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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第三章 再誕の言霊
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序幕 『犠牲者たちの嘆き』

挿絵(By みてみん)


 梅雨の匂いが降ってくる六月。

 純白の扉をスライドさせると、桜色の髪が揺れて若草色の瞳と目が合った。消毒液のような匂いは相変わらずで、結希ゆうきは女性の目の前に置かれた椅子に座る。


「ふふっ」


「ちょっ、なんで笑うんですか」


「ご、ごめんなさい……! だって結希くん、二ヶ月連続で救命救急科に入院したんでしょう? しかも主治医がお姉さんなんだから、院内どの科も百妖ひゃくおう姉弟の噂が絶えなくて……!」


 結希は膝に肘をつき、額を支えてはああとため息をついた。


「……精神科の耳にも入ってたんですか」


妖目総合病院おうまそうごうびょういんの医者は妖目おうまさんの身内ばかりだから、嫌でも耳に入っちゃうよね」


「それ、守秘義務もどうもないですね」


 結希が突っ込むと、目の前の女性は苦笑した。

 陽陰おういん町の重要機関を牛耳る《十八名家じゅうはちめいか》の一つ──司法を司る小白鳥こしらとり家。その跡取り娘である冬乃ふゆのは、小白鳥家が輩出する裁判官にはならずに医者となった変わり者だ。


「私や百妖ちゃ……結希くんのお姉さんの熾夏しいかちゃんみたいな人がもっと増えればいいのにね」


「小白鳥先生はともかく、冗談でも熾夏さんを増やすなんて言わないでくださいよ。あの人みたいな人間は一人でも充分厄介なんで」


「あらら」


 冬乃は結希の珍しい物言いに目を丸くし、しげしげと眺めた。身を捩りたい衝動を抑えて結希がじっとしていると、再びふふっと彼女が吹き出す。


「結希くん、六年前……というか半年前と比べて随分と変わったね」


「……ッ!」


「ちょっと感情表現が豊かになった。やっぱり、ほぼ一人暮らしだった時と今とじゃ生活環境が違うのかな?」


 冬乃はまっすぐに結希を見つめて問いかけた。


「……当たり前じゃないですか」


 以前と比べて怪我の頻度も増し深手も負っているが、専門外のことを冬乃は気にかけない。六年も前から冬乃が診ているのはただ一つ。結希の記憶に関することだった。


 六年前は見習いだったが、結希の主治医になるはずだった妖目家の医者が定年退職をしたせいで、冬乃は若輩ながら結希の主治医を勤めている。

 幼馴染みの妖目明日菜あすなと同じく、小白鳥冬乃は結希にとって古くからの知人の一人だった。


「そうだね。でもそれは、結希くんにとっていいことだから。何があっても手放しちゃダメだよ?」


「…………」


「そんなに難しそうな顔をしないの。今傍にいてくれる人を無理に増やす必要はないんだから。今傍にいる人、一人一人を大事にしてあげて」


 冬乃が言うほどそれは簡単なことではない。だから表情を変えずにいると、「例えば……」と冬乃は人差し指で空中に円を描いた。


「……心春こはるちゃん、とか」


 視線を上げると冬乃の若草色の瞳が揺れた。桜色の唇が小さく笑みを零している。


「小白鳥先生、なんで心春ちゃんのこと……」


「はいっ、じゃあこれから定期検診を始めるよ」


 結希の質問を遮った後、大雑把に結希のカルテを開いた冬乃は、「そういえば」としばらくして首を傾げた。


「結希くん、真璃絵まりえちゃんにはもう会った?」


 あまりにも突飛すぎる冬乃の問いかけに、結希は言葉を詰まらせた。心春よりも何故と問いたい真璃絵という百妖家の三女は、妖目総合病院の最上階で意識不明の重体のまま眠っている。


