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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第三章 再誕の言霊
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三  『裏切り者の一族』

 曇り空は茜色に染まり、夕日がほんの少しだけ顔を出す。雲の隙間から聞こえてきたカラスの低い鳴き声は、黄昏時を告げていた。


「《カラス隊》……」


 そう呟く結希ゆうきを、いぬいは眼鏡の奥の碧眼で睨む。


「つーか、てめぇはさっさとその汚ぇ手を洗ってこいよ」


「結希を引き止めたのは乾さんですよ」


 結希よりも背が高く、黒髪の隙間から刈り上げを覗かせる末森すえもりはおかしそうに笑った。温厚そうな紫苑色の目を細め、末森は「行っておいで」と言うような表情で結希の背中を軽く押す。

 結希は慌てて庭園のししおどしから流れる水で手を洗い、ふと天井の一部が破壊された結城ゆうき家を見上げた。


「ほら、もう子供じゃないんだから慌てない。落ち着いて外に出な!」


 視線を落とすと、京子きょうこの指示で庭園に避難する若き陰陽師おんみょうじが視界に入る。

 四月にスザクが報告した通り、二十人はいるそのほとんどが結希よりも年下に見えた。二十代は末森や本庄ほんじょうるいの他に片手で数える程度しかいなかった。


「あ。ねぇ、あの人でしょ? さっきの妖怪全部倒したの」


「そうだよ、俺見たもん。じいちゃんとばあちゃんはずっとあの人のこと〝裏切り者〟って呼んでるけど、全然そんなことないよな」


 年が近い陰陽師の好奇な視線に当てられて、結希は内心戸惑った。必要最低限の人としかつき合って来なかったせいで、スザクのような視線は慣れない。


「京子っ、俺もいつかあんな風になれるかなぁ?」


「いつかはなれるさ。……けど、それ相応の覚悟と意思がないと結希にはなれないよ」


 結希は京子に視線を移した。京子も結希を見つめていた。黒髪のポニーテールが風に靡き、京子は結希に向かって微笑む。


「だから、あんたらの爺さんや婆さんは結希を妬んでいるのさ。あんたら次の世代は、そうならないような努力を怠ってはいけないよ」


 それは半分、結希に向けた言葉のように思えた。

 結希は京子に頭を下げて乾やスザクの下へと戻る。遠目から見ただけだが、スザクの手中にいる心春こはるは落ち着いていた。結希は安堵し、視線を移して思わず足を止める。そこには避難したばかりの老陰陽師が立っていた。


「全員避難したかの?」


「あぁ」


 結城家を透視した乾は、千秋せんしゅうの問いかけに頷いた。


「ふむ。それで乾くん、我の王国の方はどうなったのかの?」


「妖怪と女狐は来なかったが、マギクと思われる奴は来たらしい。《カラス隊》は妖怪専門であって人間専門じゃねぇが、アリアが傍にいたからな。隊長が無茶な指示を出して迎撃には成功したとのことだ。直にアリアが来るはずだから、屋根はその時に直してもらえ」


「……乾。何度も言わせるな、千秋様に無礼だぞ」


 常磐色の髪を七三分けにさせた蛇顔の本庄は、黒目を鋭く光らせ乾を叱る。だが、乾は舌打ちをして答えた。


「無礼も何も、お前らと違って私は同じ《十八名家じゅうはちめいか》だ」


「しかし、千秋様はこの町の町長でもあるお方だぞ」


「本庄。俺はもう、このバカには何を言っても通じない気がする」


「てめぇらの方がバカじゃねぇか殺すぞ!」


 末森と本庄に投げナイフを向けた乾を、無表情のまま彼女を見守っていた涙が後ろから羽交い締めにする。

 その間に見回りをしていた椿つばきが結城家の門を開けて戻ってきた。老陰陽師が余計なことを言う前に、結希は制服姿の椿の元へと駆け寄る。


結兄ゆうにぃ! 良かった、もう倒したんだな! さっすがアタシらの結兄だ!」


「あぁ。椿ちゃん、それで……?」


「妖怪はいなかったよ。ただ、屋根が抜けた音のせいで近所が大騒ぎなんだ。一応『老朽化で屋根が抜け落ちた』って説明してきたけど、大丈夫かな?」


「ふむ。的確ではあるが、これではご近所さんへの面子も潰れそうであるのぅ? 我が旧友、百妖ひゃくおうの姫君よ?」


 心配そうに眉を下げる椿にぬっと近づいた千秋は、口ではそう言いながらもどこか愉快そうに笑っていた。


「うわっ、町長! どっから来た!?」


「当然、半壊した我の王城からであるぞ。そちらの姫君は無事かの?」


 駆けつけたスザクの手中にいる心春は、千秋を見ずに大きく頷く。千秋は満足そうに微笑んでわざとらしく咳払いをした。


「では、少し頼みごとを引き受けてくれるかの? 我が姫君の紅葉くれはと付き人の火影ほかげを、一時的に百妖家で預かってほしいのだ」


「本当に?! お父さんっ、それ本当に言ってるの?!」


 別ルートで避難していた紅葉は、老陰陽師の間を縫って千秋に飛びつく。

 紅葉の後を追いかけていた火影とビャッコは、口を半開きにさせて足を止めた。ゲンブとセイリュウと合流した朝羽あさは朝日あさひは、千秋の依頼をさも当然のように聞いていた。


