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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第四章 真綿の首輪
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二  『錆びれた機械人形』

「あーあ。やっぱり受け止められちゃったわね」


 演技じみた悔しそうな表情でプールサイドに立つ長身の女性は、依檻いおりだった。

 太陽に負けないほど暑く燃え上がる、鮮やかなオレンジ色の髪。それと同じくサイドに結ばれた、野生動物の尻尾の如き一束の白髪。ブラウンの双眸は好奇心旺盛に輝き、目鼻立ちがハッキリとした色っぽい顔は二人を見て緩んだ。


「そんなのあったり前でしょ〜。あたしは阿狐亜紅里あぎつねあぐりだよ? これくらいかんたんかんたん〜」


 水風船をお手玉の要領で投げ遊んでいた依檻は、何故か勝ち誇ったような表情を浮かべる亜紅里の濡れた顔面を眺めてにやりと口角を上げた。


「ま、別にいいわ。これでちょっとは気が晴れたしね」


 依檻も依檻で結希ゆうきと同じく亜紅里には思うところがあったらしい。晴れ晴れとした表情で亜紅里を見下ろし、次の瞬間なんのわだかまりもなさそうな表情で笑みを浮かべた。


「そんなことより、二人はくっつき合って何をしているの? 今はプールの補習の時間であって、不純異性交遊の時間じゃないんだけど?」


 いや、ブラウンの双眸はまったく笑っていなかった。


「くひひっ、わかってたなら邪魔しないでほし……」


「してませんけど」


 言葉自体を理解したわけではないが、存在そのものが不純な依檻に言われて結希はぶっきらぼうにそう答えた。

 面白がって肯定する亜紅里を睨むも、亜紅里は裏の亜紅里が見せるような感情を一切表に出していない。結希を貶めたいのではなく、心の底からこの状況を面白がっていた。


「一体どっちなのよ。私は結希を信じるけれど、青葉あおばさんはどう思う?」


 ふと依檻が真後ろに視線をやると、そこには依檻と同じくTシャツにジャージというラフな格好をした青葉が立っていた。


「これ、依檻。一人の生徒を贔屓するのは教師として良くないぞい?」


 《十八名家じゅうはちめいか首御千しゅうおんぜん家の嫡男は、肯定も否定もせずに同僚の依檻を叱る。

 そう言う青葉もあまり快くは思っていないのだろう。亜紅里を見つめる眼鏡の奥の知的な青目は、猜疑心が見え隠れしていた。


「だって結希は私の可愛い可愛い弟だもの、贔屓したくなっちゃうじゃない。青葉さんだって〝妹〟がいたら可愛いって思うでしょ?」


「呪い殺すぞ」


「ちょっと待って青葉さん、いつものおじいちゃん口調が消え……ぐへぇっ! 痛いっ! 全然呪ってないじゃない!」


 後ろから依檻の首に腕を回し、遠慮なく締め上げる青葉の瞳からあっという間に猜疑心が消える。じゃれ合っている気でいるのか依檻は笑っているが、青葉からは明らかな負のオーラが漂っていた。