「……真璃絵さんのことはなんで知ってるんですか?」


「同じ《十八名家》だから、昔からそれ関連の定例会でよく会ってたの。この病院のどこに入院しているかも、《十八名家》だから知ってるんだよ」


「真璃絵さんになら会いました。先月に」


「そっか。それでも何も思い出せなかった?」


「…………小白鳥先生は、一体どこまでご存知なんですか?」


 手探りで尋ねた。

 陽陰町にしか存在しない、結希の裏の顔である陰陽師おんみょうじも──百妖姉妹の裏の顔である半妖はんようも、妖怪自体も。すべてが秘匿されている。


 先月、半妖の総大将であり陽陰学園生徒会長のヒナギクは、《十八名家》の人間には百鬼夜行を止める責務があると結希に言い放った。そして、二十歳になればそれらを彼らは親から教わるとも。

 六年以上も前から成人済みだった冬乃は、この六年で初めて結希から視線を逸らした。


「結希くんが陰陽師だということ。六年前、真璃絵ちゃんを救う為……百鬼夜行を止める為、記憶を全部失ったこと。私は本家の跡取りだから詳しいことも知らされているよ。だから、結希くんの主治医を任されたの」


 冬乃はゆっくりと顔を上げた。


「今まで知らないフリして、ごめんなさい。だから聞かせて? 真璃絵ちゃんに会って、結希くんの記憶に変化があったか」


 結希は首を横に振った。謝らなくてもいい、記憶に変化はない。その動作には二つの意味があった。


「……そっか。やっぱり、医学の力じゃどうにもならないのかもね」


「実は、俺もずっとそう思ってました。医学で解決できるようなものじゃないって」


「じゃあ、ごめんなさいじゃなくてありがとうかな。無駄だって思いながらも、六年間も私のところにこうして通ってくれたんだから」


「そんなことはないです。小白鳥先生、ずっと真剣に診察してくれていたんで、ちょっとは気が楽でした」


 冬乃は結希のカルテを閉じた。

 結希が治療を止めたいと申し出れば、これももう開くことはなくなるだろう。カルテを開く度に疼いていた胸を掻いて、冬乃は結希に頭を下げた。


「今までずっとお礼を言えてなくてごめんなさい。百鬼夜行が起きた時、守らなきゃって頭ではわかってたのに私の体は動かなかった。他の《十八名家》や親戚が大勢亡くなったのに、私は生き延びてしまった。それもこれも、六年前に結希くんが終わらせてくれたから……。死ぬはずだった私の……多くの命を救ってくれてありがとう、結希くん」


 膝の上で握り締められた冬乃の手の甲に、数滴の雫が落ちた。肩を震わせて泣いているその姿は、家族を思って泣いた数日前の歌七星かなせにどこか似ていた。

 きゅっ、と喉の奥から何かが飛び出しそうな感覚を覚え、何度か唾を飲み込む。


「小白鳥先生……」


 診察室の扉を開く前は思いもしなかった冬乃の姿に、戸惑いはしたがいつものように表には出さなかった。


 記憶を失い、何もかもわからない中で。生き残った陰陽師から奇異の目で見られ、自ら距離を取った。元から少なかったが、友達からも離れた。


 それでも、何もかもから逃げるべきではなかったのだ。


 式神しきがみのスザクが言うように、自分が救えた人々が目に見える場所にずっといてくれたのだから。


「俺の方こそありがとうございます、先生。記憶を失ったこと、後悔はしなかったけれど不安だったんです。何も覚えてないから一歩も前に進めないような気がして、話題自体避けて周りの人を悲しませていました。小白鳥先生がそう思ってくれていたのなら、俺、やっぱりここに通っていて良かったです」


