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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第四章 真綿の首輪
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一  『少女が降り立つ日』

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


 青い水面が乱反射する。照りつけるような暑さのせいで背中に不快な痒みを感じ、掻かないように手を握り締める。休日の午前だと言うのに、この仕打ちはなんだろう。

 結希ゆうき陽陰おういん学園の屋外プールを恨めしそうに眺め、その縁ギリギリに突っ立った。


 百妖ひゃくおう結希が泳げないのは割と知られていない事実の一つで、できればすぐにでもどうにかしたい不得手の一つだ。しかし、背中の火傷や正面の刀傷が悪目立ちをしているせいで、今のところ一回も授業内で泳いだことがない。

 今日はその補習日だが──四月と五月の入院も相俟って、結希は圧倒的な単位不足に悩まされていた。


「──ッ!」


 塩素の匂いに混じった、香木──シナモンの匂い。振り返る暇もないまま突き飛ばされ、プールに落下した結希が見たのは眼球を刺激する大量の水だった。


「ぶはっ……! げほげほっ…………おえっ」


「へぇ〜、本当に泳げないんだ」


 嫌味に聞こえるが、思ったことをそのまま口にしたかのような口調だった。


 突き落とした張本人は大きな瞳を眩しさに細め、目が合った途端綺麗な逆三角形の笑顔を見せる。牛革のような高級感溢れる茶髪。澄んだ空のような天色の瞳。

 出自の高貴さを感じさせるそれらを憎めない愛らしさで中和させ、太陽の光を目一杯受けた輝きをそのまま自身の魅力に変える少女は──



「──亜紅里あぐり



 先月の十一日に現行犯逮捕された亜紅里だった。


 あの日から約一ヶ月経った今日、久しぶりにその姿を見た結希は驚きのあまり言葉を失う。亜紅里に対する《十八名家じゅうはちめいか》の意見はヒナギクから聞いていたが、会うことはまだまだ先のことだと思っていた。


 なんとなく亜紅里を直視できず、結希は目を細める。同じくスクール水着を着用しているところまで確認し、視線は無意識に下に落ちた。

 余計な脂肪を根こそぎ落とした細身の体格に映える、年相応の脂肪。特に目を引く部位への視線に気づいた亜紅里は、狐を彷彿とさせる妖しげなにやけ顔で一言。


「あ、見たい?」


「今度同じことを言ったら一生呪うからな」


「あははっ、勘弁してよ」


 亜紅里は胸元に指をかけ、過度に見えない程度に水着を引っ張った。

 匂いに反応した時とは打って変わり、反応が遅れた結希はくっつきそうでくっつかない谷間を思いきり視認する。頭で考えるよりも先に見えたのは、胸元にひっそりと張りつく人型の紙だった。


擬人式神ぎじんしきがみ……!」


「ふぅ〜ん。そういう呼び方なんだ、これ」


 亜紅里はあっけらかんと笑っているが、それは自分の意思を持った上位の擬人式神だった。

 同じ意思を持っているスザクのような式神とはまったく異なる生まれ方をし、主に草木や紙を人型にして使用する擬人式神。用途さえ異なるそれは、本来災いから護る為に存在しているが──何故か、〝しゅ〟が込められていた。


「ゆうゆうなら見たらわかると思うけれど、もう呪われてるの。あたし」


「……それで釈放されたのか?」


「そうそう。ヒーちゃんが『それなら』って妥協して。あたしの意思なんてどこにもなかったけどね〜」


 なんでもないように、だからと言って言葉にしなければ消えてしまいそうなか弱い心の思いの吐露。亜紅里は水着を離してほんの少し整え、安心させるように結希に微笑みかけた。


「監視にもなるし、これで見事に半妖はんよう能力が使えなくなったってわけ。使えばあたしは呪われて、ものすごーく苦しい思いをするんだってさ」


 他人事のように話しているのは、亜紅里なりの強がりなのか。それとも、観念して本当に使わないと誓っているのか。自分のことなんてどうでもいいと思っているなら、それはとても哀しいことだ。

 飄々とし、本心を話さない亜紅里の真意は今でも見えなかった。


「お前がここに来れた詳細は知らないけど、それでも俺はお前を信じないからな」


「えぇ〜、信じてよぉ。これからはちゃんと生徒会役員として二人と一緒に戦うからさぁ。……もちろん、赦してとは言わないけどね」


「泳げないとわかってて突き落とした奴を許すわけないだろ」


 棘を含めて返すと、亜紅里はぺろっと舌を出して申し訳なさそうな顔をした。それでも、いくらでも表情を誤魔化せる亜紅里を結希は決して許しはしない。


「ま、だよねぇ〜。ゆうゆうはあたしのこと嫌いだもん。それくらいちゃんと知ってるよ」


 亜紅里はふと視線を落とした。

 二の腕より下を水面で朧気に隠す結希の、胸部辺りを見ているような真剣な視線。


「カグラから受けた傷も治してもらってないみたいだし……」


 それに、と続けるような動作で亜紅里はしゃがみ、足を水中に落として跳ねるように入水した。


「後ろも、消えてなかったしね」


 突き落とす前に見ていたのだろう。思えば亜紅里が押した位置は、ちょうど火傷が残っている位置だった。

 水中を動きづらそうに歩きながら結希の方へと近づき、再び十センチもない位置で止まる。


「どうして? あたしが腕を切り落とされた時、どうして傷を治してもらわなかったの?」


 真下にある亜紅里の顔が、ほんの少し憂いを帯びた。

 笑いたいのに笑ってはいけないと感じているのか、声色までもが下がって俯く。もしかしたら、今のこの表情だけは信じていいのかもしれない。


「戒めと……願掛けが少し」


 結希は口を開いて答えた。

 ただの人間の肉体を持つ陰陽師おんみょうじとして、誰よりも傷つきやすく傷が残りやすい結希は〝自分を守ること〟をこの三ヶ月間で学んでいた。


 今までずっと守り守られ愛されて、自分が傷つくことを嘆く誰かの為に。そして、何よりも単位の為にこれ以上傷つくわけにはいかない。


「ゆうゆうらしいね。でも、願ったって一体何を?」


 崩落した結城ゆうき家の屋根を修理し、亜紅里の切り落とした腕を再生させた女性──アリア。結希の脳裏に浮かんだのは、彼女と同じ力を持ちながらも未だに力が発現しないという双子の姉妹だった。