 やがて不愉快そうに腕を離し、青葉は眼鏡のブリッジを上げる。普段は長袖で隠れているが、鍛えているのか意外と逞しい腕を見て依檻が簡単に負けたのも合点がいった。


「さてさて。冗談はこのくらいにしておいて、さっさと補習を始めるぞい」


「……冗談だったんですか今の」


 力尽きた依檻がプールサイドに寝そべっているのを無視し、青葉は朗らかに笑う。

 依檻にのみ見せる顔とその他大勢に見せる顔とのギャップがある青葉は、ある意味人間らしく──結希はそこに親しみを覚えていた。


「ううむ? 我輩昔から冗談が苦手じゃから、引っかかってくれて嬉しいのじゃけれども。教師としては依檻のような女に騙されそうで心配じゃな?」


「っえ。いや、騙されませんからね!?」


「あたしは気づいてたけど? ま、だからゆうゆうの隣はあたしがお似合いなんだけどね〜」


「話がややこしくなるから亜紅里は黙ってろ!」


「えぇ〜。あたしが黙ったら冗談は見抜けないと思うけど?」


 くひひっと歯を見せて笑う亜紅里は口元を手で隠し、反対の肘で結希を小突いた。決して暴力的ではない、親しい間柄の人間にするようなそれに結希は一瞬だけたじろぐ。

 そんな二人を我が子を見るような目で眺め、青葉は口を挟んだ。


「間に入るようで申し訳ないんじゃが、そろそろ本題に入るぞい? 現実逃避しないで聞いてほしいんじゃが──圧倒的に単位が足りとらん結希と亜紅里の為に、我輩ら教員は休日返上で補習授業を設けることにしたのじゃ」


 そして親しみが消えた。


「そうそう。むしろ感謝してもいいわよ? 結希は出席日数と期末テストの点数が絶望的だし、あっちゃんに至っては受けてさえいないもの。二人がそうなった理由は私と青葉さんがちゃんと知っているから、安心して挽回しなさい」


 正論を前に文句の一つも言えず、結希はぐっと言葉を飲み込む。

 麻露ましろにさえ頑なに話していない期末テストの点数を、この姉であり担任でもある炎の魔物は知っているのだ。


「さぁさぁ、無駄な時間なんてどこにもないわよ? 私と青葉さんが見ていてあげてるんだから、さっさと泳いで終わらせなさい?」


「補習組は他にもたくさんおるが、二人は学園長の意向もあって特別扱いじゃしの。効率化の為にもレーンは別れてやっておくれ」


「夏休みまであと一週間とちょっとだし、それまでに単位が取れるといいわね〜」


 意外とノリがいい教師陣に生返事をしながら、結希と亜紅里は位置につく。

 結希は渋い表情のまま、亜紅里に突き落とされた瞬間に手放したキャップとゴーグルを着用して体を沈め、壁を蹴った。





「…………ねぇ青葉あおばさん、二人は泳いでいるのよね? 溺れているわけじゃないのよね?」


「…………ううむ、息継ぎは一応できておるしのぅ? あんな泳ぎは初めて見るが、大丈夫じゃろ。……多分」


 依檻いおりと顔を見合わせた青葉は、自らの教師人生を振り返って首を捻った。水しぶきを大きく上げる二人から距離を取り、青葉は顔を顰めて僅かに濡れた黒縁眼鏡を取る。


「そうねぇ……? まだ十メートルも泳げていないけれど、様子見しましょうか。結希ゆうきって顔だけは優等生っぽいけれど、こうして長くつき合っているとだいぶボロが出てきて面白いのよねぇ。見ていて飽きないっていうか」


「依檻。人の欠点を笑うのは教師としてあるまじき姿じゃぞ? いい加減直せ。……二人の場合、事情が事情じゃから笑いどころさえないというのに」


「はいはいはいはい努力しますって。ていうか、私は青葉さんが思っている以上に色々と知っているわよ? 結希は六年しか記憶がなくて、あっちゃんは学校に通うことさえ初めてなんでしょう?」