 冬乃は再び顔を上げて、吹き出しでも苦笑でもない微笑みの花を咲かせた。

 六年間も胸につかえていた痛みがほんの少しだけ溶けて、どこかへと消え去ってしまう。


「はいっ、今日の定期検診はこれで終わりだよ」


 冬乃は僅かに芽生えた明るさを精一杯に掻き集めた。揺れる瞳を何度かまばたきさせて、少しだけ上を向いてみた。


 やがて、お待たせという意味を込めて冬乃は笑う。


「次回は一応、半年後の十二月ってことになっているけれど、結希くんの好きな時に来ていいからね」


 瞳だけではなく、桜色のポニーテールが立ち上がった冬乃と共に揺れた。白衣を翻した冬乃は扉をスライドさせて結希の退室を促す。

 荷物を持った結希が退室すると、聞きなれた声が二人分近づいてきた。


「あっ……!」


「あーあ」


 びくっと肩を震わせたのは、百妖家の十一女、心春だった。隣でやらかしてしまったと今にも言いそうな人物は、百妖家の六女、熾夏だ。

 冬乃との会話で登場した二人は、揃って隣の診察室から出てきたところだった。


「心春ちゃん、熾夏ちゃん。偶然だね、心春ちゃんも今日だったんだ」


 冬乃だけは訳知りのような表情で二人に手を振っていた。

 肩にかけてあった桜色の髪をはらりと落として、心春は冬乃にお辞儀をする。熾夏は淡い藍色の髪を払い、眼帯をしていない方の瑠璃色の瞳で冬乃を睨んだ。


 しかしそれは一瞬で、熾夏はいつものようににやにやと笑う。


「なになに? 二人とも逢い引き中なのかな?」


「……違います、熾夏さん。冗談なんか言わなくてもわかってるでしょ」


「ふふっ、だって最初からわかってたらつまんないじゃない。私、なんでも視えちゃうんだからたまには遊ばせてよ」


「俺で遊ばないでください。依檻いおりさんじゃあるまいし……」


「やだ弟クン! 他の女の名前なんか出したら嫌いになっちゃうぞ?」


 熾夏は両方の人差し指で鬼の角を作り、頭の上でぴょこぴょこと動かした。姉と兄の会話について行けず、心春だけがおろおろと二人を交互に見上げる。


「熾夏ちゃん、心春ちゃんが困ってるよ。それと結希くんがかわいそう」


 そっと心春の桜色の髪を撫で、冬乃は熾夏を止めた。長女の麻露ましろよりも一つ年上の冬乃は、麻露とは違い穏やかに熾夏を叱咤した。

 心春は若草色の瞳で、冬乃の若草色の瞳を見つめる。そんな心春の視界が瞬時に暗くなったのは、熾夏が心春に目隠しをしたからだった。


「ほら、はるちゃん、弟クン。精神科のおばちゃんにバイバイして?」


「熾夏ちゃん。さすがにそれは、私でも怒るよ?」


「……私はもう怒ってるよ」


 刺々しい言葉を放った熾夏は、心春と結希の手を引いて精神科のフロアを後にした。エレベーターで一階のロビーまで下りると、熾夏はいつもの熾夏に戻っていた。


「じゃあ、弟クン。春ちゃん。二人で先に帰ってて〜。私、まだ仕事があるんだよね」


「さっきは精神科でガッツリサボってたじゃないですか」


「失礼しちゃう。あれは院内だからギリギリセーフなの」


「ギリギリアウトですよ。それに俺、この後は用事があるんで心春ちゃんとは帰れませんから」


 ほっと息を吐いたのは、他でもない男性恐怖症の心春だった。

 結希と鉢合わせてから、心春はまったくと言ってもいいほど会話に入ろうとはせず結希から距離を取っている。


「なぁんだ。そうならそうと先に言ってよ」


「結構前からこの日は朝から晩までいないと言ってた気がするんですけどね」


「ん? 何かあるの?」


 百目ひゃくめの能力──千里眼せんりがんを使わずに熾夏は尋ねた。

 使うなという姉からの命令もあるが、そもそも熾夏は能力のコントロールができていない。使うと体力が削れてしまうというのも理由の一つらしいが。


「《十八名家》に定例会があるように、陰陽師にも定例会があるんです」


「ふぅん。……じゃ、あの人も来るのかな?」


「あの人?」


朝日あさひさんだよ」


 あぁ、と納得して結希は頷いた。

 結希の実母で麻露から七女の朱亜しゅあまでの養母、間宮まみや朝日。陰陽師の任務で二ヶ月間家を空ける為、結希を百妖家へ預けた張本人だ。


 朝日を知らない心春は離れた場所からじっと熾夏を見つめたが、熾夏は心春に教えようとはしなかった。


