十三 『自己犠牲の塊』
結希は耳を疑った。
「誘拐……?!」
その聞き慣れない単語が鼓膜に貼りついて離れなかった。
「早く行け。私たちは心春の心にこれ以上の傷を負わせたくない。でないと取り返しのつかないことになる」
麻露は、ゆっくりと事実を飲み込む結希に時間を与えないまま早口で言葉を続けた。
「だからせめて鈴歌だけは連れてってくれ。戦えずともキミたちの足くらいにならなれる。そうだろう鈴歌」
「…………うん」
鈴歌は珍しく真剣な顔つきで頷く。麻露は後ろの鈴歌を見ないまま、冷たさだけではない燃えるような双眸で結希だけを映し続けた。
「結希、これは命令だ。心春を助けろ。私たちは六年前、百鬼夜行のついででしか心春を助けることができなかった」
「そうね。中途半端に救ったから、余計に春ちゃんを傷つけたわ。あれを救ったとは言えないかもしれないけれど」
「中途半端だったから、わたくしたちは町さえも守りきれませんでした。結希くん、心春さえも貴方に任せてしまうことになりますが、わたくしは貴方のことを信じています。どうか心春のヒーローになってあげてください」
歌七星は土下座しそうな勢いで頭を下げた。ただ、年長者と違って納得しないのが年少者だった。
「ちょっと待ってよ! 確かに昼じゃ不利かもだけど、人数で言えばこっちの方が上でしょ!? ウチが幻術でカバーするから、全員で行かせろよ!」
「人数の問題じゃないよ、愛ちゃん。逆に幻術で操られて弟クンの邪魔をするのがオチ。それでシロ姉に邪魔されたの覚えてないの?」
「うっ……!」
愛果は言葉を詰まらせて、同じく声を上げようとした椿をも熾夏は黙らせた。麻露は不快そうに眉間に皺を寄せたが、それでも結希への懇願にも似た視線をやめなかった。
「麻露さん、歌七星さん、一つだけ言わせてください」
麻露は薄く目を見開き、歌七星は顔を上げる。
「それ、弟に対する頼み方じゃないですよ」
姉妹にしか理解できない苦しみを前にして、結希は真っ先にそう告げた。すると、予想もしていなかった返答に麻露も歌七星も何を言われたのかわからないというような表情で面を食らった。
「心春ちゃんのことは俺に任せてください」
家族だからその分の信頼は欲しいと言外に込めた。
飲み込もうとした事実は喉に刺さった小骨のように自分を苦しめたが、それ以上に苦しんだ姉妹を解放させてあげたかった。
「必ず、心春ちゃんを連れてここに帰ってきます」
だから結希は安心するように微笑んだ。
そして陰陽師の力を使い、亜紅里の妖力を辿る。自分の周りに漂う微かな妖力とは違い、強く放たれている妖力の出どころは──。
「無駄話が済んだならもう行くぞ」
「……はい。鈴歌さん、お願いします」
「…………任せて」
駆け出すと、あの怠惰だった鈴歌も走ってついてきた。グラウンドから遠く離れた場所に出た刹那、突風が結希と乾の全身を吹きつける。
全長十メートルの黒き一反木綿となった鈴歌は、結希と乾を体の切れ端で掴んで強引に乗せた。
「うひゃっ……?!」
びくっと全身を震わせ、妖しく蠢く鈴歌に腰を下ろしながら乾は頬を引きつらせる。骨格がない黒き生き物は、五秒もしないうちに真上へと高く上っていた。
「鈴歌さん、北東へ」
いつまで経っても慣れないこの感覚は違和感でしかない。吐き気を覚えながらも体を休めていると、結希を押し退けるようにして乾が鈴歌の頭部へと近づいた。
「場所は妖目総合病院だ」
サトリの半妖能力で正確な位置を導き出した乾は、ここで終わらずにさらに能力を発動させる。
「その屋上で、ヒナギクと亜紅里が交戦している」
乾が透視したそれは、予定よりも早く行われていた。
「ッ! 心春ちゃんは無事ですか!?」
「落ち着けよ。今のところ外傷も内傷も見当たらねぇ。無事だ」
結希はひとまず息を吐き、眉間に皺を寄せる乾を見て息を止めた。
「ヒナギクと亜紅里は……」
「相性が悪いの一言だな。半妖能力を最大限に活かしている亜紅里と違ってヒナギクは一切能力を使ってねぇ。いくら薙刀で補っても、遠距離特殊型の亜紅里からしたらヒナギクは完全に近距離型だ。……攻撃は通らねぇ」
風が運んだ、「総大将っつーのは名ばかりだ」という乾の呟きは空気に混ざって溶けた。
「鈴歌、幻術がかけられた。ここから低空飛行で行け」
見ると、屋上に愛果と熾夏──いや、百妖家全員が並んで立っていた。少しだけ視線を移せば、赤色の旗がグラウンドの中心を駆け回っている。
「…………わかった」
鈴歌は二人が落ちない程度にぐるんと身を捻って微調整をした。下降するとグラウンドは校舎に隠されて、楽しげな応援歌だけが空高くまで響いている。
ほんの少しだけ、その歌を間近で聞きながらグラウンドに立っている風丸が羨ましくて結希は目を細めた。
「お前は偉いな」
「……偉い?」
「六歳のくせにその辺の大人よりも物わかりがいい」
「俺は十七歳です」
不服そうに唇を歪めると、乾は自分の頭を啄いた。だからと言って陰陽師の定例会で見た小馬鹿にしているような態度ではない。
「六年分の記憶しかねぇんだろ? なのに私欲よりも理不尽を選んで受け入れた。まぁ、自己犠牲だとも言えるけどな」
「そんなんじゃ……」