「この傷には先約がいる。ただそれだけだ」


 アリアに治してもらうのは簡単だ。が、結希はそれを良しとはしない。

 「はじめまして」と言い合ったあの日、力が使えなくて泣いていた幼い少女の存在を結希は知っている。致命傷にならないのなら、結希は双子の月夜つきよ幸茶羽ささはを信じて待ちたかった。


「ふぅ〜ん。でも、それってすごーくすごぉーくずるい!」


 顔を上げた亜紅里は、至近距離で結希を見つめた。結希はあまりの近さに思わず身を引き、その隙に忍び寄った亜紅里の手により半回転させられる。

 抵抗しようとしたが、水に不慣れな結希の手足は無意味にそれを掻き──今まで感じたことのない柔らかな感触が背中に触れた。


「ッ! あぐ……」


「だーめ。ここから先はあたしのルートだから、大人しく聞いて?」


 亜紅里はそのまま、かつて自分が傷つけた火傷の跡を天色の瞳で見つめた。澄みきった青空のようなそれは陰り、唇は時折背中に触れるかのように近く、掌は躊躇いがちに背中に添えられている。

 後ろから抱き締めた亜紅里は、母親とはぐれた迷子の子猫ように小刻みに肩を震わせた。


「だって、あたしも先約してたんだよ? 今でもゆうゆうの隣に立つべき存在はあたしだって思ってるし、他の誰にも負けない自信だってある。だってあたし、本当はゆうゆうの味方になる為に育てられてきたんだもん」


 剥き出しの背中に身を寄せ、亜紅里は吐露した。

 声を荒らげようとした結希は押し黙り、全身に傷を纏う亜紅里から血のように流れ出す情報を一語一句聞き逃すまいと耳を澄ませる。


「でも、ゆうゆうはあたしのところに来る前に盗られちゃった。だから『味方になれない』って言うしかなかったし、あたしの味方になってくれるのを待つしか生き抜く道はなかった」


「……俺がお前の味方にならなきゃ、お前は殺されるのか?」


「ん〜……それはちょっと違うかな? あたしの命はあたしのものじゃないし、半妖として生まれた以上は子供をたくさん産まなくちゃいけないから」


 それは、人はいつか死ぬとでも言うような口調だった。

 さらりと告げられた半妖の宿命は、生まれたその瞬間から死ぬ瞬間まで決められているかのようなそれと同じで。結希の脳裏に真っ先に浮かぶのはいつだって自分の家族だった。


「それが終わったらポイされるのかなぁ……。あたしは元々、ゆうゆうのサポート役として暗躍するはずだったし。でも、ゆうゆうが裏切らない以上あたしに存在価値はない。そんなあたしのビジネスパートナーになってくれたのが……」


「マギクってことか」


 点と点が繋がった。パートナーでなければ、マギクの式神──カグラの名前を知っているはずがない。


「そうそう。全部ヒーちゃんに話したよ。その代わりに守ってくれるって約束までしてくれた」


「……誰かに狙われているのか?」


「あたしを産んだ人にね。名前は知らなかったけど、他の家の頭首が阿狐頼あぎつねよりだって教えてくれた」


 黒幕には薄々感づいていたが、産みの親の名前を知らないのは衝撃的だった。

 亜紅里はこんな大切なことでさえあっけらかんと話し、自分と同じく片親で母親との思い出が皆無に等しい亜紅里に──この時初めて、親近感を抱いた。


「あたしが知ってるのはそれだけだよ。マギクの狙いも知らないけれど……マギクには仲間がいて、ゆうゆうを恨んでる。それだけは知ってる」


 天色の瞳が熱を帯びた。闘志を持った少女は、それでも折れない刀のように──著名な刀匠に鍛錬された刀のようにその身を研ぎ澄ませている。


 妖怪の味方をする亜紅里の実戦経験は圧倒的に少なかったが、たった一人で生き抜いた亜紅里の強さは誰よりも鋭く尖っていた。


「恨まれている理由がまったくわからないけどな」


 結希は呟き、僅かに笑みを漏らした。

 笑う要素などどこにもなかったが、笑わずにはいられなくて笑みを固める。このままでは亜紅里がやっていることと大差ない。


「苦しいから笑ってるんだよ、ゆうゆうは。笑わないと心のバランスがとれないから、ゆうゆうは笑ってていいんだよ。あたしはね、ゆうゆうに盗聴器を壊してもらったからもう何も怖くない。だから、苦しかったらあたしがゆうゆうを笑わせてあげる。──信じて」


 それで頷けるほど結希は素直ではなく、今まで何度か亜紅里に苦しめられていた。

 信じないと背中で語ると、亜紅里はへらりと笑っているのか泣いているのか判別のつかない顔になる。


「わかった。ゆうゆうには、行動で意思を見せるね」


 言うが早いか、能力が使えない亜紅里は結希と背中合わせになり、顔面で攻撃を受けた。

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