「……知っておったのか。結希のこと」


 青葉は眼鏡をかけ直し、少し意外そうな表情で依檻を見下ろした。亜紅里の件は本人の自白によって知れ渡っているが、結希の場合は違う。


「もちろんよ。だって、世界で一番可愛い可愛い弟のことだもの。記憶を全部失ったんだから、他の子よりもできないのは当然だわ」


 姉として誰よりも結希を溺愛する依檻は、上手く泳げずに足をついて首を傾げる義理の弟をブラウンの双眸で見据えた。


「……嘘は良くないぞい? 当時、その事実だけ百妖ひゃくおうの連中には知らせていないのじゃから」


「余計なお世話をどうもありがとう。まぁ、当時のあの子たちに私の目の前で代償を払った結希のことを教えたら──発狂モノだったでしょうけどね」


 刹那、青葉の体が強ばった。

 見開かれた青目は変わらず依檻を眺め続け、錆びついた機械人形のようなぎこちなさで唇を開く。思考回路が止まったかのような長い長い間を受け、依檻はへらりと笑った。


「やだなぁ青葉さん、六年前の話だよ? さすがにもう……ねぇ?」


「……〝もう〟じゃないじゃろ、愚か者。お主の妹を見ていれば、〝まだ〟じゃ」


 三十歳の割には子供のような怯えを内包させ、青葉は視線を伏せた。教師として六年間百妖姉妹を見てきた青葉は、日差しが強い屋外にも関わらずぶるりと身を震わせる。

 黙ったまま青葉を一瞥する依檻は、冷酷とも受け取れる落ち着いたブラウンの双眸をまばたきさせ──瞑目した。


「よく見てるわね、〝先生〟」


「……あまり大人を揶揄うでないぞ、〝クソガキ〟」


「あらやだ、四歳差なのに子供扱いされちゃったわね。私ってそんなに色気がないのかしら〜」


 依檻は露骨に肩を上げ、演技っぽい嘆きの表情をする。が、それは一瞬で、亜紅里と似通う部分を持つ依檻も本心を見せずにへらへらと笑った。


「笑うな。感覚が麻痺しても良いのか?」


 情けなさが滲み出ていた青葉は、やがて厳しい視線を依檻に投げつけて黙らせた。


「お主の感覚がぶっ壊れとるのは昔からじゃが、今のようなふざけた態度を取るのは結希との件が尾を引いとるからか? お主は、目の前で大規模な術を駆使し記憶を失った結希に贖罪を求め、許されたいのか?」


 錆びついた機械人形は、こうして会話をしている間も思考を止めなかった。最善を選択する為に思考だけは放棄せず、無力であるにも関わらず最前線で戦う者の一人として大切な後輩の身を案じる。

 依檻は面を食らったような表情で黙考し──


「甘いわね。現実って、青葉さんが思っている以上に残酷なのよ?」


 ──再びへらっと、今度は弱々しく笑みを浮かべた。


 青葉は言葉を失い、その意味を考える。が、それ以上の詮索は許されなかった。


「ほぅ? わかっているのなら何故助けようとしないんだ?」


 青葉の思考を絶妙なタイミングで邪魔する声。そして現れた少女は、心底不思議がるようにして二人のすぐ後ろに立った。


「ひ、ヒナギク? お主、何故ここに……」


「へっ? ちょっ、結希?! あっちゃん?! お願いだから溺れないでくれる?!」


 振り返った青葉は困惑気味に、そしてさすがに焦ったのか依檻はプールに飛び込んで二人の下へと泳いだ。


「何故も何も、私の右腕と左腕が補習を受けていると言うから見に来ただけだ」


 日傘の中棒を肩で支え、暑そうに量の多い銀色の髪を掻きあげるヒナギクは体操服姿だった。ツインテールでもポニーテールでもないストレートの髪を今さらゴムで結び、ふぅと息をつく。


「ヒナギクの言う右腕の意味を考えると、それに対応する左腕という言葉はないぞい?」


 専門は古典だが大まかに言えば国語教師の部類に入る青葉がそれを指摘するも、ヒナギクは不快そうな表情でそれを無視した。

 教師と生徒だが、古くから上下関係のある両家の跡取りがこの二人だった。青葉は立場上、ヒナギクに無視されても気にすることなく依檻に救出された二人の生徒を見下ろす。


「ちょっと青葉さん、私にだけ重労働させないでくれる?」


「すまんのぅ。我輩、貧弱じゃから」


 気づいた時には依檻が助けていたとは言わず、青葉は平然と冗談を吐いた。

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