「安心しろ、お前がそうなったのは必然だからな。半妖も《十八名家》も宿命だが、陰陽師だけは宿命じゃない。……あの日唯一戦力を落としてると言ったが、仕方ねぇとも思うよ。陰陽師だけが自己犠牲の塊でできてるんだからな」
その表現に腹が立って反論しようとしたが、乾は有無を言わせない態度で言葉を続けた。
「だってそうだろ? 半妖能力はほぼ唯一無二だが、陰陽師のやってることは全員一緒だ。つまり半妖と違って代わりが効くんだよ。だから陰陽師には自分がどこまで踏み込めるのか、どこまで逃げ出さずに戦うのかが試されている」
演説を聞かされているかのような気分だった。
悔しいが、乾の言うことに間違っている箇所はない。乾が間違ったことを言う日は一生来ないのかもしれない、それくらい乾の演説には正当性があった。
「それを極めた陰陽師を自己犠牲者と呼ばずになんと呼ぶ? まぁ、その典型例のお前と違って涙は自己犠牲と宿命の板挟みだけどな」
《十八名家》で陰陽師。涙はその一族の一人で結希の親族だ。
「だからあいつは人として大事なモンが欠けてんだよ。……チッ、話が逸れたな」
乾は無駄な時間を過ごしたとばかりにため息を吐いた。
長い胡桃色の髪を青いヘアピンとゴムで一つに纏め、丸出しの額の下の碧眼で輪郭を見せ始めた妖目総合病院を睨みつける。
──ドクンッ
不意に陰陽師の力が騒ぎ、式神のスザクが結希の目の前に姿を現した。
「結希様、ただいま戻りま……っあ、乾様!」
スザクは元から丸かった緋色の目をぎょっと見開き、足場が悪い鈴歌の体にバランス良く着地する。校外に出たからか、スザクは制服からいつものパニエが入った白と緋色の和服姿に着替えていた。
「結希様と共に行動なされていたのですね! 《カラス隊》の皆様や涙様が乾様の行方を心配されておりましたよ?!」
「は? 私が単独行動するのはいつものことだろーが。放っておけばいいのに、バカかあいつら……」
「……社会人なら報連相くらい当たり前だと思うんですけど」
現に、ヒナギクにそれを怠ったら握り潰される。
乾は頭のてっぺんからつま先まで正しいわけではないようで、地に足をついた人間らしさに結希は安堵した。
「うるせぇ」
「いっ……?!」
乾に耳朶を引っ張られた。
スザクがむっと乾を睨んだが、乾は気にせず近づく妖目総合病院を透視する。
「鈴歌、奇襲をかける。勝手に屋上には行くなよ」
「…………了解」
「具体的にはどうするんですか」
「心春を一番に助ける。亜紅里を倒すには心春の力が必要だし、今、ヒナギクと亜紅里の眼中に心春は入ってないからな。けど、心春は幻術にかけられたまま眠っている。お前が心春に九字を切ればいい話なんだが、心春は半妖だ。切れば心春は深手を負う」
刹那、ぬるんと鈴歌の体がうねった。
言葉にはしないが、それだけはやめてほしいという鈴歌なりの意思表示だろうか。
「なら、俺に亜紅里の能力を解除させてください」
「は?」
「そうすれば心春ちゃんは傷つかずに目を覚まします。その道を選ぶことは可能ですか?」
「当たり前だ、必要としてるのに瀕死の状態にしたら意味ねぇだろ。だから私もその道を選ぶ。ただ、十分だけ時間をくれ」
乾は鈴歌に指示を出し、その場で結希とスザクと共に下りた。妖目総合病院は鈴歌の力で目と鼻の先に聳え立っている。
「スザク、中に入るから戻ってくれ」
「了解でございます!」
寂しそうにまろ眉を下げながらも、スザクは笑顔のまま姿を消した。
「行きましょう。中は俺が案内します」
「ふん、言うじゃねぇか」
「妖目総合病院は俺の第三の家なんで」
言い切ると、口をぽかんと開けた乾が結希を見上げた。
立ち振る舞いだけでなく顔の細やかな部分まで凛々しい乾は、髪型や雰囲気までもが大人の女性そのものだった。それでも、身長百五十センチくらいしかない乾のその表情は、愛果や翔太のように幼く見えた。
「お前……可哀想なヤツだな」
「なんでですか」
理由がわからず突っ込んだ。
妖目総合病院の中に入ると、幸いなことにいつもよりも人が少なかった。落ち着けと乾に言われてから、思った以上に平常心で周りを見れている気がする。
「念のためにもう一度言うが、作戦開始は十分後だからな。もう八分もねぇぞ」
「わかってます」
早歩きでロビーを突っ切り、エレベーターに乗り込んだ。最上階のボタンを押すも、そこから屋上に行けないことはわかっている。屋上に行くには隠し最上階まで上らないといけなかった。
「乾さんは綿之瀬家ですよね。ってことは、真璃絵さんの研究の進行具合もわかっているんですか?」
だから、百鬼夜行解明の糸口として綿之瀬家の研究対象となっている真璃絵のことを結希は尋ねた。
「相手が悪かったな。私は分家の養女だ、綿之瀬とは血が繋がってねぇんだよ。その辺は本家に聞いてくれ」
「……そうですか」
乾が自分を綿之瀬と呼ばせないのは、それが原因なんだろうか。
最上階から真璃絵が眠る隠し最上階へのエレベーターを乗り継ぎ、結希は一ヶ月ぶりにその階に足をつけた。
「……血が繋がってねぇと言えば、お前こそどうなんだよ」
「どうって?」
「なんで私は連れて来て百妖の連中は連れて来なかった」
ざわり──。全身を、心の内側を舐められたような感覚がした。