「うむ、現状は安全第一ぞ。我と朝羽も当分は王国の方で暮らすかの」


「えぇ。今日は向こうをおびき寄せる為に、あえて陰陽師全員をここに集めたのだし。明日もまだ会は続くのだから」


「そういうことである。全員、聞いていたかの? 今日はもう解散とする。不安な者は我らと共に王国へ来るといい」


 千秋はゆっくりと陰陽師それぞれの顔を見回した。こちらの様子をずっと伺っていた老陰陽師は、慌てふためきながら孫を探し出し、その割りにはこれからの行動を即決する。


「母さん」


「ん? なぁに、結希君」


 朝日は微笑んで言葉を返した。六年しか共に過ごした記憶はなく、一日の大半を外で過ごしていた朝日との思い出は、実は誰よりも少ない。


「今日、紅葉たちと一緒に百妖家うち来る?」


 それでも自分の母親だった。嘘とはいえ、今では椿や心春の母親でもある。


「ごめんねー。ちょっと行けそうにないかも」


 朝日は困ったように眉を下げて、手と手を合わせた。


「これからあのアパートを出て、結城家ここに荷物だけ置こうと思ってね? それでちょっと忙しいのよー」


「じゃあ手伝うから、ほんの少しだけでも顔出してほしいんだけど」


「えぇ? 手伝ってくれるのはありがたいけど、本当に顔は出せないわよ? あの子たちの養母だったのは確かだけど、長い間会ってないし忘れられてるんじゃないかしら?」


「ちゃんと覚えてるに決まって…………あ」


 欠けていたピースが当てはまったような感覚だった。朝日との会話が若干噛み合わない、その理由にようやく気づく。

 辺りを見回すと、紅葉が椿と心春に突っかかっていた。二人は困惑気味な表情で、紅葉を制する従妹の火影に助けを求めている。


「どうしたの? 結希君」


「驚かないで聞いてほしいんだけど」


 結希は声を潜めながらそう切り出して、百妖家の長女──麻露ましろが勝手に作り出した設定を朝日に話した。


『今日来る〝同居人〟は、実は父さんの再婚相手の連れ子なんだ』


 躊躇いもなく言い放たれた麻露のその台詞は、良くも悪くも結希の人生を大きく変えていた。嫌だったわけではないが、苦労していることに変わりはない。

 それは当事者の朝日にも当てはまっていた。


「えっ? どういうこと? 私、じんと再婚したことになってるの?」


 これほど驚く朝日が今までいただろうかと思うくらい、朝日は目を見開かせて混乱した。


「そんなの絶対に嫌よ。あの仁と再婚なんて……まさか、結希君が名字を変えたのってこれが原因なの?」


「言わなかったのは俺だけど、逆になんだと思ってたんだよ」


「それは……。間宮まみやが、裏切り者の一族だからよ。千年前の先祖が犯した大罪のせいで、私たちは今でもそう呼ばれているの」


 朝日は徐々に、結希に隠していた間宮の話を紐解いていった。


「それで心を痛めていたお父さんは、姉さんと私を名家の本家に嫁がせることで間宮の名を途切れさせたの。けれど、政略結婚みたいなものだったから……私は貴方のお父さんと馬が合わなかった」


 眉を下げ、ところどころ声を詰まらせながら朝日は話した。記憶を失くして以来初めて母親の口から出てきた父親の話は、とてもじゃないが聞き心地のいい話ではない。

 ついさっき聞いた芦屋あしやという人物も裏切り者らしいが、彼が自分の父親なのだろうと思った。


「それで六年前に離婚して、私は間宮に戻った。結希君も間宮になった。結希君は男の子だから、百鬼夜行で亡くなったお父さんの悲願は叶わない。だから貴方が百妖と名乗って、あの子たちの家族として生きていてくれたら私はそれで幸せだったの。原因なんて、ほんとはどうでも良かったのよ」


 朝日はそっと、愛しそうに結希の頭を撫でた。

 母親の表情をしている朝日に、この六年間で積もったどうしても言いたい言葉だけを選んで告げる。


「……その話、もっと早くに聞かせてほしかった」


「ずっとタイミングを探してたのよ。ついでだから話すけど、出産するからあの子たちの養母を辞めたの。まだ子供だから、独身の陰陽師が傍で監視しなくちゃいけなくてね? 私が辞めて代わりに京子ちゃんが来たんだけど、麻露ちゃんが拒絶しちゃって大変だったらしいわよ」


 朝日と同色の黒髪から手が下りて、頬に手が添えられた。それは一瞬で、「結兄ー!」と遠くから名前を呼ばれる。


「シロねぇが早く帰ってこいだってさー! ええっと、あと、〝お母さん〟を連れて帰らないと凍死させるとか言ってるー!」


 視線を移すと、紅葉や火影、心春の傍で椿が携帯を振り翳していた。茜色が年下の四人の影を真後ろに伸ばして、結希は眩しさに目を細める。


「あぁ、すぐ行くー!」


「あらあら。じゃあ結希君、頑張って麻露ちゃんから逃げてね」


 結希の返答を無視し、朝日はすぐさまセイリュウを呼び寄せて彼の首に腕を回した。


「母さんっ!」


 朝日を逃がさないようにセイリュウの羽織物を掴もうとするが、結希の手は空を切った。跳躍したセイリュウは淡々と会釈をし、朝日を抱えたまま門を飛び越えて消えてしまった。


「結希様……」


「母さんって、いつもあんな感じだよな」


 おずおずと声をかけたスザクに、結希は苦笑いを見せた。


「だからあの人との思い出なんてないんだよ」


「結希様、手が……っ」


 痛い。そう思って手を開くと、爪が食いこんだ跡が残っていた。結希はそれを放置して、潔く四人が待つ方向へと歩き出す。

 結城家の門を出て《カラス隊》の到着を待つ集団を一瞥し、狩衣かりぎぬ姿のまま結希は百妖家への道を進んだ。

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