たのは何年ぶりだろう。学園の目の前からバスで直行したが、同じ町内とはいえまったく利用しない駅前は数年前と何も変わっていなかった。


 その代表例として上げられる広場の噴水前に、見知った金髪を見つけて結希ゆうきは近づく。ここに呼び出した張本人は、まっすぐに手を伸ばしてぶんぶんと腕を振り回した。


「お前それ恥ずかしいからやめろよ」


「いきなりひでぇ!」


 余程ショックだったのか、大慌てで手を下ろす。直後、深海色の瞳が結希を睨んだ。


「つかおーまーえー! せっかく俺が久しぶりにメシ奢るっつってんのに、んなこと言ったら奢んねぇぞ!?」


「ごめんな」


「許さん! メシが絡むと素直に謝るお前の性格は絶対に許さん!」


「ご飯は俺を裏切らないからな」


 風丸かぜまるは結希の返答に目を丸くさせ、すぐに憐れむような視線を送った。


「お前もう極貧生活送ってないんだからやめろよ……。マジで可哀想になってくるからさ……。補習組だし……」


「補習は関係ねぇだろ。ていうか、お前ん家と比較したらどこの家も極貧になるんだけど?」


 そもそも、風丸が思っているような意味ではない。白米だけがどんな料理下手でも美味しく炊けるというだけの話だ。ちなみに、自慢じゃないが結希とスザクの得意料理も白米だった。


「えぇー? 俺んちって言うほど金持ちじゃねーぞ? 儲けた金はいっつも祭りの費用に消えるし」


「は、私財使ってんの?」


「おう。春祭りも夏祭りも秋祭りも初詣もぜーんぶ小倉おぐら家の負担なんだよなー。つーかさ、今年の夏祭りも明日菜あすなと一緒に来んの?」


「いや、まだ誘ってないし誘われてもないから未定」


 今月末に行われる夏祭りの話をしながら、風丸が足を向けたのは雑居ビル地区だった。

 駅前から道を外れると広がり始めるこの地区は、元々治安が悪く一度も行ったことがない。が、この辺りを牛耳っていた愚連隊が最近になって消滅したおかげで随分と明るくなっていた。


「ふーん。あ、ここここ。このビルな」


 遠くまで続く雑居ビルの一つを指差し、結希は顔を上げる。他のビルと比べると新しそうだが、ゴテゴテとした看板が並ぶ様はやはり雑居ビルだった。


「なぁ知ってる? このビル十年くらい前に一度燃えたらしいぜ」


「へぇー」


「ちょっとは関心示せよ!」


 十年前の記憶がないからなぁ。と、脳内で言葉を返しながら結希は風丸の後を追った。


 エレベーターに乗り込み、百妖ひゃくおう家に居候することになってから一度もなかった外食に胸が踊るのを感じる。

 朝日あさひから小遣いを一度も貰えず、最初は嫌々だったせいで行った頻度は少なかったが──口には出さずとも、今は風丸に感謝していた。


「帰る」


「なんで?!」


 エレベーターが開いた直後、一番に目を引いたのはメイド服を来た数名の女性だった。


「いーじゃん! 今日はここでメシ食おうぜ! な?!」


「帰る」


 こういうのがあるから容易く感謝を言えないんだ。仕方なくエレベーターから離れると、フロア全体がメイド喫茶になっており逃げ場がないことを物語っていることに気づく。


 じろりと風丸を睨み、来客に対応しようと出てきたメイドに視線を向けて──言葉を、失った。


「…………いらっしゃいませ、ご主人様」


 綿のようにふんわりとした黒い髪。ツインテールを想起させるそれにはなんの装飾も飾られてなく、薄化粧をしているせいかいつも以上に浮世離れして見える美しい容姿。


 意外と髪が長かったんだとか、意外と着痩せするタイプだったんだとか、そもそもなんでここにいるのかとか、言いたいことが山ほどありすぎて逆に何一つ言えなかった。


「れっ、鈴歌れいかさん?!」


 ただ、目の前に立つメイド服姿の女性の名前だけは言えた。

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