「そっか。……また、会えるかな」


「じゃあ、本人に聞いてみますね」


 似たような表情しか見せないポーカーフェイスの熾夏は、珍しく嬉しそうにえくぼを作る。


「ほんとっ? 楽しみだなぁ」


「あの人適当人間なんで、あまり期待しない方がいいですよ……?」


「おっ、さすが息子の言うことは違うね。朝日さんのことわかってるぅ」


「…………お、お兄ちゃんの、お母さん?」


 首を傾げてか細い声を上げたのは、心春だった。


「そうだよー。今じゃ〝私たちの〟お母さん。春ちゃんも会ってみたいよね?」


 心春は熾夏に向けていた視線を結希に移して、勢い良く伏せた。と思えばこくこくと頷いて同意する。


「そうと決まれば春ちゃん、全力ダッシュで家に帰って飾りつけだ!」


「うん! しいねぇ、ぼく、頑張るね!」


 素直に駆け出していく心春を最後まで見送って、熾夏はふぅと息を吐いた。


「で? 弟クンは?」


「迎えが来るんで、それを」


「そっか。じゃあ私はいい加減仕事に戻らないとなぁ」


「熾夏さん」


 踵を返した熾夏は、足を止めて振り向いた。


「熾夏さんたちが精神科にいたのは、熾夏さんの頭がおかしくなったからではないですよね?」


「面白くない冗談だね、弟クン。私たちがあそこにいたのは、春ちゃんの男性恐怖症の診察だよ」


 私はただの付き添い、そう付け足して熾夏は去っていく。白衣と呪文が書かれた純白のリボンが靡き、熾夏の薬品混じりの残り香が結希の周辺に漂った。


「間宮結希くんは、君でしたっけ?」


「は、はい……?」


「…………人違いしてますよ、るいさん」


「ふむ」


 気配なく現れた人物は、結希の従妹の紅葉くれはと同じ髪色をした青年だった。


「それと、今の俺の名前は百妖結希です」


 紅葉の父方の従兄──結城ゆうき涙は、無表情のまま手を叩く。


「失礼。たくさん不正解です」


「迎えは涙さんだったんですね」


「皆、気の毒に思えるほど多忙です。それにしても、この辺りは薬品臭いです。俺、この匂い超嫌いです。早く結城家に帰宅です」


「……俺の帰る家は結城家じゃないんですけど」


 きょとんとした表情で、涙は結希を見下ろした。

 涙袋と泣きぼくろが特徴的で、端正な顔立ちをした涙の距離の近さに結希は思わず一歩身を引く。


「何故? 結希は昔から我が家に寝泊りです」


「それが人違いした挙句『君でしたっけ?』と言った人物に向ける台詞ですか? 涙さん。忘れっぽいの、いい加減直した方がいいと思いますよ」


「……ふむ。ご忠告ありがとうございます、結希。努力します」


 顎に手を置いた涙と共に、結希は妖目総合病院を後にした。

 陽陰町の上空には曇り空が広がっていて、今にも雨が降りそうな天気に結希は眉を潜める。涙は天気などどこ吹く風と言うようにふらふらと歩いていた。


「……涙さん、しっかり歩いてください」


「何故? ふらふらは楽しいです。俺の昔の友人がよく言ってました」


「その人と涙さんが車に轢かれても知りませんよ」


「俺は不死身です。友人は六年前の百鬼夜行で死亡です。問題ないです」


 無表情を崩さない涙は、足を止めた結希を置いて角を曲がった。焦って涙を追いかけると、涙は日本家屋の前で足を止めて結希を待っていた。


「涙さん……!」


「お帰りなさい、結希。ここは結希の第二の家、そして俺の伯父の結城千秋せんしゅうの屋敷ですよ」


 陽陰町の町長であり、陰陽師を束ねる《十八名家》結城家の現頭首──結城千秋。その自宅は、陽陰町すべての陰陽師が集結しても余裕があるほどの広さを誇っていた。


「結希くん」


「……あ」


 肩まで切られた漆黒の髪。年齢の割には大きく見える漆黒の瞳。親子であることは間違いないが、それでもどこか結希のそれとは若干異なる黒の持ち主──。

 そんな女性の隣には、露草色の長髪を垂らした青年が菜の花色の瞳を緩めて立っていた。


「母さん、セイリュウ」


「結希くん、久しぶりっ!」


 微笑んだ朝日は、心の底から嬉しそうに結希の体を抱き締めた。

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